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婚約破棄された悪役令嬢は、白銀の大公に最愛を捧げられる  作者: ごゅみ
第一部 婚約破棄

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第二十一話 北方報告③

エレオノーラは、息を吸った。喉の奥に緊張が触れる。けれど、声を高くしすぎてはいけない。急いではいけない。王宮の言葉で、けれど中身を薄くしないように。


「ありがとうございます。殿下が仰せになったように、薬草や寄進の量を厚くすることは、施療院を支えるうえで大切なことと存じます。私も、春の慈善視察の草案と寄進目録を確認する中で、足りない場所へ必要なものを増やすことの重さを学んでおります」


アレクシスの表情が少しやわらいだ。自分の言葉を否定されるのではないと受け取ったのだろう。エレオノーラは、その反応を見て、そこで止まらないようにした。アレクシスを傷つけないために、今言うべきことを薄めてしまえば、結局誰にも届かなくなる。


「けれど、王都を出た量と、施療所で受け取られた量が同じであると確認できなければ、寄進を増やしても、増やした分が本当に施療所へ届いたのかを王都は知ることができません。王宮の目録では百束を出したことになり、神殿の配分表でも百束を扱ったことになり、けれど北方の施療所では七十束しか棚に入っていなかったとしたら、残りの三十束は、帳簿の上では誰にも失われていないものになります」


文官の一人が息を止めたのが分かった。エレオノーラは、自分の指が手袋の中で冷たくなっていることを感じながら、言葉を続けた。


「それは、北方だけを特別扱いするための確認ではなく、王都がすでに民のために出したものを、途中で見失わないための確認ではないでしょうか。寄進を増やす前に、出したものがどこで止まり、どこで遅れ、どこで受け取られたのかを照合することは、王都の善意を疑うためではなく、王都の善意が本当に届いたことを守るためにも必要かと存じます」


声を出し終えた時、エレオノーラはすぐに顔を上げなかった。自分がどこまで言ったのか、言いすぎたのか、王宮の場にふさわしかったのか、判断するには一瞬早すぎた。けれど、沈黙の質が変わったことは分かった。先ほどまでの沈黙は、王宮の手続きが北方の願いを押し返す前の沈黙だった。今は、誰かが紙の上にあった数字を、初めて棚の中の薬草として見ようとした沈黙だった。


アレクシスは、目を大きくしてエレオノーラを見ていた。責められた顔ではなかった。ただ、自分が「増やせばよい」と思った道の途中に、まだ見ていなかった場所があったことに気づきかけている顔だった。


「……そうか。増やす前に、届いているかを見なければ、同じところで止まるのか」


アレクシスは、誰に聞かせるでもなく呟いた。その声には悔しさよりも、遅れて理解した時の素直な戸惑いがあった。エレオノーラは、その声を聞いて胸の奥がわずかに痛んだ。彼は、分かろうとしている。けれど、彼の善意はいつも少し先に走り、道の途中にある泥や橋や記録の欠けを見落とす。今それを見つけたのは、ヴィクトルの言葉と、エレオノーラの声が重なったからだった。


ユリウスが、静かに紙へ筆を置いた。


「陛下、発言をお許しいただけるなら、私からも一点だけ確認してよろしいでしょうか?」


国王の視線が第二王子へ移る。ユリウスは兄のように場を明るくする声ではなく、言葉を選ぶ前に図の線を一度目でたどるような声で続けた。


「王都を出た量、神殿が配分した量、中継所を通過した量、施療所で受領した量の四つを同じ形式で記録できるなら、差が出た箇所を後から追えます。すべての領で恒常的に行うのが難しいとしても、春季北方調整の期間に限り、北方大公家の記録形式を王宮側の写しに合わせる形で試すことは可能ではないでしょうか。前例を広げるというより、期間と範囲を限った照合として扱えば、文書局の負担も見積もれます」


その言葉に、文官の目が動いた。ユリウスはまだ若い。けれど、彼の言葉は感情ではなく、手続きの形を持っていた。エレオノーラは、馬車の中で父が言ったことを思い出した。黙っているから見ていないわけではない。ユリウス殿下は、兄とは違う場所を見ている。今、その違いが室内の空気に静かに置かれている。


