『奇跡』
アレクサンドラの手の甲に口付けたセイリオスは、すっと立ち上がって牢の中に配置されていたソファーに座る。
貴族用の牢獄なだけあって、一般的なものに比べればとても過ごしやすい。とはいえ、普段の彼らの部屋に比べれば質素な作りになっている。
「で、奇跡の力とは」
「あぁ、ご存知なくて?」
「それは秘匿されている情報だろう」
「あら……そうでしたか」
「……?」
はて、とアレクサンドラとセイリオス。二人揃って首を傾げた。
アレクサンドラは、己の持っている力が国民全体に周知されていると王家から聞かされている。だが一方で、貴族にはあまり知られていないのだろうか、と疑問を抱いた。
セイリオスは、そもそもアレクサンドラが奇跡の力を持っているとは薄ら聞いているが、どのようなものなのか、ということまでは知らない。
「……情報の擦り合わせから、よろしくて?」
「助かる」
言葉は少ない。
だが、二人はすぐさま互いの持っている情報を共有していった。
まずはアレクサンドラ。
現在、(一応)王太子の婚約者であること。王太子の婚約者であるから、扱いは『準王家』でなくてはならないはずだが、王太子自身がそれを理解しているのかいないのか、理解したくないのかどうなのか、が全くもって不明であること。
二人の親交を深めようと王妃がお茶会をセッティングしても、やれ公務だ、友人間の付き合いを邪魔するなだとか、色々と用事をねじ込んでアレクサンドラと会おうとしない。だから、親交が深まる訳もない。
王妃は己の息子がとても可愛いからと、息子馬鹿っぷりを披露してくれるが、アレクサンドラにとっては頭痛の種でしかない、ということ。
「……ですかしら」
「揃いも揃って馬鹿だらけか」
「馬鹿だから、息子の暴走に気付けないんですのよ。馬鹿だから」
恐らく、現状罪人扱いで牢にいるからと王家の影は一旦離れているだろう。職務放棄すな、とツッコミを入れたかったが、これは大変好都合だとアレクサンドラは内心大喜びしている。
「それに、王太子と王太女の言葉は、次代の王である、という認識があるからこそ兵士たちもわたくしたちの扱いをどうしていいのか分からないまま、言われたから牢に入れた、とかではないかしら」
「馬鹿だな」
「ええ、本当に」
おほほ、と優雅に笑うアレクサンドラと、頭を抱えているセイリオス。
「で、そちらは?」
「……こちらは……まぁ、似たようなものだが、婚約を打診された理由がどうにも馬鹿らしくてな」
「あら」
大きく息を吸って、そして吐いてからセイリオスはげんなりとした表情を浮かべ、口を開く。
「俺だったら、あのお転婆姫様を制御できるんじゃないか、だそうだ」
「子守り?」
「ハッキリ言ってくれるな」
「あら失礼、つい……」
どこからどう聞いてもそれは子守り要員だろう、とアレクサンドラは隣国の王族に対してこっそり毒を吐きつつ、こほん、と咳払いをした。
「ちなみに、本当にその……あれ、王太女殿下、ですの?偽物とかではなく?」
「れっきとした本物だ。だがしかし、とんでもない恋愛脳で、恐らく俺が婿入りしたとて浮気三昧、もしくは理想の外見の王子様モドキを集め侍らせ、バカ騒ぎをするだろうさ」
「……公務は?」
「俺一人に押し付ける気満々、ってところだろうな。バカバカしい」
もう一度大きな溜め息を吐いたセイリオスは、姿勢を正してからアレクサンドラをじっと見る。
そう、例えるならこれくらい落ち着きがあって、優雅で、色々なことを弁えている女性を妻にしたい。
だがしかし、アレクサンドラの家と自分の家の仲が悪いことが最大のネックではあるから、どうしたものか……とセイリオスは、大層悩んでしまっていた。
「セイリオス様、もう一度よろしくて?」
「何だ」
「改めてお伺いいたしますが、当家とそちらのご当主様の仲違いについては、わたくしたちはノータッチ。協力関係になっても問題などない、という認識で構わないかしら?」
「無論だ」
問いかけに対して、セイリオスは即答した。
そもそも、親同士の諍いを子供にまで持ち込むな、というのは母親もよく言っている。話をどうにも聞かないのは父親のみ。
「今回の件で、ほとほと王家には愛想が尽きた。もしアレクサンドラ嬢の言うところの『奇跡』の恩恵にあやかれるのであれば……」
「よろしくてよ」
「……即答か」
セイリオスの言葉に、アレクサンドラは笑顔で応える。
「何もかも、ひっくり返してしまえば良いんです。子供がおもちゃ箱をひっくり返して、中身を整理整頓してお片付けするかのごとく……、整理して出てきてしまった不要なものは捨ててしまいましょう?」
何とも蠱惑的な誘いだ、とセイリオスは息を呑んだ。
彼女の『奇跡』の恩恵を受けて、一体何がどうなるのかまでは、今のところ予想が出来ない。そもそも、『奇跡』がどんなものか分からないから。
「……もう一つ、良いか」
「何なりと」
「つまりは、何をするんだ」
「あら、想像できません?」
愉しそうに、アレクサンドラは嗤う。
「言葉通り、やり直しを、するんです」
「やり、直し?」
「ええ。わたくしの持っている『奇跡』は、時を操るもの。一回だけならやり直しがきくから……と、遠い親戚の、とあるお方にこの『奇跡』を授けていただきました」
