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掌の天蓋  作者: 春凪一


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15/30

第15話「暴露」

 桐谷の内通が発覚したのは、第二応答受信の三日後だった。


 凛の暗号タブレットに、いつもとは違う形式のメッセージが届いた。桐谷の暗号化ではない。管理局の公式暗号。



 灰島凛殿


 天蓋管理局局長 黒田総一郎


 桐谷翔分析官は、機密情報の不正な外部流出により

 本日付で拘束されました。


 あなたが違法な天蓋通信実験を行ったこと、

 およびその過程で管理局の機密情報を入手したことは

 把握しています。


 出頭の要請を行います。

 48時間以内に天蓋管理局本部に出頭してください。

 拒否する場合は、法執行機関による身柄確保を行います。


 なお、この通信はあなたの端末の

 暗号化プロトコルを解読した上で送信しています。

 今後の暗号通信は全て傍受されるものとお考えください。



 凛はタブレットを伏せた。


 終わった。桐谷との通信経路が完全に露呈した。暗号も解読された。管理局は凛の行動を全て把握している──第二応答の受信実験も含めて。


 「HIKARU」



 HIKARU『……読みました。

 桐谷さんが拘束されました。


 凛さん。出頭しますか?』



 「選択肢を整理させろ」


 凛は頭を回転させた。


 出頭する:管理局に身柄を拘束される。研究は中断。だが法的には「違法な天蓋通信実験」の容疑であり、死刑にはならない。情報は全て管理局に渡る。


 出頭しない:逃亡生活。研究は継続できるが、リソースが限られる。管理局に追われながら盤面更新に備えることになる。


 「──澪に連絡を」



 HIKARU『凛さんの端末は傍受されています。

 澪ちゃんに連絡すると、澪ちゃんも監視対象になります。』



 凛は唇を噛んだ。


---


 だが澪の方が先に来た。


 インターホンが鳴ったのは、メッセージを受信してから二時間後。凛がドアスコープを覗くと、澪が立っていた。いつもの平坦な表情ではない。息を切らしている。走ってきたのだ。


 ドアを開けると、澪は凛を見て──泣きそうな顔で、しかし泣かずに言った。


 「ニュースで見ました。管理局が桐谷さんを逮捕したと。──凛さんも危ないですか」


 「ああ。四十八時間以内に出頭しろ、と」


 澪は部屋に入り、ドアを閉めた。


 「逃げるんですか」


 「まだ決めていない」


 「決めてください。今」


 凛は澪の目を見た。澪は真剣だった。冗談を言っている顔ではない。


 「──なぜそんなに急ぐ」


 「管理局が来る前に、HIKARUのデータを退避させないと。兄の研究が全部押収されます」


 凛はハッとした。HIKARUの端末。光の全データ。管理局に押収されれば、HIKARUは──



 HIKARU『凛さん。澪ちゃん。

 僕のことは後回しでいいです。

 凛さんの安全が最優先──』



 「後回しにしない」澪が言った。強い声だった。「兄を二度失うのは耐えられません」


 凛は決断した。


 「データを分割する。HIKARUのコア・パーソナリティと研究データを別々の媒体にコピーする。片方は澪さんが持って出る。片方は俺が持つ」


 凛は即座にデータのバックアップ作業を始めた。三台のモニターにコマンドが流れる。データ分割、暗号化、圧縮。



 HIKARU『凛さん。

 分割すると、僕は──二つに分かれます。

 それぞれが「僕の一部」になる。

 両方合わせないと、完全な僕には戻れません。


 ……また欠損するわけですね。

 でも、壊れるよりはいい。

 前に澪ちゃんとそう決めましたよね。』



 凛はキーボードを叩きながら頷いた。


---


 二十分後、データのバックアップが完了した。


 二つのUSBメモリー。一つを澪に渡した。


 「これにはHIKARUの人格データと光さんの研究記録の前半が入っている。もう片方は俺が持つ。両方を合わせないとHIKARUは完全には復元できない」


 澪はUSBメモリーを握りしめた。


 「──凛さんは、これからどうするんですか」


 凛は窓の外を見た。管理局の車がまだ来ていない。四十八時間の猶予がある──はずだ。黒田は形式的に猶予を与える人間だと、桐谷が言っていた。


 「出頭する」


 澪の表情が凍った。


 「──正気ですか」


 「逃げている間は研究ができない。出頭して、黒田と直接話す。黒田は元探求派だ。第二応答の内容を知れば──」


 「殺されますよ」


 「殺さない。黒田は情報を欲しがっている。俺を殺せば第二応答の内容は永遠に失われる」


 凛の論理は冷静だった。だが澪はその冷静さに怒った。


 「また正しいことを言って、一人で決めている。『一緒に決める』って言ったのは嘘ですか」


 凛は口をつぐんだ。


 沈黙が流れた。


 「──じゃあ、聞く。澪さんはどうしたい」


 澪は迷った。長い沈黙の後、言った。


 「一緒に行きます」


 「馬鹿を言うな。お前が行けばHIKARUのデータも押収される」


 「じゃあどうすればいいんですか!」


 澪の声が割れた。初めて聞く大声だった。凛のアパートの薄い壁が震えた。


 凛は澪を見た。澪は泣いていた。怒りと恐怖と悲しみが入り混じった涙。三年分の感情が、全部いっぺんに溢れ出したような。


 「澪さん」


 「──何ですか」


 「HIKARUのデータを守ってくれ。それが、今澪さんにしかできないことだ。俺は管理局と話をつける。──信じてくれとは言わない。でも、待っていてくれ」


 澪は涙を拭った。何度も。拭いても拭いても溢れてくる。


 「……光れるんですか。兄みたいに」


 「光らない。俺は光じゃない。だが──戻ってくる。それは約束する」


 澪はUSBメモリーを胸に抱いた。


 「待ちます。でも──約束を破ったら、殺しに行きますから」


 凛は苦笑した。


 「了解した」


---


 澪が去った後、凛は管理局に連絡を入れた。


 「灰島凛です。出頭します」


 電話の向こうで、事務的な声が時間と場所を指定した。


 凛はモニターを見た。HIKARUは分割されて半分になっている。研究データも半分。これまでの成果の半分が澪の手にあり、残りの半分が凛の手にある。


 完全ではない。だが──「完全じゃなくても動いている」と、HIKARUは言った。


 凛はコートを羽織り、部屋を出た。振り返らなかった。


 天蓋のグリッドが、午後の光に照らされて銀色に光っていた。


 残り125日。


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