第7話 老いぼれ
刀を投げた雲水は何やら満足気な顔を浮かべていた。
刀が物の怪の目に刺さってもいい。目に刺さらなくてもいい。
拙者の最後の役割は、相手の視界を奪うこと。
目に刺さらない時、それはつまり物の怪の目が朝日にやられ、目を瞑った時。
雲水の投げた刀は虚しく跳ね返る。
狙いは特別良かった。けれど、狒々は朝日から守るために両手で目を覆ったからだ。
「しっぺい太郎…今ですぞ……!」
「ワ”オ”ーーーーン”!!!」
半壊した岩の上で遠吠えをするしっぺい太郎の声は枯れていた。おそらく血がのどや肺に溜まっているんだろう。
「お主を連れてきたのは……間違いではなかったようですな。」
この村を救う《《希望》》。
視界が揺らぐ。雲水はその場で倒れそうになるが、咲良がそれを支えた。
パッサッ…
その際、雲水のかぶっていた笠が地面に落ちる。
「……!!」
支えたタイミングで咲良の手がわずかに雲水の手に触れた。
「冷たい…」
咲良の表情が凍りついた。
この冷たさが何を《《意味》》するのか理解……するのに、時間はかからなかった。
「嫌っ…!!」
咲良は制服の上着を脱いで、雲水の出血部に当てた。涙が咲良の頬をつたって雲水の腕に落ちる。
次の瞬間、しっぺい太郎は岩から飛び降りて走り出す。陰に隠れたくても、目の見えない狒々はそれに気づかない。
しっぺい太郎は走っている最中、何度も途中で転んだ。おそらく足の骨が折れている。それが遠くから見ている悠には簡単に分かった。
それでもしっぺい太郎は走り、やがて狒々の足に飛び込む。
「ワ”オ”ン”!」
「まだくたばってなかったのか!?お前は本当にしつこいな!!」
視覚を失った狒々は、野生の感で腕を伸ばす。
「危ない!!」
それを見て悠は叫ぶ。
しっぺい太郎は横っ飛びしてそれをよけるが、折れた足で着地ができるわけもなく…転ぶ。
「ぐおおお!!」
朝日が増し、狒々は悲鳴を上げた。バランスを崩して倒れかかる隙を、しっぺい太郎は立ち上がり、狒々に襲い掛かる。
ボロボロじゃないか…。
しっぺい太郎は狒々の身体によじ登り、長い腕を走る。その姿を悠は瞬きをせずに、ただ見ていた。
もうわかったから……。
しっぺい太郎は狒々の肩に到達し、軽くジャンプすることで勢いよく狒々の首元に突撃する。
もうわかったから!!
気づけば悠は走り出していた。
ごめんよ、しっぺい太郎は決して悪いことはしていない。本当の歴史は……。
狒々は最後のあがきを見せて、身体を大きく揺さぶり、しっぺい太郎を吹き飛ばした。
走っている悠の目の前からしっぺい太郎が飛んできて、悠がしっぺい太郎を受け止める。…が、少し後ろへ飛ばされた。
「があああああああ!!!」
狒々は立ち上がり、咆哮を上げた。おそらく自分自身の最後の力を振り絞るための咆哮であろう。
その咆哮を聞いたしっぺい太郎は再び走り出す。
「もう行くな!!」
俺が起き上がって前を向いた時、しっぺい太郎はこちらを向いていた。
「ワン!」
その眼差しは「気にするな。」「任せろ。」などを訴えかけくる。
「……ありがとう。」
先ほどの悠の叫び声に、咲良が気づく。
悠の声…?
生きていた…本当に良かった。
その喜びの感情はすぐに塗り替えられる。
自分の目の前で、呼吸が弱々しくなっていく恩人の姿。
咲良の手が震える。傷口を押さえているはずなのに、血がそれをお構いなしといわんばかりに飛び出す。
もし本当に生きているなら…お願い……。
「た……すけて……!!」
「悠!!!」
その声を確かに悠は聞き取った、崩壊した神社に隠れて見にくいが、声がする方向へと走り出す。
今の俺にできること……。
しっぺい太郎が狒々に到着するのと、悠が咲良のもとに到着するのはほぼ同時だった。
しっぺい太郎は狒々の腰に噛みついて、敵が倒れるまで離れまいという芯を貫く。
「咲良!!」
悠が瓦礫を飛び越えた先にいたのは、血溜まりに浮かぶ雲水と傷口を押さえつける咲良の姿だった。
「…悠。」
「雲水さんが…。私、何もできなくて……どうすれば。」
震えた声で訴えかける咲良。悠はそんな咲良により沿って雲水を見つめる。その瞬間、雲水の口元が小さく動く。
「……何もできない。まった…く…そのとおりだ……。」
「もうしゃべっちゃダメ!」
しゃべるたびに血が出てくる。それを見た咲良は雲水がしゃべるのを止めようとする。
「おぬしらが……今できる…ことは………」
そして、長い溜めから、苦しそうに一息つく。
「《《ここにいてはできないことだ。》》」
なんだと思う?
そう聞いているような優しい表情。
「生き残りの人たちを助けること…。」
悠は雲水と目が合う。
「……分かった。」
と答えて咲良に手を差し出す。
「咲良、行こう。」
「でも……」
「雲水さんが言ったんだ。俺たちにできることをやろう。」
咲良はしばらく雲水を見つめていた。そして……悠の手を取る。
一人になった雲水はその後ろ姿を見ていた。
「拙者の妻にそっくりだな…」
生涯愛し、亡くなってしまった妻の姿をどこか感じさせる。
咲良殿よ、決して自分を責めるな……。
ただの老いぼれの…自己満足じゃよ。
心の中でほほ笑みながら…雲水は静かに目を閉じる。そして、意識は深い海へと沈んでいく。ゆっくりと…ゆっくりと……




