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三.夢の中で

 依然変わらぬ池のほとり。バク様とサクが出会ってからかなりの時間が経っているにも関わらず、月は変わらず二人の頭上に輝いている。サクの目には珍しく不安と当惑が浮かんでいる。一方のバク様は、笑顔ではあるものの感情の読めない目をしていた。サクはためらいながらも口を開く。


「それって、かなりの大仕事ですやんか」


『そうだね』


「東へ行って、そない強い化物を倒して、跡取りはんの一族を助けなあかんと」


『うん』


「一応聞いときますけど、バク様お一人でなんとかすることはできないんですの?」


『オレ夢の神だしね。現実世界の事には干渉しにくいんだ。オレ一人で出来るのは、せいぜい時間稼ぎだね。大本のところは、オレの巫女にやってもらわないといけないんだよ』


「そうですか……」


 ここにきて、サクは完全に黙り込んでしまった。最初にバク様の口から「東へ行け」と聞かされたときは、わけがわからずつい恐喝めいた口調で問いただしてしまったのだが、どうやら事はサクの想像よりも深刻だったらしい。誰かがバク様の代わりにやらなければならないのだ。


「でも、分からんわ、バク様。なんでウチなんです? お姉ちゃんみたいに頭良いわけでもないし、巫女としての能力も並以下やって言われたのに。はっ、それとも、もしかしてほんまにウチの中に大いなる力が……」


『眠ってはないけどね』


 バク様の冷え冷えとした視線がサクを襲う。しかし彼女がこの程度でめげるはずもない。


「ほんならなんですか? ウチのトヨサト一やと言われる美貌ですか?」


『トヨサト一平凡な顔の間違いじゃないかな』


「いや、鈴の音のような声かもしれへん」


『うーん、滑舌の良さは認めるけど』


「ほんならアレでしょ、体や!」


『ごめんね、オレは豊満で胸の大きい子が好みなんだ』


  バク様は実にかわいそうな子をみる目をしていた。


『まあ、人も神も大事なのは外見じゃない、中身だよ。その点、キミは見た目こそ平凡だけど...』


「失礼な神さんやな」


『オレの見た目で大笑いしてたキミには言われたくないね!……ごほん、だけど何といってもキミは健康で丈夫だよ。逆にキミぐらい丈夫な娘じゃないと、東への旅には耐えられないさ』


「そんなにきついんですか?」


『まあね。男であっても楽な旅じゃない。100年前の皇子だって、ついぞヤマトに帰ってくることはできなかった』


  その皇子のことはサクも知っている。勇猛果敢で知られたかの皇子は、大王の命で東の豪族たちを服属させ、ヤマトの支配圏を拡大した。しかし、彼自身はヤマトへの帰途で病に倒れ、故郷を恋しがりながら亡くなったという。


『まして今回は行きだけで精一杯、行けばトヨサトの地に帰ってくることは二度とできないだろうね』

 

「……!」


『厳しいことを言うようだけど、オレの力も無限じゃない。もっと言えば、無事に東へたどり着けるとも限らない。それを踏まえてもう一度聞くよ』


『キミは東に向かってくれるかい?』


  バク様はサクの目をまっすぐ覗きこみ、首を傾げて問いかけた。その様子は神というより人間の父親のようで、サクは思わず笑ってしまう。彼女の心は既に決まっていた。


「もちろんです、バク様。ウチ、前からトヨサトの外を見てみたいと思っててん」


 

――――――



 トヨサトは、山に囲まれたヤマトの中でもさらに三山に囲まれた地だ。温暖で過ごしやすい環境は、愛し子を守るための自然のゆりかごである。


  サクは仮にも一族の姫であるため、トヨサトの外には出たことがない。数々のイタズラで大人たちの度肝を抜いてきた彼女だが、唯一「里の外に出るな」という言いつけだけは守ってきた。父親に泣いて頼まれては無下にできない。


  サクは辺りを見回す。このミミナシヤマの池の傍には、トヨサトの外につながる道が通っている。一生歩けないと思っていたこの道を歩くことができるかもしれない。そう思うだけで、サクの心は激しく震えた。


「もちろん、危険なのはわかってます。家族に二度と会えへんってのも」


  サクは一度伏せた目を上げ、バク様の目をしっかと見据えて挑むように言いはなった。


「それでもウチは行くで、バク様。こんな機会、二度とあらへん。それに、助けを必要としてる人がいるんなら、行って助けてあげるのがいい女ってもんや」


  サクはそう言って、腰に手を当てる。無い胸を張る彼女の姿を眩しそうに見つめ、バク様はサクに笑いかけた。


『よく言った、サクちゃん。それでこそオレの娘だよ』


  その言葉が終わるか終わらないかのうちに、辺りの景色がぐにゃりと歪む。サクは思わず地面に手をついてきつく目を閉じる。くらくらと揺れる頭に、バク様の楽しそうな声が響いた。


『旅のお供にはオレの使いをつけるから、後のことはソイツに聞いてねー』


  天地がひっくり返るような感覚に、サクは必死に地面にしがみつく。


『そしてこれはキミに贈る、オレからのささやかなはなむけさ』


  トンと足を踏み鳴らす音がして、次の瞬間世界がピタリと定まった。



――――――



「えいっ!やあっ!」


  勇ましい掛け声と共にキン、キンと金属音が響いている。サクはゆっくりと瞼を持ち上げた。彼女がいるのは深い森の中で、前方には丸く開けた場所がある。そこには2人の男の姿があった。


  1人は筋骨隆々の見るからにたくましい男だ。身体は浅黒く焼け、至るところに古傷が見える。錆色の大剣を両手で握り、静かに構えている。


  いま1人は細身で色白の男だ。いや、少年と言ったほうがよいかもしれない。男に相対して構えるその少年の手には、ピカピカと輝く細身の剣がある。しかし全身土まみれで、肩でぜいはあと息をする姿は優雅さとは程遠い。


「ははは、やはり若様は軟弱ですな」


「はあ、はあ、はあ……っまだまだ!」


  キッと顔を上げ、少年は男へ斬りかかる。しかし簡単にいなされ、ズシャアという音をたてて地べたに転がされてしまった。それでも少年は即座に起き上がり、何度でも男へ斬りかかる。それを男がさらりとかわし、時に挑発する。


  何度目の打ち合いだっただろうか。ついに少年は地面に倒れて起き上がれなくなってしまった。天にむかって荒い息を吐く少年の顔を、男がのぞきこむ。


「若様、今日はここまでにしましょう。明日こそは私に一太刀浴びせてほしいものですな」


  カカカと笑いながら去っていく男の背中を悔しげに見送った少年は、目を閉じて小さな声で呟いた。


「今のままじゃ××に太刀打ちできない。僕が一族を守らないと。ああ……僕はもっと強くなりたい」


  その言葉は鉛のような重さを持ってサクの胸を突いた。思わずみじろぎしたせいで、周囲の枝がガサリと音を立てる。


「――っ、誰だ!」


  身を起こした少年とサクの視線がぶつかり合う。サクには少年が目を見開くのが見えた。


  再び景色が収束し始める。ガンガンと揺れる頭をこらえながら、サクは必死に少年を見つめ続けた。すぐに彼の姿は黒い渦に巻き込まれて消え、サク自身も背後から迫っていた何かに呑み込まれてしまった。


 真っ暗な視界の中、意識を失う直前に彼女は思った。


 自分の言葉が、あの少年に届いていればいいと。


「絶対なれる」と叫んだ声までが、消えていなければいいと。

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