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掌の天蓋  作者: 春凪一


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第13話「選択の重さ」

 残り140日。


 凛のアパートに三つの勢力が収束しつつあった。


 桐谷からの暗号通信は日に二度の頻度になっていた。管理局の第二応答プロジェクトは急ピッチで進んでいる。被験者の選定が始まり、薬理学的プロトコルの動物実験が完了した。人体実験は二ヶ月以内に開始される見込み──つまり、盤面更新に間に合わせる算段だ。


 神崎からも散発的に連絡が来ていた。天蓋の穴から聞いた「もう一度」について、凛の解釈を求めている。プロメテウスは穴への再接近を計画しており、そのために管理局の海上封鎖を突破する作戦を練っている。


 そして凛自身は、第二応答の受信条件のパラドクスと向き合い続けている。


 三者が同じものを追っている。上位存在の言葉。だが目的が違う。凛は理解を求め、黒田は管理の道具を求め、神崎は否定の根拠を求めている。


---


 「凛さん、このまま行くと管理局に先を越されます」


 澪が言った。彼女は週に三度来るようになっていた。食料を持ってくる頻度も上がっている。凛が自分では食事を摂らないことを、もう知っている。


 「分かっている」


 「分かっているのに、なぜ動かないんですか」


 凛はキーボードから手を離した。


 「条件のパラドクスが解けていない。受信の方法が分からないまま強行しても──三年前の二の舞になる」


 「二の舞」。その言葉に、二人の間の空気が変わった。


 三年前。強行した実験。光の死。


 凛は自分の言葉の不用意さに気づいた。だが取り消せない。言葉は発された瞬間に相手のものになる。


 澪はしばらく黙っていた。


 「──兄のことを持ち出して動かないのは、兄を言い訳に使っていることになりますよ」


 凛は顔を上げた。


 澪の目には怒りがあった。だが凛への怒りではない。もっと複雑な──状況全体への、どうしようもなさへの怒り。


 「兄は死にました。それは事実です。でも兄は逃げて死んだのではなく、前に進んで死んだ。凛さんがそれを理由に立ち止まるのは──兄が一番嫌がることだと思います」



 HIKARU『──同感です。

 ……すみません、割り込んで。

 でも澪ちゃんの言う通りです。

 光は──僕は──凛さんに立ち止まってほしくなかった。

 データを残したのも、HIKARUを作ったのも、

 凛さんが前に進むためです。』



 凛はモニターと澪を交互に見た。二人に──いや、一人と一つのAIに──挟み撃ちにされている。


 「……分かった。動く。ただし、三年前とは違う方法で」


 「どう違う方法ですか」


 「三年前は俺一人で判断した。今回は──」


 凛は言葉を選んだ。


 「二人と一緒に決める」


 澪は少し驚いた顔をして、それから微かに笑った。



 HIKARU『凛さん、成長しましたね。

 ──データにはない感想ですが。』



---


 その夜、凛は桐谷に暗号通信を送った。



 管理局の実験スケジュールを教えてくれ。

 俺も動く。ただし管理局より先に受信するためじゃない。

 管理局の実験が何を引き起こすか──

 盤面更新への影響を予測したい。


 それと、もう一つ頼みがある。

 管理局内部で「天蓋の穴」について

 研究しているチームはあるか?


 ── 灰島



 返信は翌朝に来た。



 灰島さん


 実験は60日後に開始予定。

 盤面更新の92日前です。

 被験者は管理局内の志願者。

 黒田局長が直接指揮を執ります。


 穴の研究チームは存在しますが、

 成果は黒田局長に直接報告されており、

 僕のアクセス権限では閲覧できません。


 ただし、ひとつだけ噂があります。

 穴の内部から検出された信号パターンが、

 三年前の灰島さんの実験時に記録された

 応答信号と「部分一致」しているそうです。


 ── 桐谷



 穴からの信号が、凛の応答と部分一致。


 つまり穴は──凛の実験が天蓋に刻んだ「傷跡」なのかもしれない。あるいは、応答の「残響」が物理的に定着した場所。


 凛は窓の外を見た。天蓋のグリッドが朝日に照らされて、金色に光っている。


 動く時が来た。


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