四.めざめ
「姫ざああああん! ワシ心配したんじゃぞおお。よかっだあ、目覚めてぐれてほんどによがっだあああ」
起きて一番に見たものが老婆の泣き顔だった時、人はどこまでも無表情になれるらしい。そのことを身をもって体験したサクは、追いすがるババを引きずりながら母屋の廊下に出ようとしていた。
「どこに行くつもりなんじゃあ、ババはもう二度と姫さんから目を離しませんぞおおお」
「ええい、腰に抱きつかんといてや! 暑苦しいねん!」
サクがなんとかババを振り切って戸を開けると、中庭にいた1人の少年が振り返って口元を歪めた。
「ぎゃーぎゃーうるせーんだよ、ばばあもお前も」
「タイチ! あんた、来とったんか!」
タイチと呼ばれた少年は、ババの孫である。サクとは同い年で、いわゆる幼なじみの間柄だ。 久しぶりに彼に会ったサクは、はてと首を傾げる。以前とどこか変わっているような気がしたのだ。ずい、と身を乗り出して、至近距離でまじまじとタイチを観察する。するとタイチは焦ったように身体を引いた。
「な、なんだよサク。そんなに近づくんじゃねえよ」
「んー……? あ、わかった! タイチ、あんた背伸びたやろ!」
前まで同じだった目線が少し上になっている。小さな発見が嬉しくて、サクは満面の笑みを浮かべながらタイチの頭に手を乗せた。
「ほら、ちょっと背伸びせえへんと届かへんもん」
「なっ……! いきなり何すんだよお前! くっそ、心配して損した!」
ばっとサクの手を払いのけ、顔を真っ赤にするタイチ。払われた手を所在なさげに下ろし、口を尖らせて拗ねるサク。泳いだタイチの目に、サクの背後のババが映る。ババは訳知り顔で忍び笑いをもらしていた。
「てめえばばあ、何笑ってんだ!」
「いやあ、若いのう若いのう。ひゃっひゃっひゃっ」
「うっせー!放っとけ!」
サクは目をぱちくりさせて二人の口論を見守るが、はっと用事を思い出す。ババが離れた今が好機だ。そっとその場を離れて廊下の角へ消えた彼女に、熱くなった二人はしばらく気づかなかった。
――――――
「早よお父ちゃんに報告せななあ」
サクは一人廊下を歩いて長の部屋を目指す。食料倉庫の前に差し掛かった時、ドタドタバタン!という物音と、女の叫び声が聞こえてきた。サクは呆れ顔で倉庫を覗きこむ。この場所の騒がしさには、ここ数年で慣れっこになってしまった。
「ユキ、あんたまたなんかやらかしたんかいな」
「ああっ、サク様! 目覚ましたんですね! 嬉しいです!」
「おおきに。それより……何しとん?」
倉庫の床に倒れこんでいた少女――ユキは、サクの言葉を聞くと慌てて起き上がり、おおげさな手ぶりで状況を説明しはじめた。
「なんかいるんです、そこの角に! さっきから全然捕まらないんですよう」
「へ?」
少女が指差した先には白い布を被り、壁に向かって体当たりを繰り返す謎の物体があった。
ユキによると、さきほど用事を終えて帰ってきてみれば、この物体が倉庫を駆け回っていたらしい。なんとか捕まえようと試みたのだが、鈍くさい彼女には無理な話だった。
「ほんなら、ウチと一緒に捕まえよか。ウチが動かれへんようにするから、あんたはそこの大鍋を被せるんや。ええな?」
「えーっと、はい! 大丈夫です!」
サクは息を殺して獲物に近づき、一気に飛びかかって布ごと押さえ込んだ。すかさずユキが近くにあった大鍋を被せる。かくして二人は謎の物体の捕獲に成功した。
「はー、なんとかできたやんか、ユキ!」
「よかったです、これでやっと掃除に取りかかれますー」
ユキがほっとした表情で清掃用具を取りにいったことを確認したサクは、そっと布ごと鍋を持ち上げる。隙間から中を覗けば、黒い二つの瞳と目があった。
「ピギー!」
(アナタがサクって人? ボク、バク様の使いのウリちゃんです! よろs)
ガコン!!
