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婚約破棄された悪役令嬢は、白銀の大公に最愛を捧げられる  作者: ごゅみ
第一部 婚約破棄

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第四話 妃教育②

「今のが、まず一つです」


アデライードは静かに言った。


「あなたの優しさは残してよい。けれど、公の場へ出る者は、その優しさを相手が困らぬ形に整えなければなりません。王宮では、言葉の乱れは感情の乱れとして見られます。感情の乱れは、家の乱れとして見られます。家の乱れは、王家へ入る者の不安として見られます」


一つの言葉が、そこまで広がるのだと聞いて、エレオノーラは背中に冷たいものを感じた。昨日、侯爵夫人が、もう殿下をお支えしているのですね、と言ったとき、その言葉はただ自分を褒めただけではなかったのかもしれない。貴族の言葉は、表面の褒め言葉だけで終わらない。そこには、王太子と公爵家の関係、王妃の教育、周囲の期待、将来の役割まで含まれる。ならば、自分がナディアにどう話すかも、いずれ誰かに見られ、解釈されるのだろう。


「わたくしは、言葉を間違えると、ナディアにも迷惑をかけますか」


「かけることがあります」


祖母はごまかさなかった。


「けれど、今それを知ったなら、今日から変えればよいのです。妃教育とは、あなたを責めるためのものではありません。知らないまま王宮へ立たせないためのものです」


その言葉に、エレオノーラは少しだけ息がしやすくなった。知らないことを責められているのではない。知らないままでいないために、教えられている。母も、知らないものを知らないと言ってよいと言った。祖母は、知らないままではいけないと教えている。二つの言葉は違うようで、どちらも自分をどこかへ立たせるためのものだった。


アデライードは、ナディアに目を向けた。


「ナディア」


「はい、大奥様」


「あなたも聞いておきなさい。エレオノーラの言葉は、これから少しずつ変わります。冷たくなったのではありません。主として立つために、言葉を整えるのです。あなたは侍女として、それを受けなさい。必要があれば、体調や衣装についてはこれまで通り進言してよろしい。主人が幼いからといって、主人の代わりに判断しすぎてもなりませんし、主人が命じたからといって、身体を損ねる支度を進めてもなりません」


ナディアは深く礼をとった。


「心得ましてございます」


その返事に、エレオノーラは胸の奥が温かくなった。ナディアが離れていくわけではない。自分が言葉を変えたら、ナディアが傷つくのではないかと少し不安だった。けれど、ナディアの礼はいつもより少し深く、むしろ主人の変化を受け止める準備ができているように見えた。そこに寂しさがまったくないわけではなかったが、それは拒まれた寂しさではなく、昨日までの自分から少しだけ進むときの心細さだった。


朝食後、エレオノーラは祖母の私室へ移った。そこは母の私室よりも色が深く、壁には古い家系図の写しと、王家から贈られた小さな紋章額が掛けられている。窓際には重い机があり、その上には数冊の書物、封蝋の見本、貴族家の名簿、席次を示す小さな板が並べられていた。子どもの習い事にしては、あまりにも道具が重々しかった。刺繍枠や詩集が置かれていると思っていたわけではない。けれど、王家へ入る者の教育という言葉が、机の上に実物として並ぶと、胸の中でさらに重みを増した。


アデライードは、まず席次の板を示した。小さな駒には王家、公爵家、侯爵家、伯爵家、北方大公家、神殿代表、王妃付き女官長などの名が記されている。


「昨日の控えの間で、あなたはどこに立っていましたか」


エレオノーラは昨日の広間を思い出した。王妃の少し後ろ、アレクシスの近く、母から離れすぎない場所。彼女は駒を一つずつ見て、自分の位置を示した。祖母は黙って見ている。


「ここです」


「その位置は、誰が決めたと思いますか」


「王宮の侍従でしょうか」


「侍従が勝手に決めることはありません。王妃殿下の意向、国王陛下のお許し、王太子殿下との距離、ヴァルクレスト家の格、ほかの貴族家への示し。そのすべてを見て、王宮の者が整えます。あなたがそこに立つということは、あなた一人の場所ではなく、複数の意味が重なった場所に立つということです」


エレオノーラは駒を見つめた。小さな木片にすぎないのに、そこには昨日の視線が戻ってくる。貴族たちが彼女を見た理由。侯爵夫人が褒めた理由。アレクシスが何度も振り返った理由。ヴィクトルが彼女の立ち方を見た理由。すべてが同じ場所にあったわけではないが、その場所を知らなければ、なぜ見られるのかも分からなくなる。


「妃教育では、まず自分の立つ場所を覚えなければなりません。立つ場所を知らぬ者は、言葉の重さも測れません。王太子殿下の婚約者としてその近くに立つ以上、殿下を立てる言葉、王妃殿下へ返す言葉、国王陛下の前で控える言葉、使用人へ命じる言葉、そのすべてを同じにしてはなりません」


誰にでも同じように話すことは、優しさではない。エレオノーラはその言葉を聞き、胸の中で少し痛みを感じた。自分は優しくしたかった。ナディアにも、下働きの少女にも、誰に対しても、柔らかく言葉を返すのがよいことだと思っていた。けれど、公爵令嬢として、王家へ入る者としては、それだけでは足りない。相手を見て、場を見て、言葉を変える。そうしなければ、相手を大切にしているつもりで、相手の立場を消してしまう。


