玖
次に目を開けた時、シイは砂の上に倒れていた。
頬に触れる砂は温かく、うっとむせる程の潮の匂いが鼻を掠める。
「……ここ、どこ……?」
体を起こそうとすると、全身が痛んだ。
特に足は、じんじんと熱を持っている。波に揉まれ、岩にぶつかったのかもしれない。
ぼんやりと海を見つめていると、背後から声がした。
「おい、誰か倒れてるぞ!」
シイはびくっと身体がはねた。
漁師らしい男と、その後ろに小さな女の子だった。シイを覗き込んでくる。
「おとう、おとこのこだよ!」
「おぉっ!!大丈夫か?息は……あるな」
男はシイを抱き上げた。力強い腕に抱えられ、シイは抵抗しようとしたが、体が動かない。
「……た、かくに……さま……」
四肢を投げ出した状態で横たわっている。
どうしよう。僕、できなかった。
綸旨はどうなったんだろう。ここは、島だろうか、それとも、対岸まで来たのか。
掠れた声で呟くと、男は眉をひそめた。
「たか……誰だ?まあいい、まずは温めねえと死んじまう」
確かに体中が冷たくて、寒くて寒くてたまらない。体はガタガタと震えていた。ぐっしょりと濡れた着物が体に張り付いて、髪の毛からもぽたぽたと水が落ちている。
男がシイを支えてくれて、漁師小屋の中に入る。小屋の中は暖かく、干した魚の匂いが漂っていた。
竹で編んだ壁、流木を使った柱、藁の屋根。
素朴な空間に、釣り具や網といった漁の道具が置かれている。
女の子が布をもってきて、シイに掛けてくれた。
体を拭くとたくさんの藁の上に寝かされ、蓑を重ねて掛けられていた。
温かい。
じんじんと痛む足の感覚はあるのに、目が回ってくらくらとした。
「——海水を飲みすぎたんだな、ほら、水飲みな」
大きな男が水をくれて、シイはそれを飲んだ。吐きそうになったけど、むりやり飲み込む。
「とにかく、休んだ方がいい」
そんなわけにはいかない。敵に囲まれたから、追手はすぐそこまで来ているかもしれない。
不安そうに辺りを見渡すシイに、女の子の声がする。
「こわくないよ]
まだ5つ位だろうか。しっかりした喋り方をしている。
「きみ……」
「わたしね、ユイ」
ユイはにこっと笑い、シイの手を握った。
「ゆっくり休めば、良くなるからね。心配、いらないからね」
その手は小さくて、温かかった。
次に目を覚ました時には、体は随分と軽くなっていた。
はっとして辺りを見渡す。
「僕の、にもつ……」
「にもつって、あれ?」
小屋の中にはユイがいた。何かを編んでいるのか、仕事をしているようだった。
「だいじょうぶ?一日中、ずっと眠ってたよ」
どうやらシイは丸一日眠っていたらしい。
綱に吊るされているのは、間違いなくシイの風呂敷だった。まだぽた、と水が落ちている。
「な、中身は!!」
ユイが器用に何かの台に上って手を伸ばし、包みを取ってくれた。
持ってきてくれた風呂敷をそっと開く。綸旨は無事だった。濡れてはいるが、字は判別できる、多分。読めないけど、変わってないと思う。
「——うわぁ、びちょびちょ。おべんきょ?だいじなもの?」
「うん……これ、干してもいいかな」
「あ、うん。ちょうどイワシが乾いたから、そこに干していいよ」
ユイは干してあった大小の魚を全て取り外して籠に入れてくれた。
ちょっと魚の匂いはするけれど……干すのにはちょうどいい。シイは立ち上がってそっと綸旨の紙を綱にひっかけて置いた。触れると破れそうだから、風のない室内に干しておけばちょうど良さそうだ。
「なんてかいてるの?」
「あー……僕も、字は読めなくって」
「だよねえ!私も!村で字が読めるのは、村長だけだよ」
それを聞いてほっとする。
この綸旨の意味が分かれば、こんな風にシイをかくまう事も出来ないだろう。
御所様の味方はいると言っていたが、この村の人達がそっち側なのか、「敵」と言われている北条側なのか。聞けることでもないし、聞いたって人間は、本当のことを言うのかどうかわからない。
ぺらぺらと揺れる紙を見上げながら、これからどうしようかと、ずっと考えていた。
イワシのいい匂いがして、ぐう、とお腹が鳴った。
数日が過ぎた。
シイは漁師の家で静かに休み、少しずつ体力を取り戻していった。怪我はなかったものの、無理をして嵐の中流れ着いたことで体調を崩してしまった。
熱が出たりとなかなか落ち着かない中、ユイは毎日のようにシイのそばにいて、海で拾った貝殻を見せてくれたり、歌を歌ってくれたりした。
「シイおにいちゃん、どこからきたの?」
「……うみの、むこう」
「すごいね!」
ユイは目を輝かせた。
「わたし、行ったことないの!漁のふねにはね、本当に時々、乗せてもらえるんだけど。それでも海岸が見るところまで」
不満そうに口を膨らませるけど、もともとぷっくりしてるから変化がわかりにくい。
「泳げるようにならなきゃダメだって。おにいちゃんは、泳げるの?」
「え?うん……まあ」
人間の泳ぎ方とは少し違う。人間を観察していると、彼らはどうやら頭を水につけて泳ぐようだった。
獲物を探すわけでもないのにどうして頭をつけるのか、シイはいまだにわかってなかった。
「いいなあ。わたしね、頭を上げると体が沈むんだあ」
「……ずっと上げてちゃ、だめなの?」
「え?頭を、ずっと?犬みたいに?」
ユイはおかしそうに笑った。けらけらという無邪気な笑い声が小屋に響く。
シイは笑おうとしたが、胸の奥がずきりと痛んだ。
ここに長居をするわけにはいかない。
いつ正体がバレるか、綸旨のことも。そんな緊張感は二重の意味で常にあった。こういう、ちょっとした会話でも変だって思われちゃうかもしれない。
「おう、今日は元気そうだな」
ユイの父親が小屋に顔を覗かせた。
「あ、こんにちは」
「芋、食えるか?」
笹の葉に包まれた蒸した芋をユイが受け取って、それをもってきてくれる。
「ありがとうございます」
この漁師の人は本当に親切にシイの世話をしてくれた。口数は少ないけれど、回復するまでは休んで行け、と言ってくれた。
何もお礼ができないと言うシイに、そんなものはいらねえ、と笑った。
「お前だってまだ子供じゃねえか。ほっておけねえよ」
そう言ってくしゃくしゃと頭を撫でられる。
頭を撫でられるのは、久しぶりな気がした。
温かい手。
——たかくにさま。
会いたい。
早く行かないといけないのに。
けれど、足もまだ完全には治っていない。
無理に歩けばまた倒れてしまうだろう。
焦りばかりが募っていった。