財務に関わる官が、慎重に口を開いた。


「期間を春季調整内に限り、対象を北方の神殿施療所に限定するのであれば、試験的な照合として扱う余地はございます。ただし、神殿側の協力を得る必要があります」


その言葉が卓の上へ置かれると、王妃の視線がわずかに深くなった。誰もすぐには続けない。紙を押さえていた文官の指が、端をそろえるように動き、羽根ペンの先がインク壺の縁で止まる。エレオノーラは、王妃の沈黙の長さだけを胸の内側へ受け取った。


ヴィクトルが、そこで再び口を開いた。


「北方大公家は、照合に必要な中継所の通過記録、村役人の受領控え、施療所の棚入れ記録を提出できます。記録形式については、王宮文書局の指定に合わせます。ただし、春の最初の荷に限っては、雪解けの水位が下がる前に動きます。承認が遅れれば、今年の最初の差は追えません」


彼の声は変わらない。けれどエレオノーラには、その「今年の最初の差」という言葉が、ひどく重く聞こえた。報告の場では、差という言葉になる。けれど差の向こうには、薬棚の前で足りない束を数える人がいる。熱を出した子どもを抱く母がいるかもしれない。砦から降りてきた兵が、包帯布を待つかもしれない。王都で一つの承認が遅れた時間は、北方では雪解け水の速さで別のものに変わる。


先ほど渋っていた文官は、すぐには答えなかった。彼もまた、悪人ではないのだろう。前例を恐れ、手続きの負担を考え、王宮の文書が崩れないようにする。それは王都を守る仕事の一部だった。けれど、今はその手続きがどこまで命の近くにあるのかを聞かされている。エレオノーラは、彼の沈黙を見ながら、自分の発言が彼を打ち負かすためのものではなかったことを確かめた。打ち負かしたいのではない。届く形にしたい。それだけだった。


国王が、手元の報告書へ目を落とした。室内の者たちの呼吸が、そこへ集まる。


「北方大公」


「はい」


「春季北方調整の期間を限り、対象を北方大公領内の神殿施療所に絞る。そのうえで、王都を出た量、神殿側の配分、中継所の通過、施療所での受領を照合する案として、王宮文書局、財務局、神殿側の記録担当を交えて詰めよ。正式な命ではなく、まず調整として始める。だが、今年の最初の荷に間に合うよう急がせる」


ヴィクトルは深く礼をとった。


「御意にございます」


その声を聞いた時、エレオノーラは、自分がずっと息を浅くしていたことに気づいた。胸の奥に溜まっていたものが、急にほどけるわけではない。王の言葉はまだ承認の始まりであって、すべてが決まったわけではない。それでも、王都の卓の上で、北方の施療所の棚が一度だけ見えた。そのことは確かだった。


ヴィクトルが顔を上げる。彼の視線は、まず国王へ、次に王宮の文官たちへ、そして地図へ戻った。公の場で、エレオノーラへ長く向くことはなかった。けれど、地図へ戻るほんの前、彼の目が一瞬だけこちらを通った。


その一瞬に、エレオノーラは手袋の内側で指を軽く握った。礼を返すために伏せた目の奥に、地図の細い線と、さきほど自分が置いた声が重なって残る。顔を上げた時、ヴィクトルはもう報告書へ視線を戻していた。けれど、その短い往復だけで、彼が聞き流さなかったことは分かった。


アレクシスが、少し遅れてエレオノーラへ視線を向けた。明るい青の瞳に、いつものような誇らしさが浮かびかけ、それから少しだけ迷うように揺れた。


「エレオノーラ、君は……寄進目録を見ていたから、今のことに気づいたのか?」


声は小さく、場を乱さないように抑えられていた。けれどその問いは、王太子の婚約者へ向けられたものではなく、幼いころから自分の隣にいて、足りないところを整えてくれる少女へ向けられた声に近かった。エレオノーラは、すぐに答えなかった。ここで「はい」とだけ言えば、彼は安心するかもしれない。君が見てくれているなら大丈夫だと、また思うかもしれない。けれど、今の発言はアレクシスを支えるためだけに出したものではない。北方の願いを、王都の中で通すために出したものだった。


