88、南への一歩
「思ったより高そうだね」
王都を出てひたすら南下すると、やがて見えてきたのは雄大な山脈。高さでは大きく劣るが、ほぼ横一直線の壁という感じだった「北壁」と違い、万年雪を纏って時に鋭く時に緩やかに起伏する稜線には厳しい自然の美しさを感じる。
「あれを、越えるんですね」
と、今日オレの前に乗っているヴィナ。
これまでオレがたどった軌跡を巡り終えた先、東は竜の支配地域、西は海の向こうの島国ということで、とりあえず陸路で行けるはずの南へと向かうことになっているのだ。
「はず」と言うのは、海路で陸続きであることは確認されているが、今まで陸路で縦断に成功した者がいないからである。
「まぁ、わざわざ一番高い所は通らないけどね」
「それでも、雪がとけないほど標高が高い所を通るのは初めてです。アキラさんがいれば大丈夫なのは分かっているんですが、それでも少し不安です」
「よしよし、大丈夫だよ」
「……もう」
頭を撫でると、わざわざ横向きに乗りなおして抱きつくヴィナ。
未知のものに不安を感じるのは仕方ないが、オレがいれば大丈夫だと分かっているなんて言うのなら、後は甘やかすだけだ。
「ほらほら、ディアもお姉ちゃんに甘えていいのよ〜」
「うーん、さすがにもうお姉ちゃんに甘える年じゃないかなー」
「むう、寂しい」
オレとヴィナと使い魔のラス、そしてヒカリとディアのふた組がのんびりしていると。
「アキラさーん、ヒカリー、早く来ないと置いて行きますよー」
山の向こうを見るのが待ちきれないのか、使い魔のバスを肩に、フェリとカーラを後ろに乗せ、少し先でこちらを振り返るアリスに急かされてしまった。
「おっと、少し急ぎますかね」
「仕方ないなー」
ヒカリとともに少し速度を上げ、使い魔のリーを肩に、メアリを前に乗せ、中間で待っていてくれたリリィの組も加えて追いかける。
楽しみなのは分かるのだが、山の向こう側は逃げはしない。そんなに急がなくてもいいのではないだろうか、……とは思ったが。
「アキラさん、何か問題でも?」
「いいや、山を越えるのが楽しみだね」
「ええ! とても!」
良い笑顔で返すアリスを先頭に、さらに速度を上げて進む。
ーーーーーー
「寒いですねー」
そして翌日。街道終点の集落は昨日のうちに通り過ぎ、順調に山を登った結果、周囲にはすでに背の高い植物はなく、騎獣が踏みしめる緩やかな斜面は雪に覆われている。
本来なら酸素濃度の低下に慣れるためにもゆっくり登るべきなのだろうが、そこは高いステータス値や指輪の健康維持機能でオレたちには影響がないことが分かっているので問題ない。
「……まぁ、いいんだけどね」
で、ディアの発言だが。オレたちが纏うマントは内部の温度と湿度を快適に保つように創ってあるので、使い魔のラスを頭に乗せて前に乗り、背中をぴったりくっつけてオレのマントの合わせから顔だけを出しているディアが寒いはずはない。しかし、風が強いのは感じるし、夏を過ぎても一面に残る雪のせいで視覚的に寒いと言いたくなる気持ちも分かる。
なんて考えていたのだが。
「……アキラさん、ここは、オレが温めてあげるよ、って言うところなんです」
どうやら違ったらしい。
「お、おう。……えー、オレが温めてあげるよ?」
そう言ってお腹に片腕を回してさらに引き寄せると、とりあえず満足してくれたようだ。
ご機嫌な様子がとても可愛いし、そもそもオレのせいではあるのだが、元の世界の文化の侵略っぷりに問題がある気がしないでもない。
「ヴィナ――」
「しませんよ、お姉ちゃん」
「むう、つれないなー」
そんなことをしつつ、今日はアリスに遅れないように進んでいると。
「……お? 何か来るな」
背後から追いすがる複数の気配。
「私たちが狙いでしょうか?」
同じく気づいたらしいアリス。
