壱拾俉
ぐう、と鳴った音が部屋に妙に響いた。
高氏が一瞬きょとんとした後、腹を抱えて笑い出す。
「ははっ、なんだ、腹が減っていたのか?高国が先に飯にしようと言っていたのはこのためか」
「……………」
お腹が鳴るのは普通の事なのに、お腹を抱えてまで笑う意味が分からない。
「よしよし! 戦の話より、まずは腹だな!」
高氏がぐしゃぐしゃと不愛想なシイの頭を撫でる。
高国に子ども扱いされるは嬉しいのに、高氏にされるとうっとうしい以外ないから、不思議だ。
眉間に皺を寄せていると高氏はまた笑った。シイの気持ちも分かってやっているらしい。
高国が立ち上がって障子を開け、誰かへ指示をしてくれている。
高師直という男も立ち上がった。
「——では、私はこれで」
「ん?お前は食べてかないのか」
「今のうちに方々へ根回しをせねばなりませんので」
そう言って高師直はちらりと高国を見た。一緒に行かないのか、という顔をしているように思うから、出て行ってしまうのかと思ったら高国はまたシイの横に座った。
そのまま表情を変えずに呟く。
「私も、後程参ります」
「ほう……」
高師直はまじまじと、何故かシイの方を見てから部屋を出て行った。
どかどかという大きな足音と入れ替わりで、お膳がすぐに運ばれてきた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
久しぶりのちゃんとした食べ物の匂いだ。
座敷に並んだ膳にシイは釘付けになった。
大きな焼き魚。青々とした葉っぱの炊いたのに、温かい汁。そして——輝くような白い飯。その白い飯の隣には何かの佃煮が添えられていた。
見ただけで涎が出てくる。
「好きなだけ食べていいよ」
高国が優しく言う。
シイはこくりと頷き、箸を持った。
箸を使うのも久しぶりだ。街の人に紛れて暮らしたとはいえ、貧しい流れ者は箸を使うような食事をしない。
それでも、シイは練習だけは欠かさなかった。
高国に教えてもらったものはすべて、忘れたくなくて。
木の棒を拾ってはずっと練習を重ねていた。
いつもはごつごつした細い木の棒だったけど。今は綺麗に整えられた艶やかな木の箸。上手にできるか心配だったけど、なんとか使って白いご飯を取ることができた。
つやつやに光る白いご飯。一口口に運べば、甘やかな味がジワリと口に仲に広がった。
頭が真っ白になるくらい、涙が出るくらい——美味しい。
本当に美味しいと言葉も出ないんだ。実際に涙ぐんで、一心に米を食べるシイを高国がじっと見つめていた。
「シイ。魚も食べるんだよ。急に食べ過ぎたら、お腹がびっくりするから、ゆっくりね」
「うん」
シイは言われて魚に箸を伸ばした。頭から食べる。
塩の味が効いた、新鮮な魚の身。頭はカリカリして、身はふわふわして。そして、内臓の苦みが溜まらなく美味しい。
ボリガリボリ——骨を噛み砕く音が室内に響く。
「おい……音を立てずに食え——って、おい、骨食べてんのか!?」
高氏がびっくりして大声を上げる。
「兄上。シイは歯が丈夫なんです」
「いや、それにしたってな」
「これが普通らしいですよ。ほら、以前もそうだったでしょう」
「いや——」
「兄上」
珍しく高国が強い調子で押し通るものだから、高氏もそれ以上は何も言わなかった。
「そんなに気に入ったのなら……私の魚もやろうか」
「えっ」
シイが身を乗り出したのを、高国が制した。
「兄上はちゃんと食べてください。シイ。私のをやろう。足りなければまだ持って来るから」
「……高国さまも、食べてる?」
見れば高国の膳はまだ手付かずだった。
身体の調子でも悪いんだろうか。シイは心配になって箸を置いた。高国が心配するな、と笑った。
「シイが食べているのを見たら、嬉しくてお腹が膨れたんだ」
「え、でも……」
「シイはすっかり細くなってしまったな。背は伸びたのに、細いのは相変わらずだ。もっと食べて太らないといけない」
この言葉にシイは懐かしくなって頬を緩めた。
太らせて、たぬき鍋にされるのかと考えた事もあった。まだ幼くて、あの時は何も知らなかった。
今はもう少し分かるようになったと思う。高国がまだ子供ながらに自分を守ってくれたことを。
「僕、高国様が教えてくれたから……魚を獲れるようになって、冬も、困らなかったんだ」
「そうか」
「うん。他にも。たくさん、ずっと、大切な思い出……」
シイのお皿と高国のお皿が取り換えられた。
またボリボリと音を立てながら、シイは魚にかぶりついた。静かな室内に、骨を砕く音が響く。
「まったく……」
食事を終えて、高氏がにやりと笑った。
「久しぶりの再会しても、前とちっとも変わらないんだな、お前達は」
ずず、と高国の淹れたお茶をすする。
「随分過保護になるじゃないか。そいつももう子供じゃないだろう」
「まだ子供です」
「僕、もう——」
子供じゃない、そう言おうと思ったのに、シイの言葉は無視されて兄弟で会話が進んでいった。
「てっきり高師直と行くと思ったのに。シイがいると途端に腰が重くなるのか?お前は」
「私が急がなくても、彼がちゃんとやってくれるでしょう」
「お前の口からそんな台詞を聞くことになるとはなあ」
「……………」
「ま、綸旨が出た以上、北条も必ず動き出す。こちらも早急に準備をしないとな」
「はい」
ぴり、と一気に部屋の空気が変わった。
それを敏感に感じ取った高国の裾を、シイは思わず掴んでしまう。
それに気づいて高国はその手をそっと包み込んだ。
「大丈夫。シイは私の側にいればいいから」
「戦?高国様、戦うの?」
それは、とても危ない事じゃないんだろうか。
こんな大軍勢、きっと大きな戦になる。たくさんの馬と、たくさんの鉄の臭い。
きっとものすごい量の血が流れる。
そう思うとぞっとして体が固まった。
「心配するな、シイ。——勝ちに行くだけだ。何も難しいことはない」
そう言った高氏の顔は、その言葉通り自信に満ちていた。
勝利を確信している顔だ。
もうすっかり頭領の顔になったんだと、シイは思った。