「寄進目録も見ておりました。けれど、それだけではありません。北方大公閣下のご報告を聞いて、王都を出る記録と、実際に届く記録の間を確認しなければならないと思いました」


アレクシスは、少しだけ目を伏せた。


「そうか……僕は、増やすことを先に考えた」


「殿下が増やすことを考えてくださったから、届くところまで見る必要があるのだと、私も言葉にできました」


嘘ではなかった。アレクシスの善意がなければ、エレオノーラの言葉は別の形になっていたかもしれない。けれど、その善意だけでは足りないことも、もう見えてしまっている。エレオノーラは、その両方を同じ声に入れようとした。


アレクシスは、ほんの少しだけ笑った。いつものように場を明るくする笑みではない。分からなかったことを認める手前で、どう振る舞えばよいか探している笑みだった。


「君は、そういうところをよく見ている」


その言葉は褒め言葉の形をしていた。けれどエレオノーラは、胸の奥で少しだけ息が遅れるのを感じた。よく見ている。助かる。君がいてくれるなら大丈夫。アレクシスの言葉はいつも優しく、軽やかで、悪意がない。けれど、今日の報告の間でその言葉を受け取ると、自分が見ているものの重さが、彼の声の中で少しだけ軽く畳まれてしまうように感じた。


ヴィクトルの報告は続いた。王の許しを得たことで、施療記録の照合は調整事項として文官たちの紙へ移されていく。筆の音が戻り、地図の上には次の印が置かれる。砦の補給線、街道の補修優先、商人の通行許可、雪解け後の荷の順番。ヴィクトルは、ひとつずつ王宮の言葉へ移していった。エレオノーラは、さきほど自分が発言した場所に心を残しすぎないよう、もう一度耳を開いた。ここで自分の言葉に酔ってしまえば、聞いている沈黙はただの満足に変わる。


けれど、身体はすぐには元に戻らなかった。手袋の内側の指先にはまだ緊張が残り、喉の奥にも、発言の前に飲み込んだ息の形が残っている。王妃の視線が一度だけこちらへ向き、静かに離れた。父は振り返らない。けれど、その背中の向こうで、オルドリックがほんのわずかに肩の力を抜いたように見えた。祖母がここにいれば、今の言葉が美しかったかどうかではなく、範囲を超えなかったかどうかを見るだろう。エレオノーラは、心の中でその視線を思い浮かべ、もう一度筆を取った。


報告書の端に、薬草、受領、照合、と書く。続けて、王都を出た量と施療所で受け取った量は同じではない、と書きかけて、少しだけ筆を止めた。その言葉は、もう自分だけの覚え書きではなかった。王宮の文官の紙にも、ユリウスの控えにも、おそらくヴィクトルの報告書の余白にも、形を変えて残る。九年前に自室の紙へ書いた言葉とは違う。今日の言葉は、誰かの手を通り、承認され、記録になり、実際の荷へつながるかもしれない。


ヴィクトルが、街道補修の優先順位へ話を移した。彼の指は、地図の上で大きな街道ではなく、そこから外れる細い線に触れる。


「商人の通行については、王都側から早期の受け入れ要望が出ています。北方としても春の商いを止めるつもりはありません。ただし、第一便を商人荷に取られれば、砦と施療所への補給が後ろへ回ります。雪解け後の最初の二巡に限り、北方大公家の補給荷を優先し、その後、通行許可を順に開くことを願います」


今度は、別の官が渋った。商務に関わる者だろう。顔立ちは穏やかで、声にも角はないが、言葉の中には王都の商人たちの圧が透けていた。


「北方大公閣下、王都の商人たちも冬のあいだ通行を待っております。毛織物、鉱山道具、塩、紙、薬草、いずれも春の再開を見込んで準備をしております。最初の二巡を補給荷で占めるとなれば、王都側の取引にも遅れが出ます。北方の補給と商人荷を同時に進める形は取れませんでしょうか?」