「かもね、臭いまでは消してないし」
最近は気配を消して移動していたので、進路上で行き当たった魔物と戦うくらいだったのだが、探知範囲外から追いかけて来られたのは初めてだ。寒く乾燥していると臭いは感じにくくなるという話なのだが、であるからこそ臭いで追跡する事に特化した魔物がいるのかもしれない。
「どうしますか?」
「うーん、全員で当たろうか。派手な魔法も派手な動きも危ないかもしれないから気をつけてね」
アリスと話して方針を決定。
「むむ、雪崩が起こる可能性ですね。派手にはぶっ放せませんか……」
残念がるカーラには悪いが、それほど強い相手でもなさそうだし、メアリが仲間になってからは多数を相手にする機会もなかったので、連携の確認にはちょうどいいだろう。
「じゃあ、まずは私から行きましょう」
騎獣から降りて全員で待ち構えていると、そろそろ目視出来るかというところでフェリが進み出る、……が。
「んー? 気配はあるのに姿が見えませんね」
とフェリが言う通り、急速に近づきつつある気配はあるのだが、そこに魔物がいるようには見えない。
「まさか、光学迷彩とか?」
「……いえ、地を這うように移動しているようです」
オレの推測は、すぐさまリリィによって否定された。
言われて注意して見ると、確かに遠くの雪原に不自然な動きがあるような気がする。『身体能力強化』の要領で視力を強化すると、それでようやく白い毛むくじゃらが姿勢を低くし、体重などないかのように雪の上を駆けているのがオレにも確認できた。軽く幻影も纏っているのか、ぱっと見は地表を這う地吹雪のように見えなくもない。
(なるほど、これは気づきにくいね)
と納得。
「そっか、これが記録にあった白い悪魔ってやつね」
ヒカリも同じことを思い出したようだ。
ネシアス帝国が過去に行った南方調査。その調査隊を奇襲して深刻な被害を与えたと記録されていたのが、白い悪魔と呼ばれる魔獣の群れである。その後、調査隊はかろうじて山脈の向こうを確認して帰還したが、持ち帰られた報告と白い悪魔が麓の集落には知られていなかったという事実から、南方調査と山脈の開発は打ち切られたらしい。
「ま、私たちにとっては脅威ではありませんけどね」
と、敵を視認したフェリが矢を放ち始める。
オレたちには全く影響はなかったが、ひょっとしたら魔獣たちも隠密スキルで気配を消していたのかもしれない。矢を受けた魔獣たちは戸惑うように一瞬だけ動きを止めると、体を起こし、スピードを上げて突っ込んでくる。
「猿? いや、ヒヒの方が近いのかな?」
相変わらず雪の上を駆けているが、幻影を解いたことでようやく全貌が見えたそいつは、真っ白な長い毛に犬のように突き出た口で、背筋を伸ばして立てば体高は150センチくらいはありそうだ。それがフェリに数を減らされ、今は五十匹ほど。
そうこうしていると。
「いまいちテンションが上がりませんが、仕方ないですね。……『炎槍』」
射程に入った、というより、こちらも敵を視認できたからだろう、カーラが魔法を放ち始める。……が、それから少し遅れて、敵の方からも魔法が返ってきた。
「お任せ下さい。……『単方向防御障壁』」
しかし、そこに進み出たメアリが『防御障壁』を発動。当初、獣人は総じて魔法の瞬間出力が低めなのだろうと思っていたのだが、草食系の獣人はいくらかマシな傾向にあるらしく、今回も余裕でオレたち全員を包む規模。さらにこの魔法、いまだにメアリ以外のメンバーが無詠唱での発動に手こずっている、相手の攻撃は防いでこちらからの攻撃は通すという優れものなのだ。
(まぁ、メアリは防御特化な感じだもんな)
朝の訓練でも、固い防御のせいで普通にやるとオレでも引き分けることが多かったりする。
