第23話「取り戻す」
残り95日。
管理局本部の地下ラボ。凛は黒田から与えられた研究スペースで、天蓋の六芒星パターンの解析に没頭していた。
桐谷が隣で管理局の内部データを整理し、澪が定期的にコーヒーを運び、HIKARUが画面の上で計算を回し続ける。奇妙なチームだった。追放された研究者、クビになった分析官、哲学科卒の受容派の女性、そして死者の記憶で動く対話AI。
管理局のスーパーコンピュータが弾き出したシミュレーション結果を、凛は検証していた。天蓋の穴の拡大予測。脱皮のタイミング。
HIKARU『凛さん。シミュレーション完了です。
結果──盤面更新は段階的に進行します。
フェーズ1:穴の出現と拡大(現在進行中)
フェーズ2:旧グリッドの崩壊(残り約60日後に開始)
フェーズ3:新グリッドの生成(旧グリッド崩壊の翌日から)
フェーズ4:安定化(約3日間)
千年前の記録と一致します。
「三日間、昼夜の区別がなくなった」のは、
フェーズ3の新グリッド生成中です。
そして──ここが重要なのですが──
フェーズ2とフェーズ3の間に、約12時間の空白がある。
旧グリッドが消えてから、新グリッドが現れるまでの間。
その12時間、天蓋は──存在しません。』
凛は画面を凝視した。
天蓋が消える十二時間。人類の歴史上、天蓋が存在しなかった時間は記録にない──天蓋の発見以前を除けば。
「その十二時間に何が起きる」
HIKARU『分かりません。
天蓋が上位存在の観測装置だとすれば、
12時間だけ観測が止まる。
観測されていない12時間。
──それは「自由」ではありませんか?』
凛は息を呑んだ。
観測されていない時間。上位存在の視線が外れる瞬間。量子力学では、観測されていない粒子は「不確定」の状態にある。天蓋が消えたとき、人間の自由意志は──
「──観測されていない状態の自由意志こそが、"本物"の自由意志かもしれない」
HIKARU『そして第二応答の受信条件。
「観測者の意志が"設計されていない"こと」。
天蓋が消えている12時間なら──
上位存在の設計から解放される。
条件を完全に満たす唯一の時間。
第三応答──もしそれが存在するなら──
この12時間が、最後のチャンスです。』
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凛はこの発見を黒田に報告した。
黒田は長い間考え込み、それから言った。
「十二時間の空白。──管理局としては、その時間を安全に乗り切ることが最優先だ」
「分かっている。だがその十二時間に──」
「第三応答を狙う、か」
凛は頷いた。
黒田は凛を見た。
「灰島。お前は変わったな」
「何が」
「以前のお前なら、俺に相談せずに一人で突っ走っただろう」
凛は苦笑した。「──八日間の独房が効いた」
「独房ではない。椎名さんだろう」
凛は答えなかった。だが否定もしなかった。
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その夜、凛はアパートの屋上に出た。管理局の拠点からは離れた、かつての安アパート。もう住んではいないが、鍵はまだ持っている。
屋上に上がった。天蓋のグリッドが頭上に広がっている。穴が──七つ。蒼白い光の網の中に、暗い空洞が散在している。星が直接見える穴。天蓋のフィルターを通さない、本来の星空。
凛は穴の一つを見つめた。
穴の向こうに見える星は、天蓋越しに見る星とは微妙に色が違った。天蓋が何らかのフィルターをかけていることを、凛は知っていた。色温度の微調整、輝度の均一化。人間が知覚する「空」は、天蓋によって加工された空だ。
穴の向こうの星は──生々しかった。加工されていない、そのままの光。
「お前たちは」凛は天蓋に向かって言った。「俺たちに何を見せてきたんだ」
返事はない。だが追従反応は──今夜、いつにも増して強い。凛の直上のグリッドが明滅している。断続的に。まるで──
まるで息を荒くしているように。
HIKARU『凛さん。
リモートで観測データを見ています。
天蓋の追従反応が──変化しています。
通常の遅延0.3秒ではなく──0.15秒。
天蓋が凛さんに「近づいて」います。
あの日──第二応答を受信した日と同じパターンです。
ただし今回は、凛さんから信号を送っていない。
天蓋の方から──近づいてきている。』
凛は空を見上げた。天蓋の格子が──微かに震えている。
「──お前も、何かを待っているのか」
天蓋は答えない。ただ光が揺れた。風もないのに。
残り94日。