ヴィクトルは、すぐに否定しなかった。地図上の細い道を一度見下ろし、それから顔を上げる。


「同時に進められる道と、進められない道があります。主街道の一部は可能です。ですが谷沿いの枝道では、補給荷と商人荷が同じ日に入れば、馬を替える場所も、荷を下ろす場所も足りません。荷が詰まれば、砦へ入る薪と塩が遅れ、施療所へ入る薬も遅れます」


「しかし、商人の荷の中にも薬草や布が含まれます。すべてが贅沢品ではありません」


「承知しています。だからこそ、荷の種類ごとに分けたい。北方大公家の補給荷、施療に関わる商人荷、一般取引の荷を同じ通行許可として扱えば、現地では声の大きい者の荷から進みます」


その言葉に、商務官は口を閉じた。エレオノーラは、声の大きい者の荷、という言葉を聞き、王宮の茶会名簿を思い出した。席次でも、声の大きい家はある。寄進でも、名を残したがる者はいる。商人の荷も同じなのだろう。必要なものから通るとは限らない。記録の上で同じ通行許可なら、現場では強い者が先へ行く。


今度は、エレオノーラは口を開かなかった。さきほど発言したから、何度も声を出せばよいわけではない。これは商務と軍務に関わる話であり、ヴィクトルが十分に言葉を持っている。沈黙を選ぶ場だ。けれど、聞いていないわけではない。エレオノーラは、筆を取り、補給荷、施療荷、一般取引、と三つを書いた。その横へ、同じ許可にしない、と小さく記す。


ユリウスが、また地図を見ていた。今度は兄より先に、王へ視線を向けることはしなかった。ただ、商務官の言葉とヴィクトルの返答を聞きながら、道の分岐を目で追っている。アレクシスは、少し苦しそうに眉を寄せていた。商人の荷にも薬草や布があると聞けば、彼はそれも民の助けになると思うのだろう。けれど、補給の順番を間違えれば必要な場所に届かないということも、先ほどよりは分かろうとしている。その表情は、善意が現実の順番に触れて少し戸惑っているように見えた。


国王は、しばらくやり取りを聞いたあと、商務官へ確認を命じた。最初の二巡すべてを閉じるのではなく、北方大公家の補給荷を最優先、施療に関わる商人荷は北方大公家の確認を経て同時に通行可、一般取引は街道の状態確認後に順次開く。そういう形へ、言葉が整えられていく。王宮の場では、現場の泥も、馬の息も、荷車の車輪も、最後には承認の文言になる。エレオノーラは、その変化を見ていた。削られるものがある。残されるものもある。残すためには、誰かがその前に言葉を置かなければならない。


街道と施療記録の確認が終わっても、卓の上の地図は閉じられなかった。ヴィクトルは次の紙を王宮文官へ渡し、雪解け後の商人受け入れ、砦への補給、神殿施療所との照合について、春のあいだに王都側と詰めるべき項目を順に述べた。文官たちはそれぞれの紙へ印をつけ、財務官が一度、商務官のほうへ視線を送る。


国王は、しばらく地図を見下ろしていた。


「北方大公」


「はい」


「今日の報告だけで済ませるには、調整すべきものが多い。街道、施療、補給、商人の通行、神殿側の記録。いずれも、王都の机の上だけで決めれば、北方の春に遅れる」


ヴィクトルは、すぐに答えなかった。地図の端を押さえる石のそばに置かれた自分の手を引き、国王へ向き直る。


「陛下のお考えを伺います」


「春季北方調整のあいだ、王都に残ってもらいたい。命じるのではない。北方大公として、そなたの判断が必要になる場がある」


その言い方に、部屋の中の文官たちがわずかに姿勢を変えた。命令ではない。けれど、王が王前でそう言った以上、ただの願いでもない。北方大公が王都へ留まる理由が、今この卓の上に正式に置かれたのだと、エレオノーラにも分かった。


