アレクサンドラの登校日
セイリオスとのお茶会が終わってから、アレクサンドラは彼を見送り、家族のゆったりとした時間を過ごした。
幸いなことに、ドロテアが王妃に対して『突発性の発熱によりアレクサンドラが寝込んでしまった、しばらくそちらへ行けません』と、素早く手紙を送り付けたことにより、王妃教育のはじまりを遅らせることが決定した。
そもそも王妃教育を受けること自体が嫌で仕方なかったし、婚約破棄する気満々なアレクサンドラは、しばらくの間城に出向かなくてもいい、この事実だけで大変気分よくすごせていた。
なお、突発性の発熱、などと嘘をついてしまったので、もれなく学園も欠席することになったのだが、それはそれ、これはこれ。
朝食の席で、アレクサンドラは深々とドロテアに対して頭を下げた。
「お母様の仕事がお早くて助かりました、ありがとうございます」
「王妃教育だなんて名目で、これ以上わたくしの可愛いアレクサンドラちゃんを王宮に拘束されてたまりますか!」
「お母様……」
「テメェのケツはテメェで拭け、っていうことよ」
「お母様、お口が大変お悪いですわ」
ついうっかりツッコミを入れたアレクサンドラは、きっと悪くない。何ならよく言ってくれたと言わんばかりにドロテアの専属メイドが拍手をしてくれている。
「奥様、相変わらずお口が悪くていらっしゃって……本当にもう……」
「あら、わたくしこの国の王妃大っ嫌いなんですもの。些細なことでエドくんこき使うし」
「…………」
何だこの万年新婚夫婦、とアレクサンドラとメイドの心の中のツッコミは一致する。
とはいえ、怒らせてしまえばいちばん厄介なのは父でも誰でもなく、この母であることは間違いないので、ツッコミは声には出さない。
「お母様、とりあえずわたくし本日………………えっと」
「エスメラルダ殿下?」
「そうそう、それ。エスメラルダ殿下が本日いらっしゃるそうなので、少し見てまいります」
「もしかしたらセイリオスくんもいるかもしれないわね」
「え?」
「あの学園、男女で校舎が分かれているとはいえ、大きめのイベントがあったりすると男女関係なくなるでしょう?」
ほほ、と笑いながらドロテアは目を光らせた。
穏やかだった目に剣呑な光が宿り、普通の人であれば間違いなく倒れてしまいかねないほどの殺気が膨れ上がってしまっている。
それに、イベント事があると学園側も生徒に対して驚くほど甘くなってしまうのも、また事実。
「そういう甘いところがあるから、婚約者がいるにも関わらずスリルを楽しみたいとか意味の分からない理由で浮気をする馬鹿が増えるのよ。男子部と女子部、分けない方が良いって昔からずーっと色んな人にご意見いただいているのに……んもう」
そう、アレクサンドラの通っている学園は男子部と女子部に別れている。
それぞれ特に成績優秀な者に対して、特別な称号が与えられたりするのだが、一旦それはさて置いておく。
「一応、わたくしからも学園長に進言はいたしますわ。あぁそうだ、王妃殿下にも念の為進言しておきましょうか」
「あら、どうしてそんな面倒なことするの?」
「え?」
母からの質問に、アレクサンドラは笑いながら答える。
「わたくしは憂慮して相談した、取り合わなかったのはお前たちだ、という証言をしてやれば王妃の悔しがる顔が見れるではありませんか」
「…………まぁ!」
ぱっと顔を輝かせたドロテアは、パンパン、と手を叩いてメイドに合図を送る。
会話の流れからすぐさま意図を汲み取ったメイドは、いそいそと何かを取り出してドロテアに手渡した。
「ありがとう。さてアレクサンドラちゃん、これを貴女に貸してあげるわね」
「これは……」
「見た目は可愛いペンダント、しかしてその実態は録音魔道具よ!」
「……あの、お母様」
「なぁに?」
