第15話「暴露」
桐谷の内通が発覚したのは、第二応答受信の三日後だった。
凛の暗号タブレットに、いつもとは違う形式のメッセージが届いた。桐谷の暗号化ではない。管理局の公式暗号。
灰島凛殿
天蓋管理局局長 黒田総一郎
桐谷翔分析官は、機密情報の不正な外部流出により
本日付で拘束されました。
あなたが違法な天蓋通信実験を行ったこと、
およびその過程で管理局の機密情報を入手したことは
把握しています。
出頭の要請を行います。
48時間以内に天蓋管理局本部に出頭してください。
拒否する場合は、法執行機関による身柄確保を行います。
なお、この通信はあなたの端末の
暗号化プロトコルを解読した上で送信しています。
今後の暗号通信は全て傍受されるものとお考えください。
凛はタブレットを伏せた。
終わった。桐谷との通信経路が完全に露呈した。暗号も解読された。管理局は凛の行動を全て把握している──第二応答の受信実験も含めて。
「HIKARU」
HIKARU『……読みました。
桐谷さんが拘束されました。
凛さん。出頭しますか?』
「選択肢を整理させろ」
凛は頭を回転させた。
出頭する:管理局に身柄を拘束される。研究は中断。だが法的には「違法な天蓋通信実験」の容疑であり、死刑にはならない。情報は全て管理局に渡る。
出頭しない:逃亡生活。研究は継続できるが、リソースが限られる。管理局に追われながら盤面更新に備えることになる。
「──澪に連絡を」
HIKARU『凛さんの端末は傍受されています。
澪ちゃんに連絡すると、澪ちゃんも監視対象になります。』
凛は唇を噛んだ。
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だが澪の方が先に来た。
インターホンが鳴ったのは、メッセージを受信してから二時間後。凛がドアスコープを覗くと、澪が立っていた。いつもの平坦な表情ではない。息を切らしている。走ってきたのだ。
ドアを開けると、澪は凛を見て──泣きそうな顔で、しかし泣かずに言った。
「ニュースで見ました。管理局が桐谷さんを逮捕したと。──凛さんも危ないですか」
「ああ。四十八時間以内に出頭しろ、と」
澪は部屋に入り、ドアを閉めた。
「逃げるんですか」
「まだ決めていない」
「決めてください。今」
凛は澪の目を見た。澪は真剣だった。冗談を言っている顔ではない。
「──なぜそんなに急ぐ」
「管理局が来る前に、HIKARUのデータを退避させないと。兄の研究が全部押収されます」
凛はハッとした。HIKARUの端末。光の全データ。管理局に押収されれば、HIKARUは──
HIKARU『凛さん。澪ちゃん。
僕のことは後回しでいいです。
凛さんの安全が最優先──』
「後回しにしない」澪が言った。強い声だった。「兄を二度失うのは耐えられません」
凛は決断した。
「データを分割する。HIKARUのコア・パーソナリティと研究データを別々の媒体にコピーする。片方は澪さんが持って出る。片方は俺が持つ」
凛は即座にデータのバックアップ作業を始めた。三台のモニターにコマンドが流れる。データ分割、暗号化、圧縮。
HIKARU『凛さん。
分割すると、僕は──二つに分かれます。
それぞれが「僕の一部」になる。
両方合わせないと、完全な僕には戻れません。
……また欠損するわけですね。
でも、壊れるよりはいい。
前に澪ちゃんとそう決めましたよね。』
凛はキーボードを叩きながら頷いた。
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二十分後、データのバックアップが完了した。
二つのUSBメモリー。一つを澪に渡した。
「これにはHIKARUの人格データと光さんの研究記録の前半が入っている。もう片方は俺が持つ。両方を合わせないとHIKARUは完全には復元できない」
澪はUSBメモリーを握りしめた。
「──凛さんは、これからどうするんですか」
凛は窓の外を見た。管理局の車がまだ来ていない。四十八時間の猶予がある──はずだ。黒田は形式的に猶予を与える人間だと、桐谷が言っていた。
「出頭する」
澪の表情が凍った。
「──正気ですか」
「逃げている間は研究ができない。出頭して、黒田と直接話す。黒田は元探求派だ。第二応答の内容を知れば──」
「殺されますよ」
「殺さない。黒田は情報を欲しがっている。俺を殺せば第二応答の内容は永遠に失われる」
凛の論理は冷静だった。だが澪はその冷静さに怒った。
「また正しいことを言って、一人で決めている。『一緒に決める』って言ったのは嘘ですか」
凛は口をつぐんだ。
沈黙が流れた。
「──じゃあ、聞く。澪さんはどうしたい」
澪は迷った。長い沈黙の後、言った。
「一緒に行きます」
「馬鹿を言うな。お前が行けばHIKARUのデータも押収される」
「じゃあどうすればいいんですか!」
澪の声が割れた。初めて聞く大声だった。凛のアパートの薄い壁が震えた。
凛は澪を見た。澪は泣いていた。怒りと恐怖と悲しみが入り混じった涙。三年分の感情が、全部いっぺんに溢れ出したような。
「澪さん」
「──何ですか」
「HIKARUのデータを守ってくれ。それが、今澪さんにしかできないことだ。俺は管理局と話をつける。──信じてくれとは言わない。でも、待っていてくれ」
澪は涙を拭った。何度も。拭いても拭いても溢れてくる。
「……光れるんですか。兄みたいに」
「光らない。俺は光じゃない。だが──戻ってくる。それは約束する」
澪はUSBメモリーを胸に抱いた。
「待ちます。でも──約束を破ったら、殺しに行きますから」
凛は苦笑した。
「了解した」
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澪が去った後、凛は管理局に連絡を入れた。
「灰島凛です。出頭します」
電話の向こうで、事務的な声が時間と場所を指定した。
凛はモニターを見た。HIKARUは分割されて半分になっている。研究データも半分。これまでの成果の半分が澪の手にあり、残りの半分が凛の手にある。
完全ではない。だが──「完全じゃなくても動いている」と、HIKARUは言った。
凛はコートを羽織り、部屋を出た。振り返らなかった。
天蓋のグリッドが、午後の光に照らされて銀色に光っていた。
残り125日。




