表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掌の天蓋  作者: 春凪一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/30

第26話「神崎の覚悟」

 残り十日。天蓋の崩壊は加速していた。


 格子線の三分の一が消失し、空はまだら模様になっていた。天蓋がある部分は蒼白く光り、消失した部分からは本来の宇宙が透けて見える。二つの空が混在する──人類が初めて見る光景。


 夜になると、その異様さが際立った。天蓋のある区画は以前と同じ蒼白い夜空。天蓋のない区画からは、フィルターのかかっていない本来の星が見える。色が違う。明るさが違う。同じ空なのに、パッチワークのように異なる世界が隣り合っている。


 子供たちが空を指差して「あっちのお星さまとこっちのお星さま、色が違うね」と言った。親たちは答えられなかった。


---


 最初の犠牲者が出たのは、崩壊開始から八日目だった。


 格子線が消失するとき、微弱な電磁パルスが放出される。通常は人体に影響のないレベルだが、太い格子線──グリッドの主幹に当たる部分──が解けるとき、パルスの強度が跳ね上がる。


 北海道上空の主幹格子線が消失した夜、直下の住宅街でペースメーカーを使用していた高齢者が三名、心停止した。うち二名は蘇生したが、一名は戻らなかった。


 ニュースは「原因調査中」と報じた。管理局は声明を出さなかった。黒田の指示──「事実だけを伝えろ」は、事実すら伝えないことを意味していた。凛はそのニュースを見て、黒田の苦渋を想像した。管理とは──選ぶことだ。何を守り、何を見捨て、何を黙るかの選択。


 澪が凛の隣でニュースを見ていた。


 「──この人は、天蓋のせいで?」


 「直接の因果関係は証明できない。──だが、間接的にはそうだ」


 「間接的に、でも、亡くなっている」


 凛は答えなかった。探求にも管理にも否定にも、犠牲が伴う。どの道を選んでも。


---


 神崎からの最後の通信が届いたのは、その翌日だった。


 暗号化されていない。平文。神崎は──もう隠れることをやめていた。



 灰島。


 穴に入った。

 管理局の封鎖が解かれた。


 穴の内側は──前と違う。

 前回は黒い闇だった。

 今は──光っている。白い光。眩しいくらいだ。


 そして声が聞こえる。前回と同じ。

 「もう一度」。


 今度は意味が分かる。

 「もう一度」は命令じゃない。──確認だ。

 「もう一度やるぞ」という、自分自身への宣言。


 天蓋は壊れない。分かっている。

 俺がどれだけ叩いても、穴の内側から何をしても、

 天蓋は天蓋のままだ。


 だが──否定し続けることに意味がある。

 「これは檻ではない」と言い続ける人間が

 一人でもいる限り、人間は家畜ではない。


 灰島。お前は理解しろ。

 俺は否定する。

 黒田は守る。


 三つ揃って──人間だ。


 ── 神崎



 凛は通信を読み終えた。


 神崎は穴の中に入った。戻ってこないかもしれない。──だが神崎はそれを覚悟の上で選んでいる。


 凛は窓の外を見た。まだら模様の空。崩れかけた天蓋。その向こうに見える本来の星。


 三つの道が、同時に走り始めた。


---


 崩壊は日を追うごとに速くなった。


 残り七日。格子線の半分が消失。空のあちこちに暗い窓が開き、天蓋のない宇宙が覗いている。昼間でも、天蓋のない区画では星が見える。太陽の光が天蓋のフィルターを通らず直接降り注ぐ区画が現れ、地上に色温度の境界線ができた──天蓋越しの日光は僅かに青みがかり、直射の日光は赤みが強い。同じ道路の左右で、光の色が違う。


 人々は──それでも、日常を過ごしていた。


 コンビニは営業していた。電車は(やや乱れながらも)走っていた。子供たちは学校に行った。教師は授業の代わりに空を見上げ、「今日は理科の代わりに宇宙の授業にしましょう」と言った。


 残り五日。格子線の八割が消失。


 初めて、「夜が明るい」現象が起きた。消失した格子の残骸──まだ空中に漂っている光の繊維が、太陽光を散乱させた。夜なのに、空全体が薄く白く光っている。月のない夜なのに文字が読めるほどの明るさ。


 千年前の記録にあった「三日間、昼と夜の区別がなくなった」の前兆だった。


 残り三日。格子線の九割五分が消失。


 昼夜の区別が本格的に曖昧になった。


 残った格子線の断片が空中を漂い、太陽光と反応して虹色の帯を作る。夜は散乱光で空が白く輝き、昼は逆に、天蓋のフィルターが消えた区画が暗く見える。脳が混乱する。時計を見ないと今が昼なのか夜なのか分からない。


 眠れなくなった人が続出した。体内時計が狂う。夜になっても空が光り続けることで、体が「まだ昼だ」と錯覚し、眠気が来ない。管理局はアイマスクの配布を指示したが、届かない地域もあった。


 病院の救急外来がパンクした。ペースメーカーの不調、不眠症、パニック発作。天蓋の崩壊が直接殺さなくても──間接的に、静かに、人間を蝕んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