「一応聞いておきますが、この魔道具はどこで……?」
「……えへ」
にこ、と大変可愛らしく微笑んだドロテア。恐らく『聞くな』ということだろうが、こういった魔道具の生産に関してはドロテアの祖国が有名なのを、アレクサンドラはしっかり把握している。
恐らくこちらに嫁いでくる際、一個くらいならまぁいいか、くらいの感覚で嫁入り道具としてくすねてきた、というところだろう。
「……まぁ、今更驚きませんわ。お母様ですもの」
「アレクサンドラちゃん話がわっかる~!」
「ひとまず、こちらお借りしますわね。録音した音声なんかは……」
「ちゃんと移し替える媒体もあるから、そこは安心なさい」
「ありがとうございます」
話しながらゆったりと朝食を終え、アレクサンドラは立ち上がる。
「こんなにも落ち着いた朝食、いつぶりでしょう……」
「殺伐とした雰囲気だったものねぇ……」
思い返せば回帰前、馬鹿王太子のせいでアレクサンドラは常に気を張り詰め、ピリピリとした雰囲気しか無かった。
笑顔なんて見せられる余裕はないが、王太子妃教育の賜物なのか、外行きの笑顔だけは綺麗に貼り付けられたのでどうにかできたものの、がりがりと頭を掻き毟ったり、爪を噛んだりと、彼女の行動はストレスのせいで相当荒れていた。
無論、皮膚を引っ掻いて傷が残らないように回復魔法を使ったり色々対策を講じていたものの、やってしまった事実は彼女の中から消えず、じくじくと心を蝕みかけていたのだ。
「お父様には婚約解消にむけて頑張っていただくとして」
「エドくんなら大丈夫よぉ」
「わたくしは、お馬鹿さんたちの尻尾をしかと、掴んでまいりますわ」
娘の力強い言葉に、ドロテアはほんの少しだけホッとした。
かつて、いいやほんの少し前までのアレクサンドラは、目に光がほとんど宿っておらず、世話係のメイドにも当たり散らす日々が続いていた。それ故に、アレクサンドラの世話係は嫌だ、と何人かのメイドが配置転換を希望したことだってある。
だが、先日回帰してきたアレクサンドラを見た使用人たちは声を揃えて『お嬢様に一体何があったのですか』と口々に問いだたしてきた。
あんなにも生気の無かったアレクサンドラが、とんでもなく生き生きとしているだけではなく、バネンシア家の長男が婚約を申し出てくるだなんて!と大騒ぎになっていたりしたが、アレクサンドラとセイリオスは全く我関せず。
色々と説明して回り、くたびれたもののドロテアにとっては心地良い疲れだった。
今までは、機嫌の悪いアレクサンドラを必死に宥め、使用人たちの心のケアもしてきたが、今回の説明はプラスの内容だったので、笑いながら『実はね……』と説明して回ったのだ。
回帰してきた、ということは言わずに、あくまで『王太子にずっと虐げ続けられていたアレクサンドラに、初めて優しくしてくれる人ができた』とだけ伝えておいた。
オルヴァーシス家の使用人たるもの、口が堅いことではとても有名。
とはいえ、アレクサンドラが浮気をしていないように、伝えるべきところはきちんと調整をしているので問題は無い。
「アレクサンドラちゃん、行ってらっしゃい」
「はい、お母様」
にこ、と微笑んでからアレクサンドラは用意された馬車に乗り込んだ。
扉が閉められ、見送ってくれている母や使用人たちに手を振っていれば、馬車は少し揺れて動き始める。
「……さぁて、戦の開始……というところかしら。お馬鹿さんには、たぁっぷり痛い目を見ていただきましょうねぇ……」
揺れる馬車の中、誰に聞かれるでもなくアレクサンドラは呟き、凶悪な笑みを浮かべる。
きっと同じようにセイリオスも何かを企んでいるような笑顔を浮かべていることだろう、と思えば、自分が一人ではないことを実感できる。
「まずは、ファーストコンタクトを成功させましょうか」




