壱拾壱 再会
陽が沈むと、森の中は一気に危険が増す。シイは夜は街道、昼は森の中を移動するようにしていた。
そっと辺りを窺いながらあぜ道へと出て歩く。少し前を行く旅人たちの影が長く伸びていた。
後ろから荷駄を引ている男たちの会話が耳に入ってくる。
「物騒になって来たなあ」
「ああ」
「……足利も赤松も動いたらしいぞ」
その言葉に、シイははっと立ち止まった。
確かに今、足利と言った。草履の紐を結ぶふりをしてしゃがむ。
「鎌倉から京へ向けて軍が出たってよ。六波羅から命じられて——」
「まいったな。戦になったら商売にならねえよ。避けた方がいいか……」
「それがいいかもしれねえぞ。結構な軍が動くって。足利殿自ら動いてるんじゃねえか」
シイは思わず振り返った。
足利が京都へ向かっている。もしかしたら、高氏も高国も鎌倉ではなくて京都に向かって、入れ違いになるかもしれない。
シイは荷物を握り直し、通り過ぎていったその荷駄を追った。
途中までついて行って聞き耳を立てながら移動してから、また別れる。
おそらく、丹後へ抜ける山道を通れば待ち構えることができそうだ。人は多いかもしれないけれど……いや、丹後まできたら、わざわざシイを追っている者はいないはずだ。
怖いけど。でも、高国に会えるかもしれない。
その思いだけで奮い立って、シイは丹後の少し大きな町に降りた。
集落には、まだ大軍が通り過ぎた様子はない。
町で身をひそめながら、待つこと数日——。
道の向こうに、それは巨大な黒い影となって表れた。
砂煙が立ち、町がざわざわと緊張感に包まれている。
たくさんの馬と人が次々に入って来る。
白地に二つ引きの旗——足利軍だ。
シイは息を呑んだ。
砂煙の中に高国の姿を探すけど……遠くてわからなかった。人だかりもあって、物々しい雰囲気にとても近づける気はしない。
漏れ聞いた話では、足利の軍勢は今夜はここに留まるらしい。
どうにか……探れないだろうか。
シイは目立たないように気をつけながら、町のあちこちを歩き回った。
足利軍は陣営を張って町のあちこちに滞在していた。一番立派な旗の立っているところは、人が多くて遠くからも近づけない。
高国を、と言えばいいだろうか。——いや。
足利軍は北条からの幕府軍、と言われている。
つまり、この綸旨は敵の密書ということになる。高国だけに、誰にも見られないように渡さなければ。
気配を探っても、人が多くてわからなかった。
近づきさえすれば分かるはずなのに。
長く会っていないけれど……忘れない、あの日抱き上げられたあの腕の温もりも、その気配も。
シイはぐるぐると町を歩いた。
「——おい」
その野太い声に肩がびくりとなる。
「おい、止まれ。そこの童!」
シイは周囲を見渡した。高い塀に囲まれて、ちょうど人がいない。人がいないから声をかけてきたのだろうか。歩き回りすぎたのかもしれない。
ちらりと振り返ると武士が二人、厳しい目でシイを睨みつけていた。
鎧を身に着け、腰には刀を提げている。隠岐島でシイを追った兵士とは違う、本当の武士だ。
思わず息を呑んだ。
シイの体力はもう限界に近い。
数日を町に滞在したからといって、どこかの軒先を借りたわけでもないから、回復はしなかった。
足の傷は腫れてしまってるし、あちこち服も破れて傷だらけ。
走って逃げるのは、おそらく無理だ。
でも、ここで綸旨を見られたら。これまでの苦労が、すべて水の泡だ。
「お前、さっきもここを通っただろう」
「こっちを向け」
顔だけ向けたシイを、向こうも警戒して刀に手を当てている。
じろじろと全身見られて、訝し気な顔をされる。シイの着物はもう泥まみれのボロボロで、流れ者にしても汚れすぎている。
「ぼくは……」
物乞いだとか、うまい言い訳を言えるほどにはシイは人間の世界の事を知らない。行商のふりをするのには無理があることだけは分かるけれど——。
だめだ。
シイは駆け出した。森の中に入れば何とか逃げられるかとしれない。これまでもそうだったから。
「あっ——まて!!」