あまり詳しく言ってはいけない。
いくらセイリオスが味方になりうる存在とはいえ、言いすぎると良くない。
アレクサンドラはそう判断し、誤魔化すかのようににこり、と微笑んだ。愉悦からではなく、心から安心させるかのように。
王太子妃教育を受けている彼女からすれば、これくらい朝飯前。
「具体的な仕組み、は……」
「『本物の奇跡』を持つ者ではありませんので、さすがに。ですが、こけにされたままで終わりたくないので、わたくし思いきって使ってしまおうかと思います。これがあったからこそ『時の聖女』だのなんだの言われておりましたが、そんな二つ名くそくらえですわ」
「……」
この人、思ったより好戦的だなと出かかったのをセイリオスはどうにか呑み込んで、笑う。
あぁなるほど、これは面白い。
つまりは、時を戻して今回の婚約破棄そのものを無くしてしまう、ということ。
だがきっとそれ以上のことを、この女はやるに違いないという確信がある。それを本能的に察したからこそ、セイリオス自身膝まづいたのだから。
「素晴らしい『奇跡』だな」
「そうでしょう?」
「これを、あの王太子は自ら捨てるのか」
「あら、そちらのご婚約者の王太女様も」
「?」
笑みを、ほんの少しだけ冷たいものにしてアレクサンドラはゆっくりと言葉を続ける。
「戦闘面において、『絶対防御』を持つ貴方様をお捨てになる。……ふふ、愚行にも程がありますわ」
「……知っていたのか」
「当家の役割、ご存知でしょう?」
もしも、アレクサンドラが王太子妃教育を受けていなかったら、きっと彼女は次期女公爵としての教育を受けていたことだろう。
その中には王国を守る、という大きな役割の他、守るための人員を確保するために行わなければならないことがある。
「国民のスキルを把握するのも、嗜みですので」
「生憎、俺は親父殿に文官として生きていくように言われていてな」
「だとしても」
アレクサンドラは、セイリオスの言葉を遮る。
「巻き戻った先で使わない、とは断言できません。だって、言葉通りひっくり返すんですから」
真剣な眼差しに、降参だと両手を挙げて苦笑いを浮かべたセイリオスは、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「……言う通りだ。で、戻るにはどうしたらいい?」
「わたくしと離れないように、抱き締めていてくださいな」
「は?」
「だってこれ、本来なら一人用ですし」
「おい」
「戻ってやり直すなら、味方は多い方が良い。違う?」
ほんの少しだけ砕けた口調で言ったアレクサンドラは、ぱちん、とウインクをしてみせた。
「共犯者になってくださるんでしょう?それと、我が父はわたくしがどうにかするので、そちらの御父上はセイリオス様がどうにかしてくださいまし」
「心得た」
言い終わると同時、二人はすっと立ち上がった。
そしてセイリオスがアレクサンドラに近付き、手を広げれば、そこにおさまるのが当たり前だと言わんばかりにアレクサンドラはするりと入り込む。
「……」
「苦しくはないか」
「……ええ」
不思議と、落ち着いた。
王家に対しての怒り、憎しみ、王太子への蔑み、諸々の感情は持ち合わせているままだが、何となくしっくりきたような感じがしたのだ。
「……まいります」
アレクサンドラは、セイリオスの腕の中ですっと目を閉じる。
戻れ。戻れ。戻れ。
『発動には、強い想いが必要よ。何がなんでもやり遂げてやる、物騒かもしれないけれど……そうね、邪魔をする者皆殺しにしたとしても叶えたい、それくらいに強い……強すぎる想いが』
(……あんな馬鹿に、わたくしの人生を……セイリオス様の人生を壊されてなど、なるものか……っ!)
セイリオスのことを愛しているとか、一目惚れしたとかではない。
彼は、こんなところで死んではいけない。死なせるわけにはいかない。
勿論、自分の家が取り潰しになるだなんて、そんなことも許さない。
――あんな馬鹿に振り回されるだけの人生なんて、嫌よ
(……そうよ。わたくしは……)
自分の未来を、誰かに決められて振り回されて、玩具のように扱われることが嫌なんだ、とアレクサンドラは自覚した。
だからこそ、より強い『想い』が湧き上がる。
(もう、奪わせない。わたくしは、わたくしの未来を掴み取る――!)
想った瞬間、アレクサンドラの体からとてつもない光が溢れる。
目を開けていられないほどの光に包まれ、セイリオスは一瞬怯むがここで離してはならない、と抱き締める腕に力を込めた。
アレクサンドラからも、セイリオスの背中に手が回された。
「セイリオス様、過去でお会いいたしましょう」
「あぁ。戻ったら、まず貴女に会いに行く。約束だ」
光の中、きっと互いの顔は見えていなかったのかもしれないけれど、二人は微笑み合う。
その光を見た国王が慌てていたらしいが、アレクサンドラとセイリオスには、何の関係もないこと。
お前の愚息の犯した馬鹿げた行為を、償っても償いきれないほどに後悔させてやろう。
光が収束し、そこにまるで何も無かったかのようになると、人々は首を傾げながら普段通りの行動に戻っていく。
だってもう、そこにはアレクサンドラとセイリオスという人間は、いないのだから。




