家族との再会(アレクサンドラの場合)・前編
「…………ん」
ぱちり、と目を覚ました場所は、おそらく自分の部屋だろう。見慣れた天井が視界いっぱいに入ってくる。
アレクサンドラは視線を動かし、ゆっくりと体を起こした。
「……ふむ」
ベッドから降りて、姿見で今の自分を確認する。
めちゃくちゃ小さいわけではないから、巻き戻る前とほぼ変わらないくらいの年齢だろうか、と推測する。
「わたくし、何歳かしら。何年分戻ったのかは……今すぐには分からない……か?」
呟いていると、部屋の扉がノックされる。時間を確認するとちょうどアレクサンドラがいつも起きる時間だったので、はいどうぞ、と返事をした。
「失礼いたします、お嬢様……まぁ、もう起き上がられておりましたか!」
「おはよう、ばあや。たまたま早く起きてしまったの。……少しだけ、嫌な夢を見ちゃって……」
「まぁ……! きっと、連日の王太子妃教育のお疲れが出ているんでしょう!昨日から王妃教育も始まった、と仰っていましたし……」
(王妃教育……?)
聞き覚えのある単語だ、と思ってアレクサンドラは必死に記憶を辿っていく。
かつて、王妃の言葉に乗せられるがままに勉強を頑張りに頑張った結果、王太子妃教育以上の教育を施され、挙句の果てにまだ式も挙げていない段階で王妃教育が始められてしまったのだった。
(……あのクソババア……っ!)
ばあや、もとい乳母に見えないようにギリギリと拳を握りこんだアレクサンドラだったが、この言葉のおかげで今がいつなのかを理解した。
(つまり、あれから一年前に戻ってきた、ということね。まぁまぁ、っていうところかしら)
「お嬢様?」
「……あぁ、ごめんなさい。余程悪い夢だったみたいで、ボーッとしてしまっていたわ。ところでばあや、お父さまは……確か今、遠征に行っている頃、よね?」
「はい。ですが、本日ご帰宅なさいますよ。先に陛下への報告を済ませてからになるかと思いますが、お嬢様のお顔を見たいがために、きっと旦那様は頑張るはずです」
「ばあやったら、お上手だこと」
談笑しながら、アレクサンドラは乳母が持ってきてくれた洗面器に入っていたお湯で顔を洗う。ドレッサーの椅子に座り、スキンケアを済ませると丁寧に丁寧に髪を梳かれる。
「……お嬢様の御髪は、本当にお綺麗です。まるで金色の絹糸のようですねぇ」
「あら、今日はばあやがわたくしを褒め倒してくれる日なの? 何か欲しいものがあって? お給金を上げるにはお母様に交渉しないといけないけれど」
「ほほほ、バレましたか」
小さい頃からいつもこうして穏やかな時間をくれる乳母が、アレクサンドラは大好きだった。今も、きっとこれからも大好きな気持ちは変わらない。
だから、乳母をはじめ、他の大切な人と離れないために。大切なものを失わないために、己の足で歩いていけるようにしなくてはいけない。そのために、セイリオスがやってくるのを待つ必要がある。
(絶対的な味方は、多い方が良い)
「お嬢様の御髪が綺麗だというのは本当でございます。ですが……こう出来るのも後一年……と考えると、少し寂しいようにも思いますねぇ……」
「……」
(結婚なんてしないわ、絶対に。あんな大馬鹿者と一生一緒に過ごすだなんて嫌だもの)
「ねぇ、ばあや。お母様はもう支度が終わっていらして?」
「え? ええ、奥様は朝食をお召し上がりになっておりますよ」
「善は急げ! 早く行きましょう!」
「お、お嬢様!?」
幸いにも髪を結い終わっていたから問題なかったものの、今までのアレクサンドラの行動からは全く予想できないもので、乳母も焦る。
「お待ちくださいませ!」
「ばあや、行きますわよ!」
普段のアレクサンドラは、こんな風にいきなり立ち上がって駆けだしたりしない。しかも今のアレクサンドラの年齢は十七歳。
まさかこんなにも駆け足で、良い笑顔で母親のところに向かうことはしなかった。
「お嬢様ー!」
何があったのか、と聞きたいけれど、いそいそとダイニングに向かっているアレクサンドラの背中に呼び掛けても彼女は止まらない。
周囲のメイドも驚いているし、乳母に『何事ですか!?』と聞いてくるが、乳母も駆け足だから思うように答えられないのがもどかしい。
「失礼しますわお母様! おはようございます!」
ばん! と勢いよくダイニングのドアを開けた瞬間に飛んできたナイフをぱしっと受け止め、アレクサンドラはにこにこと挨拶をする。
「アレクサンドラちゃん、お行儀が悪いわ」
「ごめんなさいお母様、でもどうしてもお伝えしたいことがあって……」
「分かりました。とりあえずお座りなさいな」
おいでおいで、と手招きする母・ドロテアに招かれるまま向かいに腰を下ろした。
「改めて、おはようございますお母様」
「おはよう、アレクサンドラちゃん。貴女にしては珍しいこと尽くしの朝だったみたいね?」
「?」
はて、と首を傾げるアレクサンドラだったが、どうやらメイドが先回りしてあれこれ報告していたようだ。
己の行動を思い返したアレクサンドラは、ハッとして少し照れくさそうに微笑む。
「……いやですわ、お恥ずかしい」
「そうやって笑うアレクサンドラちゃん……どれくらいぶりかしらね」
「お母様……」
少しだけ寂しそうに微笑んでいるドロテアを見ると、これまでの自分が家族に対しても事務的、あるいは表面的に取り繕って接していたことを思い出した。
王太子妃候補だから、とか。
あと数年で王族に嫁いで、この家から出ていくから、とか。
