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彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ
鎌倉編

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23/24

 夜の隠岐の島は、静かで時間がゆっくりと流れる。

 何カ月もこの島に滞在しているが、いつまでもここにいる訳ではないと思うと、山と違ってやることがそれほどない。シイはいつも、焚き火のそばで丸くなり、薪がはぜる音を聞いていた。

 眠ってしまえばいいが、近頃御所様が焚火の灯りの側で忙しく筆を走らせている。

 シイは文字も読めないし、何をしているのかもわからない。

 けれど、生気を失っていた御所様が活気を取り戻して、何かをはじめようとしている雰囲気は感じた。

 きっとこれは、太郎に伝えないといけない事なんだろう。

 この日も御所様は何度も書き直しては、それを火にくべてる。

 貴重な紙をこんなにどんどん燃やせるのはこの人くらいなんじゃないかな。

「そなたは、やはり字を覚えぬか」

 聞かれて、シイは顔を上げた。

 いつのまにか御所様はこちらを見ている。

 声にも力が宿っていた。今日の分の作業が終わったのだろうか。御所様は特に何をするでもなく側にいるシイを、暇があると構って来る。

「教えてやろう」

「使うかな……」

「知識は宝ぞ。例えば余が今書いているこれは、やがて国を変えることになる」

「……………」

 僕が聞いていい話なんだろうか、とシイは思う。

 御所様はどうも自分への警戒心を解いているようだった。そういう雰囲気は、たぬきのシイにはよくわかる。

「こんな紙の、このような文字に、そこまでの力がある。——どうだ、知ってみたくないか」

 シイは特に惹かれない、というように体を丸めたまま答えた。

「僕、難しい事は分からないけど、御所様が、すごく微妙な立場の方だって言うのは分かってるよ」

 パチ——薪がはぜる。

「僕が下手に動くことで、僕の大好きな人に迷惑が掛かるのは、やだからね」

「——だったら、いい加減その人が誰か教えぬか」

「……………」

「言うなと言われておるのか」

「言われてない」

 会ってもいない。自分に指示をしているのは、高氏の方だから。

 僕がここにいること、高国様は知ってるのかな。

 御所様は紙をそっと乾かしている。

 あんな紙切れが——そう思うが、きっと御所様の言う事は本当なのだろう。こうして誰もいない夜中に監視の目をくぐって書いているくらいだし。書き損じはすぐ燃やしているし。

 シイは胸の奥がざわざわした。



 ホウ、とフクロウが鳴く。

 シイは立ち上がった。

「どうした」

「用を足してくる」

 合図だ。

 シイはするすると身軽に崖を降りて行った。

 シイが明かりもなく移動できることを知ってからは、闇の深い、月明かりもないような夜に太郎はシイを呼ぶようになった。

「——来たよ」

 呼べば、岩陰からぬっと太郎が出てくる。

 この数カ月で太郎は更にこの島の人に溶け込んでいた。

「御所様のご様子は?」

「元気」

「相変わらず本を読んでいるか」

「最近は、ずっと手紙を書き直してる」

 太郎の目の色が変わった。

「——客は、だれか訪ねて着てはいないか」

「お坊さんが何人か」

「坊主……」

 御所様は偉い人だし、御所にはたくさんの人が訪れる。

 供え物をする島の人もいれば、ともに読経したり経典を学ぶといって僧侶もいる。幕府からの見張りの者も来る。

 その誰が本来どんな役割なのか。シイにはそこまでは分からなかった。シイだって、下働きと言いつつ足利の間者をしている。そんなものが、たくさんいるのだろう。

「——お前にそれを見せるとは。随分と警戒を解かれたらしいな」

「まあ、同類って言うか……」

「は?お前と、あのお方が?」

 不思議そうに太郎が言うから、シイは話題を変える。

「——高氏さまは、何か言ってた?」

「ああ。いいか。心して聞けよ」

 太郎はもったいぶって、深呼吸をしている。帰ってきていいという知らせだといいのにな、と思うが、違った。

「御所様に従え」

「従ってるけど?」

「この……ばっかやろう!」

 太郎が声を荒げた。とはいえ、相変わらずのひそひそとした声ではあるが。

「お前、この意味が分からねえのか」

「なに」

「ご主人様が、お前に、御所様の手足になれって言ってんだよ」

「だからなってるよ」

 ねぎを植えろと言われたから植えてあげたし、火を増やせと言われたら増やしている。焚火の後始末もしている。ここへ来た時より仕事が増えていると感じる。

「お前な。もっと真剣に考えろよ」

 真剣に……今以上に手伝えって事か。

「あ、じゃあ、僕が足利から来たってもう言っていいの?」

「それはまだ早い」

 シイは眉を寄せた。

「それじゃあ……今までと何が違うの」

「ったく……俺ぁこの話を聞いた時には、鳥肌が立ったってのに」

 シイだって、何も知らないわけではない。足利が幕府の中でかなりお偉い家臣で。幕府に反抗したのが御所様。——実は隠岐の島に来た時は知らなかったが、島の人の話で知った。