ヴィクトルは深く礼をとった。


「承りました。北方の初荷と街道確認に支障が出ない範囲で、王都に留まり、必要な調整に応じます」


「北方へ戻すべき判断があれば、遠慮なく申せ」


「はい。王都で整えるべきものと、北方へ持ち帰らねばならないものを分けて進めます」


エレオノーラは、その言葉を聞きながら、控えの紙の端に添えた指をゆるめた。ヴィクトルが王都に残る。今朝、席次の控えを見た時にはまだ紙の上にしかなかった北方の春が、これから何日も王宮の廊下や小書斎や調整の卓へ持ち込まれる。そのことを考えると、胸の奥の呼吸がほんの少しだけ遅れた。


報告が一段落すると、王宮の文官たちはそれぞれの紙を束ね始めた。部屋の空気は、始まりの時よりもわずかに重く、しかし動く方向を持っている。王妃が国王へ低く何かを伝え、国王が頷く。アレクシスはまだ報告書へ目を落としていた。ユリウスは、手元の紙を閉じる前に、地図上の中継所をもう一度見ている。


エレオノーラは筆を置いた。指先が少しこわばっていた。立ち上がる時、椅子を鳴らさないように気をつける。王宮の侍従が退室の順を示し、王族が先に動く。エレオノーラは父の動きに合わせて礼をとり、視線を上げた。


ヴィクトルは、地図のそばで側近に何かを短く伝えていた。報告書を閉じる手は落ち着いている。エレオノーラが礼をとると、ヴィクトルも北方大公として深すぎず、しかし確かに返した。顔を上げた時には、彼の視線はもう地図へ戻っていた。


部屋を出ると、廊下の光は少し強くなっていた。王宮の石床に落ちる窓の形が、来た時よりもはっきりしている。エレオノーラは父の隣を歩きながら、手元の控えを胸に抱えた。紙は薄い。けれどそこには、王都を出た量と、施療所で受け取られた量は同じではない、という今日の言葉が、まだ書かれていない形で残っている。


オルドリックはしばらく黙って歩いた。廊下の曲がり角を過ぎ、王妃府の侍女が少し離れたところで控えた時、ようやく低く言った。


「範囲は越えなかった」


褒め言葉の形ではなかった。だが、父がそう言う時、それは十分な言葉だった。エレオノーラは、胸の前で控えを持つ手に力を入れすぎないようにしながら答えた。


「お父様に、何が削られるかを見るようにと言われました。私には、全部は見えませんでした。でも、王都を出たものが届いたものとして扱われるところは、聞き落としてはいけないと思いました」


「それでよい。すべて見える者などいない。見えたものを、場に通る言葉にできるかどうかだ」


父の声は静かだった。エレオノーラは、その言葉を受け取りながら、もう一度報告の間を思い返した。ヴィクトルの指。文官の渋り。アレクシスの善意。ユリウスの構造を見る目。王妃の沈黙。王の承認。そして、自分の声が、そのどこへ置かれたのか。


答えはまだはっきりしない。ただ、王宮へ向かう朝に手にした席次の控えと、今胸に抱えている控えは、同じ紙ではないように感じた。そこに書かれた名前は変わっていない。けれど、その席に座った自分が何を聞き、どこで言葉を選んだのかは、もう紙の外に残っていた。


遠くで、別の扉が開く音がした。王宮のどこかで、今日の報告がもう別の書類へ移され始めているのだろう。エレオノーラは、その音を聞きながら歩いた。報告は終わったのではない。言葉が場所を変えただけだった。王宮の紙へ、文官の手へ、王妃府の控えへ、北方大公家の記録へ。そして、エレオノーラ自身の中へ。


その中で、ヴィクトルの声だけが、まだ地図の前に立っていた時のまま残っている。王都を出たものが、どこで止まり、どこで遅れ、どこで記録だけが先に進むのかを見なければならない。彼の言葉は、もう北方だけのものではなかった。エレオノーラは、それを王都の廊下で抱えたまま、父の隣を歩き続けた。

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