よくよく考えれば、そんなものは単なる理由にすぎない。
家族なのに己を出せない、だなんて今改めて思えば大変おかしなことだ。
「それで、どうしたの?お話って……割と重要そうだし、旦那様が帰ってきてからでも良くないかしら?」
「先にお母様にお話したくて。だって、王太子殿下との婚約を無かったことにしていただきたくて……」
「あら!まぁ!」
言った瞬間、ドロテアの顔がぱあっと明るくなる。
そういえばこの母は、王太子であるシュミットのことを毛嫌いしていた、ということをついでに思い出した。
(お母様、殿下のこと死ぬほど嫌いだったわよね……。よし、話す順番大正解だわ)
よっしゃやった、と内心大喜びしているアレクサンドラだったが、表に出さずににこやかな表情で更に言葉を続けた。
「でね、お母様。新たに婚約を結びたい御方がいるんだけど……ちょっと色々あるからややこしくて」
「?」
「バネンシア家の、セイリオス様」
「……ん?」
「セイリオス様」
巻き戻る前には想像できない程の、眩い笑顔でセイリオスの名前を出したアレクサンドラを見て、ドロテアは呆気に取られてしまった。
「セイリオス、って……」
「お父様が毛嫌いしてる、バネンシア家の御長男ですわ」
「はっ、まさか同姓同名とか……」
「いやですわ、家名まで同じだなんてそんなことありません」
「そうよねぇ」
アレクサンドラの言うことを理解してきたドロテアは、少し考えてから首を傾げる。
「でも彼、わたくしの故郷のどこぞの王太女と婚約してたわよね?」
「えぇ……って、お母様?あの、ええと」
「親戚付き合いをしていなかったわけではないけれど、えーと……エスメラルダだったかしら。あのワガママ癇癪王女」
「お母様、お口が」
「あら嫌だ」
ついうっかり、と続けたドロテアは、追い付いて呼吸を整えていたアレクサンドラの乳母にも、『奥様、お口が悪いです』と窘められている。
アレクサンドラの乳母はかつてドロテアの専属侍女だったから、当主夫人に対してもこうして注意のできる貴重な存在。
「でも、アレクサンドラちゃん。貴女、彼とどこで……」
「それは、まぁ……おいおいご説明させていただきたく思いますわ。お父様がお帰りになったらわたくし詳細をお話したいな、って思います」
アレクサンドラの言葉に、ドロテアは笑顔で頷いた。
父であるエドワードは、国王から要請を受けて王都から離れた場所で出現したという魔物を退治しに行っている。現地までの往復と討伐で合計一週間の遠征だ。
「遠征からお帰りになるのが今日でしたわよね?」
「そうよ。民が不安に思っているから、っていういい感じの理由をつけて旦那様をこき使う王のおかげで、あれやこれや雑用をさせられている、と思えなくもないから困るのよねぇ……」
「お母様、本音が」
「うふふ、つい」
ドロテアが嫁いできたのは、自身の意思でエドワードを選んだから。結果としてバネンシア家ととんでもない軋轢を生じさせてしまったのだが、それはドロテアのせいではない。あくまでエドワードとバネンシア家当主のお互いのプライドのせいだ。
「あぁでも、確か旦那様からのお手紙に『早めに帰る』とあったような……」
「え?」
巻き戻る前は、そんな事なかったのでは……と、アレクサンドラは一瞬目を丸くする。
(……戻ってきたから?でも……わたくしは何かを変えるような明確な行動は取っていないはずよ?)
「確か……昨日だったかしら。旦那様の使い魔が手紙を届けてくれて、その中に一日早く帰る、って記載があってね」
「そう、なんですか」
会話をしている間に、アレクサンドラの前にも朝食が並べられる。
クロワッサンサンド、オムレツ、新鮮な野菜をたっぷり使ったサラダ、野菜のスープに綺麗な焼き目のついた大ぶりのソーセージ。
温かい食事だ、とホッとしてアレクサンドラはスープから食べ始めた。
「……」
その様子を、ドロテアも乳母も、執事長も見逃さなかった。
王太子妃候補になってから、王宮で食事をする時はいつも毒味の終わったあとの冷めたものばかりで、温かいものはあまりなかった。
家で食べることよりも、教育内容が深まっていくと王宮に滞在することの方が多くなり、その頃からアレクサンドラの表情は凍りついていくことが多かった。
(……一体……どうしたの、アレクサンドラちゃん……)
普段は色々と厳しくしているものの、いくつになろうがドロテアにとっては可愛い娘。
あまり目にしない表情を朝からいくつも見せられ、さすがのドロテアも困惑し、何があったのかを問いかけようと口を開いて言葉を発しようとしたまさに、その瞬間。
「戻ったぞ!!」
バァン、と扉が開いて豪快に帰宅宣言をしながらエドワードがダイニングに入ってきた。
それを見たドロテアが、もう少し落ち着いて、と言おうとエドワードの方を見た瞬間、アレクサンドラがばっと立ち上がり、いそいそとエドワードの方に小走りで駆け寄って、自分よりも身長の高い父を見上げながら顔を輝かせ口を開く。
「おかえりなさいまし、お父様!帰ってきて早々で申し訳ないんですけれどもね、アレクサンドラのお願いを聞いてほしいの!聞いてくれるわよね!?ハイかYESで答えて!」
「え?」
「ア、アレクサンドラちゃん?」
その選択肢は『はい』しかないのでは、と両親や使用人たちの心の中のツッコミが、アレクサンドラに一斉に向けられたのだが、当の本人はご機嫌のままでエドワードを見上げていたのである。




