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彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ
鎌倉編

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28/32

壱拾壱  再会

 陽が沈むと、森の中は一気に危険が増す。シイは夜は街道、昼は森の中を移動するようにしていた。

 そっと辺りを窺いながらあぜ道へと出て歩く。少し前を行く旅人たちの影が長く伸びていた。

 後ろから荷駄を引ている男たちの会話が耳に入ってくる。

「物騒になって来たなあ」

「ああ」

「……足利も赤松も動いたらしいぞ」

 その言葉に、シイははっと立ち止まった。

 確かに今、足利と言った。草履の紐を結ぶふりをしてしゃがむ。

「鎌倉から京へ向けて軍が出たってよ。六波羅から命じられて——」

「まいったな。戦になったら商売にならねえよ。避けた方がいいか……」

「それがいいかもしれねえぞ。結構な軍が動くって。足利殿自ら動いてるんじゃねえか」

 シイは思わず振り返った。

 足利が京都へ向かっている。もしかしたら、高氏も高国も鎌倉ではなくて京都に向かって、入れ違いになるかもしれない。

 シイは荷物を握り直し、通り過ぎていったその荷駄を追った。

 途中までついて行って聞き耳を立てながら移動してから、また別れる。

 おそらく、丹後へ抜ける山道を通れば待ち構えることができそうだ。人は多いかもしれないけれど……いや、丹後まできたら、わざわざシイを追っている者はいないはずだ。

 怖いけど。でも、高国に会えるかもしれない。

 その思いだけで奮い立って、シイは丹後の少し大きな町に降りた。




 集落には、まだ大軍が通り過ぎた様子はない。

 町で身をひそめながら、待つこと数日——。

 道の向こうに、それは巨大な黒い影となって表れた。

 砂煙が立ち、町がざわざわと緊張感に包まれている。

 たくさんの馬と人が次々に入って来る。

 白地に二つ引きの旗——足利軍だ。

 シイは息を呑んだ。

 砂煙の中に高国の姿を探すけど……遠くてわからなかった。人だかりもあって、物々しい雰囲気にとても近づける気はしない。

 漏れ聞いた話では、足利の軍勢は今夜はここに留まるらしい。

 どうにか……探れないだろうか。

 シイは目立たないように気をつけながら、町のあちこちを歩き回った。

 足利軍は陣営を張って町のあちこちに滞在していた。一番立派な旗の立っているところは、人が多くて遠くからも近づけない。

 高国を、と言えばいいだろうか。——いや。

 足利軍は北条からの幕府軍、と言われている。

 つまり、この綸旨は敵の密書ということになる。高国だけに、誰にも見られないように渡さなければ。

 気配を探っても、人が多くてわからなかった。

 近づきさえすれば分かるはずなのに。

 長く会っていないけれど……忘れない、あの日抱き上げられたあの腕の温もりも、その気配も。

 シイはぐるぐると町を歩いた。

「——おい」

 その野太い声に肩がびくりとなる。

「おい、止まれ。そこの童!」

 シイは周囲を見渡した。高い塀に囲まれて、ちょうど人がいない。人がいないから声をかけてきたのだろうか。歩き回りすぎたのかもしれない。

 ちらりと振り返ると武士が二人、厳しい目でシイを睨みつけていた。

 鎧を身に着け、腰には刀を提げている。隠岐島でシイを追った兵士とは違う、本当の武士だ。

 思わず息を呑んだ。

 シイの体力はもう限界に近い。

 数日を町に滞在したからといって、どこかの軒先を借りたわけでもないから、回復はしなかった。

 足の傷は腫れてしまってるし、あちこち服も破れて傷だらけ。

 走って逃げるのは、おそらく無理だ。

 でも、ここで綸旨を見られたら。これまでの苦労が、すべて水の泡だ。

「お前、さっきもここを通っただろう」

「こっちを向け」

 顔だけ向けたシイを、向こうも警戒して刀に手を当てている。

 じろじろと全身見られて、訝し気な顔をされる。シイの着物はもう泥まみれのボロボロで、流れ者にしても汚れすぎている。

「ぼくは……」

 物乞いだとか、うまい言い訳を言えるほどにはシイは人間の世界の事を知らない。行商のふりをするのには無理があることだけは分かるけれど——。

 だめだ。 

