裏.ある少年の回想 ※タイチ視点
タイチ視点の裏話。本編より量・内容ともに少し重ためです。
「なんだよ、放せよカオル兄!」
オレの抵抗をものともせず、カオル兄はズンズン進んでいく。深夜の廊下は冷たくて、足裏が痛いくらいだ。いくつもの角を曲がり、人気のない屋敷の裏手にまできてやっと手が離された。
「バカなことをしたもんだね、タイチ」
冷え冷えとした彼の言葉にうっと息が詰まる。サクとの言い合いのことだ。
「サク様はお前の気持ちに欠片も気づいていない。そんなの、ずっと前から分かってただろう?」
「……っ、だけど、いくらなんでも酷すぎる!」
「例えそうだとしても、あんなことを言っていい理由にはならない。違うかな?」
一点の曇りもない正論に、オレはぐうの音も出ない。本当はオレが悪いことは分かっている。しかし、どうしてもそれを認めることができなかった。
――――――
オレとサクはたった3ヶ月違いで生まれたらしい。アイツはミツキ氏本家の二の姫で、オレは分家の次男坊だ。オレの祖母がアイツの教育係になったこともあって、物心つくころにはもう一緒にいた。
サクは仮にも姫様だというのに、中身はとんでもない悪ガキだった。ある日アイツに屋敷の裏に呼び出され、手伝ってほしいことがあると切り出された。話を聞いてみると、「客間で寝てるおっさんに、何かイタズラを仕掛けたい」とのことで。結局オレの提案でオシロイバナの粉を顔中につけて白塗りにし、後でそのおっさんが近隣豪族の使者だったことが分かってこっぴどく叱られた。
罰として庭に立たされていたオレたちに、こっそり差し入れを持ってきてくれたのがカオル兄だ。彼もまた分家の息子だったが、長男という立場がそうさせるのか、昔からずいぶん大人びていて面倒見が良かった。オレもアイツも、カオル兄には頭が上がらないところがある。
夜風の寒さに震えながら月を見上げていると、隣から「ウチに付き合わせてごめん」と小さな声がした。サクは自分勝手に突っ走って人を振り回すくせに、変なところだけは素直だからタチが悪い。
そんな時間を積み重ねていくうちに、オレはアイツを意識するようになっていった。オレが自分の気持ちに気づいたのは実はほんの数ヶ月前のことだ。どうしていいか分からなくてカオル兄に相談したところ、「結構前から傍目にはバレバレだったよ」と笑われ、内心恥ずかしくてたまらなかった。
「焦らず、長期戦で行けばいいんじゃないかな」
カオル兄は口角をあげてそう言った。
「ここだけの話にしてほしいんだけどね。今後数年間、サク様は巫女としてバク様にお仕えする。当然お務めが終われば結婚ということになるんだけど……長は、もうほとんど相手を決めているらしい。サク様はあの通り自由奔放なお人だから、よその一族に嫁がせて窮屈な思いをさせるより、気心しれた相手と一緒になったほうが幸せだろうって。分かるか? ――僕か、お前のことだよ」
今のオオキミの治世は落ち着いていて、一族同士の政略結婚の必要性が薄いっていうのもあるんだけどね。長はお優しいから、サク様が好いた男と結婚したいと言えばきっとそうさせるだろう。うっすらと笑みを浮かべながらそう語るカオル兄は、オレの知らない男のようだった。
その場では呆然としてしまったオレだったが、日が経つにつれだんだん嬉しさがこみ上げてきた。オレは確かにアイツを手に入れられる場所にいる。カオル兄がサクのことをどう思っているのかは知らないが(聞いてもうまくはぐらかされてしまった)、情報を教えてくれるあたり少なくとも出し抜くつもりはないらしい。だったらアイツが巫女の務めを終えるまでに、オレに惚れさせられるよう頑張ろう。そう思っていた。なのに……
――――――
『スグニサクヲ東ヘ向カワセロ。アレノ夫トナルベキ男ガイル』
いったい何が起こっているんだ。巫女就任式の当日、サクはばったり倒れて目を覚まさなくなった。アイツが寝ている間にあっという間に話は進み、オレが口を挟む余地もなく嫁入りが決まってしまった。
カオル兄や長に何か話を聞こうにも到底そんな時間はない。一族総出で旅支度を整えなければいけなかったからだ。オレの恋心にはみんな気づいていたらしく、周りからは随分と気を使われた。結局サクの部屋の前で警護する係に任命されたが、体を動かさない分余計気持ちは落ち込んだ。
