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彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ
鎌倉編

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26/32

玖

 次に目を開けた時、シイは砂の上に倒れていた。

 頬に触れる砂は温かく、うっとむせる程の潮の匂いが鼻を掠める。

「……ここ、どこ……?」

 体を起こそうとすると、全身が痛んだ。

 特に足は、じんじんと熱を持っている。波に揉まれ、岩にぶつかったのかもしれない。

 ぼんやりと海を見つめていると、背後から声がした。

「おい、誰か倒れてるぞ!」

 シイはびくっと身体がはねた。

 漁師らしい男と、その後ろに小さな女の子だった。シイを覗き込んでくる。

「おとう、おとこのこだよ!」

「おぉっ!!大丈夫か?息は……あるな」

 男はシイを抱き上げた。力強い腕に抱えられ、シイは抵抗しようとしたが、体が動かない。

「……た、かくに……さま……」

 四肢を投げ出した状態で横たわっている。

 どうしよう。僕、できなかった。

 綸旨はどうなったんだろう。ここは、島だろうか、それとも、対岸まで来たのか。

 掠れた声で呟くと、男は眉をひそめた。

「たか……誰だ?まあいい、まずは温めねえと死んじまう」

 確かに体中が冷たくて、寒くて寒くてたまらない。体はガタガタと震えていた。ぐっしょりと濡れた着物が体に張り付いて、髪の毛からもぽたぽたと水が落ちている。

 男がシイを支えてくれて、漁師小屋の中に入る。小屋の中は暖かく、干した魚の匂いが漂っていた。

 竹で編んだ壁、流木を使った柱、藁の屋根。

 素朴な空間に、釣り具や網といった漁の道具が置かれている。

 女の子が布をもってきて、シイに掛けてくれた。

 体を拭くとたくさんの藁の上に寝かされ、蓑を重ねて掛けられていた。

 温かい。

 じんじんと痛む足の感覚はあるのに、目が回ってくらくらとした。

「——海水を飲みすぎたんだな、ほら、水飲みな」

 大きな男が水をくれて、シイはそれを飲んだ。吐きそうになったけど、むりやり飲み込む。

「とにかく、休んだ方がいい」

 そんなわけにはいかない。敵に囲まれたから、追手はすぐそこまで来ているかもしれない。

 不安そうに辺りを見渡すシイに、女の子の声がする。

「こわくないよ]

 まだ5つ位だろうか。しっかりした喋り方をしている。

「きみ……」

「わたしね、ユイ」

 ユイはにこっと笑い、シイの手を握った。

「ゆっくり休めば、良くなるからね。心配、いらないからね」

 その手は小さくて、温かかった。




 次に目を覚ました時には、体は随分と軽くなっていた。

 はっとして辺りを見渡す。

「僕の、にもつ……」

「にもつって、あれ?」

 小屋の中にはユイがいた。何かを編んでいるのか、仕事をしているようだった。

「だいじょうぶ?一日中、ずっと眠ってたよ」

 どうやらシイは丸一日眠っていたらしい。

 綱に吊るされているのは、間違いなくシイの風呂敷だった。まだぽた、と水が落ちている。

「な、中身は!!」

 ユイが器用に何かの台に上って手を伸ばし、包みを取ってくれた。

 持ってきてくれた風呂敷をそっと開く。綸旨は無事だった。濡れてはいるが、字は判別できる、多分。読めないけど、変わってないと思う。

「——うわぁ、びちょびちょ。おべんきょ?だいじなもの?」

「うん……これ、干してもいいかな」

「あ、うん。ちょうどイワシが乾いたから、そこに干していいよ」

 ユイは干してあった大小の魚を全て取り外して籠に入れてくれた。

 ちょっと魚の匂いはするけれど……干すのにはちょうどいい。シイは立ち上がってそっと綸旨の紙を綱にひっかけて置いた。触れると破れそうだから、風のない室内に干しておけばちょうど良さそうだ。

「なんてかいてるの?」

「あー……僕も、字は読めなくって」

「だよねえ!私も!村で字が読めるのは、村長だけだよ」

 それを聞いてほっとする。

 この綸旨の意味が分かれば、こんな風にシイをかくまう事も出来ないだろう。

 御所様の味方はいると言っていたが、この村の人達がそっち側なのか、「敵」と言われている北条側なのか。聞けることでもないし、聞いたって人間は、本当のことを言うのかどうかわからない。

 ぺらぺらと揺れる紙を見上げながら、これからどうしようかと、ずっと考えていた。

 イワシのいい匂いがして、ぐう、とお腹が鳴った。




 数日が過ぎた。

 シイは漁師の家で静かに休み、少しずつ体力を取り戻していった。怪我はなかったものの、無理をして嵐の中流れ着いたことで体調を崩してしまった。

 熱が出たりとなかなか落ち着かない中、ユイは毎日のようにシイのそばにいて、海で拾った貝殻を見せてくれたり、歌を歌ってくれたりした。

「シイおにいちゃん、どこからきたの?」

「……うみの、むこう」

「すごいね!」

 ユイは目を輝かせた。

「わたし、行ったことないの!漁のふねにはね、本当に時々、乗せてもらえるんだけど。それでも海岸が見るところまで」

 不満そうに口を膨らませるけど、もともとぷっくりしてるから変化がわかりにくい。

「泳げるようにならなきゃダメだって。おにいちゃんは、泳げるの?」

「え?うん……まあ」

 人間の泳ぎ方とは少し違う。人間を観察していると、彼らはどうやら頭を水につけて泳ぐようだった。

 獲物を探すわけでもないのにどうして頭をつけるのか、シイはいまだにわかってなかった。

「いいなあ。わたしね、頭を上げると体が沈むんだあ」

「……ずっと上げてちゃ、だめなの?」

「え?頭を、ずっと?犬みたいに?」

 ユイはおかしそうに笑った。けらけらという無邪気な笑い声が小屋に響く。

 シイは笑おうとしたが、胸の奥がずきりと痛んだ。

 ここに長居をするわけにはいかない。

 いつ正体がバレるか、綸旨のことも。そんな緊張感は二重の意味で常にあった。こういう、ちょっとした会話でも変だって思われちゃうかもしれない。

「おう、今日は元気そうだな」

 ユイの父親が小屋に顔を覗かせた。

「あ、こんにちは」

「芋、食えるか?」

 笹の葉に包まれた蒸した芋をユイが受け取って、それをもってきてくれる。

「ありがとうございます」

 この漁師の人は本当に親切にシイの世話をしてくれた。口数は少ないけれど、回復するまでは休んで行け、と言ってくれた。

 何もお礼ができないと言うシイに、そんなものはいらねえ、と笑った。

「お前だってまだ子供じゃねえか。ほっておけねえよ」

 そう言ってくしゃくしゃと頭を撫でられる。

 頭を撫でられるのは、久しぶりな気がした。

 温かい手。

 ——たかくにさま。

 会いたい。

 早く行かないといけないのに。

 けれど、足もまだ完全には治っていない。

 無理に歩けばまた倒れてしまうだろう。

 焦りばかりが募っていった。

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