「おい、だれか!」
まずい。武士がそう呼びかけるだけで、あちこちからわらわらと人が集まってくる気配がする。
人が多すぎる。町の人だけじゃなくて、武士の数が多すぎる。
角を曲がって曲がって、人の少ない方を選んで走るけど、徐々に取り囲まれていく。
どうする。町でたぬきになったって目立つだけだ。
「いたぞ! あのがきだ!」
背後から追手の怒号が響く。
鎧の金具が鳴り、複数の足音が迫ってくる。
シイは必死で足を動かした。けれども、足がもつれ、転びそうになる。
「あっ——」
進行方向の曲がり角の向こうから、一人の若武者が歩いてきた。
土埃の舞う日中の道だというのに、そこだけ抜き取られたように、シイにはその姿がくっきりと見えた。
藍色の直垂、折烏帽子。
戦時下だから具足はつけているが簡易なもので、着物の裾がさやさやと風に揺れている。
折烏帽子の影からのぞく表情は涼やかで、眉一つ動かさず、こちらを見据えていた。
その顔を見た瞬間、息が止まるかと思った。
見間違えるはずもない。別れて11年、ずっと思っていたのだから。
高国だ。
あの時のような幼さはもうなく、すっかり青年の顔立ちになっている。
美しく精悍な顔立ちに見とれて、思わず立ち止まった。
高国もまた、驚いたように目を見開く。
「……シイ?」
名前を呼ばれると、忘れていた呼吸を思い出したような。血が一気に沸き立つような興奮を覚える。
瞬間、シイの体は勝手に動いた。
ふらつきながらも、高国に駆け寄る。
高国も驚いたのは一瞬で、周囲の怒号にすぐに状況を理解した。
追手の足音が近づいてくる。
「追われているの?」
シイは青い顔で頷いた。
ここで高国に綸旨を渡して、自分は捕まってしまえばいいだろうか。震えそうになる指に力を込めて、綸旨を探す。
「厄介だな、あれは北条だ。……シイ、たぬきになれるか?」
「え」
「ほら」
高国が手を伸ばす。
そうされるともう、ほとんど何も考えずに高国の言葉に体が従った。
パサリ、と着ていた着物が落ちる。着物の中からは、小さなたぬきが鼻を覗かせ、やがてもぞもぞと出てきた。
高国は抜け殻になった着物を一つに丸めて、塀の向こうへ投げ入れた。
そしてシイの前にしゃがみ込む。
「——よしよし。こい」
その声は、まるで飼い犬を呼ぶように穏やかだった。
そこへ追手が駆け込んできた。
「こっち……っ、あれ?」
「あ、若君!!この辺りに不審な童が——」
高国は振り返り、眉をひそめた。
「童?ここにいるのは、私の犬だけだ。誰も来ていない」
「……犬、でございますか?」
追手たちは足元のシイを見た。
泥だらけで小さく丸まった姿は、確かに犬に見えなくもない。
高国は平然と続けた。
「山で拾った犬だ。名は……そうだな、シロだ」
シイは思わず顔を上げそうになったが、
高国の手がそっと頭を押さえた。
「伏せ」
その一言で、シイは再び頭を下げる。
「ほら、しつけも済んでいる」
追手たちは互いに顔を見合わせた。
「しかし、確かにこの辺りに——」
「私の犬を子どもと見間違えたのだろう」
「……まさか」
「まさか?」
高国の声は静かでゆっくりだが、ひやりと感じる冷たさと圧があった。
追手たちは慌てて頭を下げた。
「い、いえ!何でもございません。失礼いたしました!」
「ならば行け。ここは私の陣だぞ。騒がしくするなと言ったはずだ」
追手たちは深々と頭を下げ、足早に去っていった。
その背が完全に見えなくなった瞬間——高国は大きく息を吐き、しゃがんで手を伸ばした。
「……シイ……」
シイは高国の手に頭をすり寄せた。あたたかい。あの頃と変わっていない、いや、少し大きくなったようにも思う。
たぬきの姿でなかったら、嗚咽を漏らして泣き叫んでいたかもしれない。
か細い声で、クン、クン、と切なく泣き続けた。
「もう大丈夫だ。シイ」
高国の声が温かくて、変わらなかったから。
シイはぐいぐいと高国の懐に潜り込んで丸まった。
この11年で、これほど安らぐ場所はやっぱりなかった。