オレも一族の一員だから、神託がどれほど重たいものかは分かっている。実際のところもうアイツの気持ちなど関係ない。旅立ちも結婚も、既に決定事項だ。さらにオレに追い打ちをかけたのは、サクの旅のお供としてカオル兄が選ばれたことだった。理屈ではわかっている。カオル兄は精神的に大人で、頭も切れる。剣の腕だって申し分ない。数年かけて埋める予定だった彼との差は、今のオレには絶望的なまでに大きかった。
「どこに行くつもりなんじゃあ、ババはもう二度と姫さんから目を離しませんぞおおお」
「ええい、腰に抱きつかんといてや! 暑苦しいねん!」
それでもやっぱりアイツが目を覚ましたときは心底ほっとした。ゆるむ唇に力を入れて、目を覚ましたサクにいつもどおりの憎まれ口を叩く。こちらを向いた視線に心が高鳴った。
「んー……? あ、わかった! タイチ、あんた背伸びたやろ!」
上目使いで顔を覗き込まれ、満面の笑みを浮かべられたら一撃だ。思わず頬を染めてたじろぐオレをババアがからかってきた。うるさい、しょうがないだろ。
サクが去った後、ババ様がオレに向かってぽつりと言った。
「ワシはお前にも姫さんにも幸せになってほしいんじゃがのう。……どうするかは、お前次第じゃぞ」
――――――
「タイチ、ちょっと頼みがあるんやけど」
言い訳する訳じゃないけれど、サクが声をかけてきたときオレはひどく酔っていた。
ババ様に別れの宴を催すと聞いたとき、いくらなんでも早すぎると思った。宴までの短い間、オレはどうすればいいのかとずっと考えていた。もう時間はない。アイツとどんな顔して会えばいいんだろう。オレの気持ちを打ち明けるべきなのか? 困らせるのは目に見えているのに?
しかし宴に現れたサクを見て、オレは頭が真っ白になった。憑き物が落ちたかのようなさっぱりした顔だ。今見れば、昼に会った時は無理に笑っていたのだと分かる。それほどまでにサクは吹っ切れた表情をしていた。横目で伺うと、みんなに囲まれてニコニコ笑っている。しばらく見ていても視線は全く合わない。アイツが手の届かないところに行きつつあるのを実感して、オレは悔しさを酒で流し込んだ。
飲めば飲むほどなんだかイライラしてきた。そもそもどうしてアイツに神託が下ったんだろう。巫女は何人もいるのになぜよりによってサクに……。サクもサクだ。どうしてそんなに思いきれるんだ。普通もっと嫌がるんじゃないのか。
宴も終わりに近づいたころ、ついにアイツが話しかけてきた。びっくりしたと同時に胸が高鳴った。頼みってなんだろう。当然旅立ちのことについて何か言われるだろうと待ち構えていたが、アイツの口から出た言葉は全く別のものだった。
「あのな、ババ様を部屋まで連れてってほしいねん。ええやろ?」
「……それだけ?」
「? うん、せやけど……?」
その瞬間、カッと頭に血が上った。オレがこんなに悩んでいるのに、アイツはオレのことを何とも思っていないということが痛いほど分かってしまったから。
「ああそうだよな、オマエってそういう奴だよな」
「え、なんなん、なに怒っとるん」
サクは本気で困惑しているようで、その姿がますますオレの怒りを煽った。可愛さ余って憎さ百倍なんて言葉があるけど、まさにそんな気分だった。
「は? オマエ、ホントにそれ以外何にもないの?」
「なんなん、ないよ、あかんの!? 言いたいことあるんならはっきり言えばええやん!」
「言ってもわかんねえだろ! 明日にはここ捨てて出ていくくせに!」
「捨てて!? 捨ててやと!? アンタに何が分かるねん! ウチの覚悟も知らんくせに分かったようなこというなや!」
「捨てることに変わりないだろ! 故郷を、一族を、全部捨てて出ていこうとしてるだろ! そんなにオレたちは軽い存在なのかよ、そこまでして顔も知らないような男と結婚したいのかよ!」
「結婚のことは今は関係ないやろ! ウチは自分にできることをやりたいだけやねん!」
「オマエみたいな女に何ができるっていうんだよ!」
「うるさい! ウチが何をしようとアンタには関係ないやろ!」
「なっ……関係なくねぇよ!」
「関係ない!」
オレを切り捨てるような言葉にいよいよプツンと頭の血管が切れる音がした。あのまま言い合いを続けていたらオレはアイツに手を上げていたかもしれない。
カオル兄が現れてオレをサクから引き離したとき、オレは確かに頭のどこかでほっとしていたんだ。