「お祖母様、では、わたくしは冷たく見えるようになりますか」


問いは、思っていたより静かに出た。アデライードは少しだけ目を細めた。


「見えることもあるでしょう」


否定されなかった。エレオノーラは膝の上の手を見た。冷たく見える。それは怖いことのように思えた。アレクシスは明るい人だ。笑うと周囲が和らぐ。自分も、彼の隣に立つなら少しでも柔らかくいなければならないのではないかと思っていた。だが祖母は、そこで慰めず、続けた。


「けれど、すべての者に温かく見せることは、王家へ入る者の務めではありません。温かくあることと、温かく見えることは違います。あなたが守るべきもののために、冷たく見える日もあります。大事なのは、本当に冷酷になることではありません。自分が何のためにその言葉を選んだのかを、見失わないことです」


その言葉は難しかった。けれど、エレオノーラは昨日のヴィクトルを思い出した。彼の言葉は冷たく聞こえた。座らないのか。倒れてから続けるものではない。礼を言うなら、次は早く座れ。どれも甘くない。けれど、冷酷ではなかった。むしろ、エレオノーラが倒れないようにする言葉だった。冷たく聞こえることと、冷たいことは違うのかもしれない。そう考えると、祖母の言葉が少しだけ分かるような気がした。


午前の教育は、席次だけで終わらなかった。王家の紋章の変遷、王妃が主宰する慈善の場、神殿の祝福式で王族女性が立つ位置、主要貴族の夫人たちがどの順で挨拶に来るか、封蝋が割れていた場合に誰へ報告するか。祖母は一度にすべてを覚えろとは言わなかったが、最初の日から軽いものだけを渡すつもりもなかった。エレオノーラは途中で何度か、机の上の駒や封蝋の見本を見ながら、自分が本当に七歳なのか分からなくなるような感覚を覚えた。けれど、昨日の王宮で自分に向けられた視線を思い出すと、これらが遠い大人の話ではないことも分かった。


昼近くになり、祖母がようやく休憩を告げたとき、エレオノーラは自分が喉を乾かしていたことに気づいた。昨日の果実水のことを思い出し、今度は我慢しすぎる前に言おうとする。だが、その前にアデライードが小さな鈴を鳴らした。ナディアが入ってくる。彼女はすでに温かい茶と軽い菓子を用意していた。


「お嬢様、お茶をお持ちいたしました」


エレオノーラは、いつものように、ありがとうございます、と言いかけた。礼を言ってはいけないわけではない。けれど、祖母が見ている。妃教育の中で、言葉を選ぶ練習はもう始まっている。ナディアは、自分に仕える侍女として茶を持ってきた。感謝は持ってよい。けれど、それをどう形にするかは、主人として考えなければならない。


エレオノーラは一度だけ息を吸った。


「ナディア、こちらへ置いて」


「かしこまりました」


ナディアは机の右側へ茶を置いた。エレオノーラは杯を持ち、ひと口飲んだ。温かさが喉を通る。言葉を変えたからといって、茶の味が変わるわけではない。ナディアの手つきが冷たくなるわけでもない。むしろ、主人がどこへ置いてほしいかを示したことで、動きがはっきりした。エレオノーラはそのことを覚えようとした。


「熱すぎませんか」


ナディアが尋ねた。これは侍女として主人の体調を見る問いだ。エレオノーラは頷いた。


「ちょうどよいわ。ありがとう」


そのありがとうは、自然に出た。祖母は何も言わなかった。許されたのだと分かり、エレオノーラは少し安心した。礼を失くすわけではない。へりくだるのではなく、必要なところで受け取り、必要なところで伝える。それがどこまでならよいのか、まだすべては分からない。けれど、いまの言葉ならナディアの役目を崩さなかったのだと、祖母の沈黙が教えてくれた。


休憩のあと、アデライードは紙を一枚取り出した。そこには、王宮で使う呼称と、屋敷で使う呼称が分けて書かれていた。国王陛下、王妃殿下、王太子殿下、北方大公閣下、アシュベル大公家の嫡男、ヴァルクレスト公爵、公爵夫人、先代公爵夫人、家令、侍女、従僕。相手によって、呼びかけも、返事も、許される柔らかさも変わる。


「たとえば、王妃殿下には」


「最上位の敬意を持って、短く、余計な私情を挟まないようにいたします」


「王太子殿下には」


「公の場では殿下とお呼びし、私的な庭や王妃殿下のお許しのある場でも、軽々しく名を崩しません」


「お前の父には」


「屋敷の中では、お父様と。王宮や他家の方々の前では、ヴァルクレスト公爵閣下、または父と呼びます」


「侍女には」


エレオノーラは、少しだけ間を置いた。ナディアが部屋の端に控えている。祖母は待っている。


「名を呼び、必要なことを任せます。許しを求めるようにではなく、役目を信じて。けれど、体調や支度について進言があれば聞きます」


アデライードは、初めて少しだけ満足そうに頷いた。


「よろしい」


その一言で、エレオノーラは自分の胸の中に小さな灯りがともるのを感じた。アレクシスに褒められたときの明るさとは違う。母に美しいと言われたときの温かさとも違う。祖母に認められることは、石の階段を一段だけ上がれたような重さがあった。嬉しいのに、軽くはない。

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