表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ
鎌倉編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/24

 それから、数日後のことだった。

 御所様はいつものように焚火に当たりに来たと思ったら、シイを手招きした。何かと思えば、着いてこいと言ってそのまま屋敷に入っていく。

 滅多に屋敷に入ったことのないシイは少し遅れてついて行った。

 御所の奥にある小さな部屋へゆっくりと連れて来られる。

 シイの泥のついた着物と足では躊躇われたが、御所様は、そんなことはいいから入れ、という。

 薄暗い灯りがついていた。御所様は机に向かって座る。今まで使っていたのだろう、硯の墨はまだ濃く香り、筆先にも黒い墨が残っている。書き終えたばかりなのだと、シイは気配で悟った。

「そこに座れ」

 指示されたのは御所様のすぐ脇だった。シイはすとん、とそこに座った。

 御所様は筆を置き、ゆっくりと巻物を巻き上げた。

「……完成だ」

 その声は、どこか張りつめていた。御所様が巻物を軽く持ち上げて見せた。

「論旨」

「ろんし……?」

「余だけが出すことのできる手紙を、そう言う」

 御所様は巻物を机に置き、指先で軽く叩いた。

 その仕草には、今までと違う、何か決意のようなものが滲んでいる。

「そなたの主の名を教えよ。余が随分前からこれを書いていることは、もう知っているのだろう」

 御所様はシイの目をまっすぐに見た。その視線は逃げ場を与えないほど真剣で。

 シイは息を呑んだ。

 確かに、御所様が何かを密かに書いていることは伝えていた。

 しかし、それを邪魔する者は誰もいなかった。それはつまり──その意志を尊重し、協力する者が周囲にいるということだ。

「——この前聞いたら、まだ名乗っちゃ駄目って言われたから」

「それでは、話が進まぬのだ」

 御所様の声は静かだが、どこか焦りが混じっていた。

 シイは胸の奥がざわつくのを感じた。

 この人は、今、と決めたのだ。

 この決断をするまでに数カ月。そして、次こそはと、身命を賭した賭けに出た。

 一度手ひどく敗れたからこそ。ここまでかかった。

 シイとの日々で、決断した。だったら今が話す時だ──そう思った。

 ただの直感だったが、ここで逃げてはいけない気がした。

 シイは、ずい、と一歩前に出て、深く息を吸った。

「僕の、大切な人の名前は——高国様」

 高氏の事は言えないけど。きっとこれで分かる。分からないのなら、縁がなかったという事だ。

 だが、御所様はすぐに気付いたようだった。

 その名を口にした瞬間、御所様の表情がわずかに揺れた。

 ほんの一瞬だったが、確かに変わった。

 驚きか、喜びか、それとも別の感情か──シイには読み取れない。

「……足利、高国か」

「うん。すごく、優しい人」

 御所様は目を伏せ、机の上の巻物に視線を落とした。

 その横顔には、複雑な影が差している。

「優しいとは……余が聞いていた印象とは、違うな」

 御所様は何かを思い返すように目を閉じた。明かりの中では、この人は少し年老いて見える。

「ああ……そう言えば昔、話をしようとして、逃げられたと聞いた。手荒な真似をしてしまったから……余は嫌われておるやもしれぬ」

 ぶつぶつと、御所様は自問しているようだった。

「そうか、足利……」

 やがて御所様が顔を上げた。その目がじっとシイを見つめてくる。

「余は、そなたに頼みがある」

「なに?」

 御所様は机の上の巻物を指した。

「論旨、余の意を記した文——これを島外に出すことは許されておらぬ」

 シイは巻物を見つめた。

 その表面には、まだ乾ききらない墨の匂いが漂っている。

 許されない、と言うのだから、それを成したいと言っているのだろう。

「いくつもの人手を経て、それぞれの場所へ辿り着くようにしたい。どれほど手を尽くしても安心という事はないのだが……足利へは——そなたに頼みたい」

「高氏様に?」

 御所様は首を振った。

「いや。それでは危険が高すぎる。高国に届けよ」

 高国に──。

 その言葉が胸に落ちた瞬間、シイの心臓が跳ねた。熱が胸の奥からこみ上げ、指先まで震えが走る。

 御所様はシイの反応を見て、わずかに微笑んだ。

「余程好いておるのだな。その忠義を——余は、そなたを頼りたい」

 その言葉は、静かに、しかし確かにシイの胸に届いた。

「誰にも知れずに……?」

 できるだろうか。そう思ったシイに御所様は重ねた。

「闇に紛れ、獣に化け、気配を察知し、身を隠しながら進め」

 シイがたぬきに化けられると知って、考え付いたのだろうか。

 そう言う頼られ方は困った、と顔に出すシイの手を、御所様が握った。

「頼む。そなたならば、必ずやり遂げる」

 シイはじっと論旨を眺めた。何が書いてあるのかもわからない。

 無事に届けられるかわからない。——でも、届ける先は、高国。

 胸の奥に、熱いものが広がっていく。

 高国の顔が浮かんだ。

 優しく笑う顔。自分を抱きしめてくれた腕の温もり。

 そのすべてが、シイの背中を押した。

「……うん。わかった、やる」

 御所様は満足げに頷き、巻物を両手で持ち上げた。

 シイは両手を差し出し、慎重にそれを受け取る。

 巻物は思ったよりも重かった。

「気をつけて行け。誰も信じず、そなたの手で最後まで届けよ」

 シイは巻物を胸に抱き、深く頭を下げた。

「うん。必ず……届ける」

 短い間だったが、妙な仲間意識のような者が芽生えていた。

 お互い、疎外感を感じながらこの人間の社会で生きていたから。

 別れは特に言わなかった。二度と会わないかもしれないし、またふらりと会うのかもしれない。



 部屋を出ると、外の空気は冷たかった。

 夜の気配が濃く、風が木々を揺らしている。

 シイは巻物を布袋にしまい、深く息を吸った。

 闇が、シイを包み込む。

 その中で、シイの身体がゆっくりと変化していく。

 骨が軋み、筋肉が伸び、皮膚がざわめく。

 獣の姿へと変わる、小さなタヌキは、布袋を背負っていた。

 シイは四肢で地を蹴り、闇の中へと駆け出した。

 風が身体を切り裂くように流れ、木々の影が次々と後ろへ消えていく。

 高国のもとへ──ただそれだけを胸に、シイは夜の森を疾走した。

いつもありがとうございます。


新学期、色々と立て込みまして

しばらく更新が……途絶えるかもしれません。

読んでいただいているのに、申し訳ありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