と、そんなことを考えながら見ていると、ダメージを与えるだけでなく行動阻害の効果もあるのだろう、敵が放った無数の雪玉が重い音を立ててぶつかって貼り付き、瞬く間に障壁の前面を覆っていく。本来なら守りを固めて待つしかなくなるところだが、この『単方向防御障壁』ならば問題ない。曲射したり覆う雪を吹き飛ばしたりしながら、内側から安全に攻撃を続けるフェリとカーラ。
やがて。
「障壁、解除します!」
四十匹ほどに数を減らした敵が飛びかかってきたところで、接近戦へと移行。
「メアリ、いけそう?」
「はい! 問題、ありません!」
そしてこれ。群がる敵の攻撃を、囲まれないように動きながら躱し、逸らし、受け流し、時には反撃しているメアリは、どういうわけか魔物に狙われやすいのだ。敵を引きつける盾職としてはこれほど好都合なこともないのだが、その原因は不明。美味しそうな匂いでもしているのかとしつこく匂いを嗅いでたいそう恥ずかしがらせたのは、今となってはいい思い出である。
それはともかく。
「じゃあ、オレも殺りますかね」
すでにアリス、リリィ、ヒカリ、双子が加わり、敵の数は凄まじい速度で減りつつあるが、メアリが攻撃を受けそうなら即座に割り込めるように気をつけながら参戦。
それから間もなく、十匹ほどに数を減らした敵が逃走して戦闘は終わった。
「逃して良いのですか?」
「人里に被害が出たって話は聞かないし、討伐依頼を受けてるわけでもないし、ね」
ログルス王国に居た三年の間に関わることもなかったし、おそらく標高の高い所にしか生息していないのだろう。そうなると女性をさらうようなタイプでもないと思われるので、見かけたら全滅させなければならないような存在でもない。と、アリスに答える。
「そうですか。……で、先ほどは何を考えていたんですか? メアリが少し涙ぐんでましたよ」
「痛たたた」
アリスに頰を引っ張られる原因は、先ほどメアリの匂いを思い出していたことだろうか。攻撃に加わって近くにいなかったアリスだけでなく、集中攻撃を受けてあまり余裕がなかったはずのメアリにすら悟られていたとは、嫁たちの読心スキルは日々成長しているらしい。
(むむ、ここは戦略的撤退をさせてもらおう)
オレとアリスがじゃれている間に魔獣の死体を地中に沈め終え、良い笑顔でこちらににじり寄る他の嫁たちが見えたので。
「ひゃん!?」
アリスの脇をつついて拘束を逃れ、我も我もとオレの頰を引っ張りに来る嫁たちをかいくぐり、その中からディアだけを抱えて騎獣に飛び乗ると。
「さあ! もう少しで向こう側が見えるぞ!」
と、ディアに頰を引っ張られながら駆けだす。
「あ、ずるいですよ待って下さーい」
と叫ぶアリスを筆頭に、慌てて騎獣に飛び乗って追いすがる嫁たち。
そして、自分のだけでなく嫁たちが乗る騎獣にも足場を作り、白い悪魔がそうしていたように雪の上を駆けて斜面を登ることしばし。
「「おぉ……」」
峠から見下ろす向こう側は、どこまでも続くような乾いた荒野だった。
「……これが、調査隊が見た景色なんですね。こうして見るだけなら、綺麗なものなんですが」
感無量という感じのアリスと、その言葉に同意するように頷きながら景色を見つめる嫁たち。どうやら、うまく誤魔化されてくれたようだ。
(毎回こんな風に上手くいけばいいんだけどね)
それはともかく。
国による調査は打ち切られたが、その前後にも南部を目指して旅立った人々はいたらしい。しかし、そのうち山を越えられたのが何人いたのかは分からないが、一人として帰ってきた者も陸路で南部にたどり着いた者もいないのだ。
(さてさて、何が待っているのかな)
気をつけるに越したことはないが、オレたちならばどうとでもなるだろう。
であるならば、まだ見ぬ景色にただ期待するのみだ。
「さあ、行こうか」
「「おー!」」