 シイは駆け出した。森の中に入れば何とか逃げられるかとしれない。これまでもそうだったから。

「あっ——まて!!」

「おい、だれか!」

 まずい。武士がそう呼びかけるだけで、あちこちからわらわらと人が集まってくる気配がする。

 人が多すぎる。町の人だけじゃなくて、武士の数が多すぎる。

 角を曲がって曲がって、人の少ない方を選んで走るけど、徐々に取り囲まれていく。

 どうする。町でたぬきになったって目立つだけだ。

「いたぞ! あのがきだ!」

 背後から追手の怒号が響く。

 鎧の金具が鳴り、複数の足音が迫ってくる。

 シイは必死で足を動かした。けれども、足がもつれ、転びそうになる。

「あっ——」

 進行方向の曲がり角の向こうから、一人の若武者が歩いてきた。

 土埃の舞う日中の道だというのに、そこだけ抜き取られたように、シイにはその姿がくっきりと見えた。

 藍色の直垂、折烏帽子。

 戦時下だから具足はつけているが簡易なもので、着物の裾がさやさやと風に揺れている。

 折烏帽子の影からのぞく表情は涼やかで、眉一つ動かさず、こちらを見据えていた。

 その顔を見た瞬間、息が止まるかと思った。

 見間違えるはずもない。別れて11年、ずっと思っていたのだから。

 高国だ。

 あの時のような幼さはもうなく、すっかり青年の顔立ちになっている。

 美しく精悍な顔立ちに見とれて、思わず立ち止まった。

 高国もまた、驚いたように目を見開く。

「……シイ?」

 名前を呼ばれると、忘れていた呼吸を思い出したような。血が一気に沸き立つような興奮を覚える。

 瞬間、シイの体は勝手に動いた。

 ふらつきながらも、高国に駆け寄る。

 高国も驚いたのは一瞬で、周囲の怒号にすぐに状況を理解した。

 追手の足音が近づいてくる。

「追われているの?」

 シイは青い顔で頷いた。

 ここで高国に綸旨を渡して、自分は捕まってしまえばいいだろうか。震えそうになる指に力を込めて、綸旨を探す。

「厄介だな、あれは北条だ。……シイ、たぬきになれるか?」

「え」

「ほら」

 高国が手を伸ばす。

 そうされるともう、ほとんど何も考えずに高国の言葉に体が従った。

 パサリ、と着ていた着物が落ちる。着物の中からは、小さなたぬきが鼻を覗かせ、やがてもぞもぞと出てきた。

 高国は抜け殻になった着物を一つに丸めて、塀の向こうへ投げ入れた。

 そしてシイの前にしゃがみ込む。

「——よしよし。こい」

 その声は、まるで飼い犬を呼ぶように穏やかだった。

 そこへ追手が駆け込んできた。

「こっち……っ、あれ?」

「あ、若君!!この辺りに不審な童が——」

 高国は振り返り、眉をひそめた。

「童?ここにいるのは、私の犬だけだ。誰も来ていない」

「……犬、でございますか?」

 追手たちは足元のシイを見た。

 泥だらけで小さく丸まった姿は、確かに犬に見えなくもない。

 高国は平然と続けた。

「山で拾った犬だ。名は……そうだな、シロだ」

 シイは思わず顔を上げそうになったが、

 高国の手がそっと頭を押さえた。

「伏せ」

 その一言で、シイは再び頭を下げる。

「ほら、しつけも済んでいる」

 追手たちは互いに顔を見合わせた。

「しかし、確かにこの辺りに——」

「私の犬を子どもと見間違えたのだろう」

「……まさか」

「まさか?」

 高国の声は静かでゆっくりだが、ひやりと感じる冷たさと圧があった。

 追手たちは慌てて頭を下げた。

「い、いえ!何でもございません。失礼いたしました!」

「ならば行け。ここは私の陣だぞ。騒がしくするなと言ったはずだ」

 追手たちは深々と頭を下げ、足早に去っていった。

 その背が完全に見えなくなった瞬間——高国は大きく息を吐き、しゃがんで手を伸ばした。

「……シイ……」

 シイは高国の手に頭をすり寄せた。あたたかい。あの頃と変わっていない、いや、少し大きくなったようにも思う。

 たぬきの姿でなかったら、嗚咽を漏らして泣き叫んでいたかもしれない。

 か細い声で、クン、クン、と切なく泣き続けた。

「もう大丈夫だ。シイ」

 高国の声が温かくて、変わらなかったから。

 シイはぐいぐいと高国の懐に潜り込んで丸まった。

 この11年で、これほど安らぐ場所はやっぱりなかった。

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