サクは真顔で鍋を元に戻す。さらに上からしっかりと体重をかけて押さえる。鍋の中からは抗議の声が漏れ出てきた。
「ピググ!?」
(えっ、なんで戻すの? 今完全に目合ったよね、しっかりボクのこと見たよね!?)
「申し訳ないけど、喋る獣はバク様で間に合ってるんや」
「ピギーー!」
(そのバク様の使いなの! 言ってたでしょ、案内役つけるって! あとこれ念話だから!)
しぶしぶ開けた鍋から出てきたのは、子犬ほどの大きさのイノシシの子どもである。体の縞模様が特徴的なその獣は、地団駄を踏んでサクを威嚇しているようである。しかしいかんせん小さすぎて、その姿は怖いというよりは微笑ましい。
「えー、こんなちっこいんがバク様の使い? 大丈夫なんかなあ」
サクはウリと名乗ったその獣を抱きかかえる。ウリはサクの腕の中でジタバタと暴れたが、どうにも逃げられないと悟ったのか、すぐに静かになった。
「ピグーー……」
(くっ、こんな小娘に抱っこされてるなんて……)
「はいはい、おとなしくしてるんやで。今からお父ちゃんに会いにいくんやから。だいぶん寄り道してもうたわ」
ユキが戻ってきたとき、そこには大鍋が一つ、ガランと転がっていた。
――――――
「お父ちゃん、サクです。ちょっと話したいことがあるんやけど、ええやろか」
長の部屋の前でサクが伺いをたてると、一拍おいてドタドタとこちらに向かう足音がした。ガラリと音を立てて木戸が開かれる。ひざまずいていたサクが見上げると、焦った顔をした父長と目が合った。
「サク……! お前、目ぇ覚めたんか!」
「さっきな。ほんでそのことで話があるねんけど……」
そこまで言って、サクは言葉を切る。膝をついた父長が、彼女を強く抱きしめていた。
「突然倒れて、何回呼んでも起きもせん。ワシは、お前がもう目覚まさんのかと……」
「お父ちゃん……」
サクはそろそろと父長の肩に手を回す。ここまで心配をかけていたなんて思わなかった。思えば母が病気で亡くなった頃から、父は身近な人を失うことをひどく恐れるようになった気がする。そんな父に向かって、これからこの地を離れる話をしなければならない。サクの胸は罪悪感でキリキリと締め付けられた。
「お父ちゃん、ウチな……夢を見とったん」
「……」
サクは夢でバク様に会ったこと、自分の使いとして東へ行ってほしいと言われたこと、一度行けばもう戻れないこと、そして自分がそれを了承したことを話した。サクが言葉を紡ぐごとに、背中を抱く父長の手には力がこもっていく。
すべてを話終えたとき、サクは自分が泣いていることに気づいた。
今まで気づかないふりをしていた感情が、堰を切って溢れ出してきた。父の胸の中で涙を流すのは、6つで母と死に分かれた時以来だ。本当につらいのは置いて行かれる側だと、サクはよく知っていた。
「ごめんな、お父ちゃん。それでも行くって決めたんや。バク様に言われたからやない、巫女だからでもない。ただここで行かんと、ウチ一生後悔する。どうしてあの時行けへんかったんやって、そんなんじゃ胸はって生きられへん。だから……」
「わかっとった」
静かに呟かれたその言葉に、サクは目を見開いた。
「お前はいつか出ていくんやろうって、わかっとった。お前にこのトヨサトは狭すぎるんや。ずっと外に行きたかったんやろ? 行ってこい、サク。ワシは、お前がどこかで元気でいてくれたら、それだけでええんや」
震えながら絞りだすように囁かれた父長の言葉に、サクは声をあげて泣いた。