 だから、本来は御所様は足利の敵のはずなんだ。でも、シイを送り込んだって事は、高氏はこっちについてもいいかなって思ってるんだろう。

 それは別に、特別なことじゃないと思う。

「ご主人様の決断に、俺は奮い立ったね」

「より強い方、より益のある方に従うのは普通じゃないの?」

「そんな簡単なことかよ。ご主人様の決断に、一体いくつの命がかかってると思うんだ」

 シイの反応が良くないから、太郎も焦れたようだった。

「お前が言ったからだぞ。御所様が立ちそうだって。嘘じゃねえんだろうな」

「僕からの情報だけで決めたの?」

 あの高氏がそんなことをするだろうか。

「いや、まあ……それだけじゃねえけど」

「太郎ってそういうところあるよね」

「は?」

「僕にそういう圧力をかけて、操作しようとしてる」

「……………」

 太郎は黙り込んだ。

 この人は、都合が悪くなると一切の発言を封じる性格だ。

 それはこれまでの付き合いで分かって来た。

「——あ、そろそろ時間だ」

「おい、気を付けろよ」

 何が、とは聞かなかった。

 危険なのはお互い様だ。


 シイは焚火に戻った。

 御所様はまだ火に当たっていた。

「遅かったな」

「うん。出が悪くて」

「そなた……」

 御所様が呆れたように言った。

「寵童だったというのは、確かに、なさそうだな」

 ないって言ってるのに、まだ思っていたのか。

 そう言えば、数日前に余の童にしてやろうかと誘われた。寝所に入れるほど気を許されたのだと思ったけど、結局シイは正体を明かしていないのに。

 御所様がこんなにシイに心を開いたのは、多分——。

 思い当たることがある。

 シイは迷った末に、言うことにした。

「御所様……そんなに僕に気を許したらだめだよ」 

「余は、滅多に人には気を許さぬ」

 シイが特別だというのだろうか。

「——確かに、考えてみれば不思議だな。そなたほど胡散臭い者もないというのに」

「御所様が、僕に親しみを覚えるのは、きっと……」

 シイはじっと御所様を見つめた。分かっているのかどうなのか、判断がつかない。

「僕と御所様が、似てるからでしょ」

「似てる?余と——そなたが?」

 少しの緊張の混じった声で、それでもできるだけいつも通りに続ける。

「僕も半分、たぬきだから」

 シイはじっと御所様を見つめた。

「御所様は、狐の血を持ってるよね」

 初めはそれで嫌な感じがしてた。

 鋭くて、孤独で、どこか張りつめた気配。縄張りを主張するような、威圧感と寂しさが混ざった匂い。

 さすがの御所様も驚いたのか、少し黙っていた。

「ほう……。初めて会ったな」

「山にはたくさんいるよ」

 珍しくもない。人里には出てこないだけで。

「そなたは……不自由は、なかったか」

 御所様の顔がまた翳った。焚火の影がその表情を深くする。

 人里で暮らすには、きっと想像もつかないほどの苦労があるだろう。狐の血を持つ者が、どれほど人の中で孤独だったか。

 シイには、なんとなく分かる気がした。自分達は、どうしても人とは合わない。それは山で暮らしているからという以上の、言葉にはしづらい疎外感だった。

「ぼくは、山にいるから」

「そうか……」

 御所様は、焚火の炎を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。

「羨ましい事だ」

 御所様の声は、焚火の音に溶けるほど小さかった。

「——余は、人の中に生まれ、人の中で育ったゆえに——山には行けぬ」

 そんなことがあるんだろうか。聞いたことがないけど、たぬきと狐は特性が違うから。狐の方が、化けるのがうまく、昔から人里に降りている。

 先祖返りのようなものかもしれない。

「変化してるの?」

「そなたは」

「化けてるよ。——ほら」

 耳だけ見せれば、御所様は目を丸くしていた。

 まじまじと見つめてから、恐る恐る手を伸ばす。触ってみて、はあ、と感嘆の息を漏らした。

「余は……生まれた時には尾があったと聞くが、今はもうない。陰陽師が封じたと聞いた。時折、我らの一族にはあることらしい」

「へえ……」

「人より少し気配に敏感な所は、役立っている」

「その辺は、僕と一緒」

 化けたぬきだからって、特にこれと言って便利なことはない。最近では獣の形になることの方が少ない。

 でも、気配には敏感だし、夜も目が見えるし、鼻も利く。それくらいだ。

「そうか……たぬきが、おったか……」

 御所様はもう一度シイの耳を触った。どうやら気に入ったらしく、珍しく緩んだ顔で微笑んでいる。

 夜風が吹き、火の粉がひとつ、空へ舞い上がる。

 それはまるで、これから始まる大きな運命の前触れのようだった。

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