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彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ
鎌倉編

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32/32

壱拾俉

 ぐう、と鳴った音が部屋に妙に響いた。

 高氏が一瞬きょとんとした後、腹を抱えて笑い出す。

「ははっ、なんだ、腹が減っていたのか?高国が先に飯にしようと言っていたのはこのためか」

「……………」

 お腹が鳴るのは普通の事なのに、お腹を抱えてまで笑う意味が分からない。

「よしよし! 戦の話より、まずは腹だな!」

 高氏がぐしゃぐしゃと不愛想なシイの頭を撫でる。

 高国に子ども扱いされるは嬉しいのに、高氏にされるとうっとうしい以外ないから、不思議だ。

 眉間に皺を寄せていると高氏はまた笑った。シイの気持ちも分かってやっているらしい。

 高国が立ち上がって障子を開け、誰かへ指示をしてくれている。

 高師直という男も立ち上がった。

「——では、私はこれで」

「ん?お前は食べてかないのか」

「今のうちに方々へ根回しをせねばなりませんので」

 そう言って高師直はちらりと高国を見た。一緒に行かないのか、という顔をしているように思うから、出て行ってしまうのかと思ったら高国はまたシイの横に座った。

 そのまま表情を変えずに呟く。

「私も、後程参ります」

「ほう……」

 高師直はまじまじと、何故かシイの方を見てから部屋を出て行った。

 どかどかという大きな足音と入れ替わりで、お膳がすぐに運ばれてきた。

 香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

 久しぶりのちゃんとした食べ物の匂いだ。



 座敷に並んだ膳にシイは釘付けになった。

 大きな焼き魚。青々とした葉っぱの炊いたのに、温かい汁。そして——輝くような白い飯。その白い飯の隣には何かの佃煮が添えられていた。

 見ただけで涎が出てくる。

「好きなだけ食べていいよ」

 高国が優しく言う。

 シイはこくりと頷き、箸を持った。

 箸を使うのも久しぶりだ。街の人に紛れて暮らしたとはいえ、貧しい流れ者は箸を使うような食事をしない。

 それでも、シイは練習だけは欠かさなかった。

 高国に教えてもらったものはすべて、忘れたくなくて。

 木の棒を拾ってはずっと練習を重ねていた。

 いつもはごつごつした細い木の棒だったけど。今は綺麗に整えられた艶やかな木の箸。上手にできるか心配だったけど、なんとか使って白いご飯を取ることができた。

 つやつやに光る白いご飯。一口口に運べば、甘やかな味がジワリと口に仲に広がった。

 頭が真っ白になるくらい、涙が出るくらい——美味しい。

 本当に美味しいと言葉も出ないんだ。実際に涙ぐんで、一心に米を食べるシイを高国がじっと見つめていた。

「シイ。魚も食べるんだよ。急に食べ過ぎたら、お腹がびっくりするから、ゆっくりね」

「うん」

 シイは言われて魚に箸を伸ばした。頭から食べる。

 塩の味が効いた、新鮮な魚の身。頭はカリカリして、身はふわふわして。そして、内臓の苦みが溜まらなく美味しい。

 ボリガリボリ——骨を噛み砕く音が室内に響く。

「おい……音を立てずに食え——って、おい、骨食べてんのか!?」

 高氏がびっくりして大声を上げる。

「兄上。シイは歯が丈夫なんです」

「いや、それにしたってな」

「これが普通らしいですよ。ほら、以前もそうだったでしょう」

「いや——」

「兄上」

 珍しく高国が強い調子で押し通るものだから、高氏もそれ以上は何も言わなかった。

「そんなに気に入ったのなら……私の魚もやろうか」

「えっ」

 シイが身を乗り出したのを、高国が制した。

「兄上はちゃんと食べてください。シイ。私のをやろう。足りなければまだ持って来るから」

「……高国さまも、食べてる?」

 見れば高国の膳はまだ手付かずだった。

 身体の調子でも悪いんだろうか。シイは心配になって箸を置いた。高国が心配するな、と笑った。

「シイが食べているのを見たら、嬉しくてお腹が膨れたんだ」

「え、でも……」

「シイはすっかり細くなってしまったな。背は伸びたのに、細いのは相変わらずだ。もっと食べて太らないといけない」

 この言葉にシイは懐かしくなって頬を緩めた。

 太らせて、たぬき鍋にされるのかと考えた事もあった。まだ幼くて、あの時は何も知らなかった。

 今はもう少し分かるようになったと思う。高国がまだ子供ながらに自分を守ってくれたことを。

「僕、高国様が教えてくれたから……魚を獲れるようになって、冬も、困らなかったんだ」

「そうか」

「うん。他にも。たくさん、ずっと、大切な思い出……」

 シイのお皿と高国のお皿が取り換えられた。

 またボリボリと音を立てながら、シイは魚にかぶりついた。静かな室内に、骨を砕く音が響く。


「まったく……」

 食事を終えて、高氏がにやりと笑った。

「久しぶりの再会しても、前とちっとも変わらないんだな、お前達は」

 ずず、と高国の淹れたお茶をすする。

「随分過保護になるじゃないか。そいつももう子供じゃないだろう」

「まだ子供です」

「僕、もう——」

 子供じゃない、そう言おうと思ったのに、シイの言葉は無視されて兄弟で会話が進んでいった。

「てっきり高師直と行くと思ったのに。シイがいると途端に腰が重くなるのか?お前は」

「私が急がなくても、彼がちゃんとやってくれるでしょう」

「お前の口からそんな台詞を聞くことになるとはなあ」

「……………」

「ま、綸旨が出た以上、北条も必ず動き出す。こちらも早急に準備をしないとな」

「はい」

 ぴり、と一気に部屋の空気が変わった。

 それを敏感に感じ取った高国の裾を、シイは思わず掴んでしまう。

 それに気づいて高国はその手をそっと包み込んだ。

「大丈夫。シイは私の側にいればいいから」

「戦?高国様、戦うの?」

 それは、とても危ない事じゃないんだろうか。

 こんな大軍勢、きっと大きな戦になる。たくさんの馬と、たくさんの鉄の臭い。

 きっとものすごい量の血が流れる。

 そう思うとぞっとして体が固まった。

「心配するな、シイ。——勝ちに行くだけだ。何も難しいことはない」

 そう言った高氏の顔は、その言葉通り自信に満ちていた。

 勝利を確信している顔だ。

 もうすっかり頭領の顔になったんだと、シイは思った。

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