アレクサンドラの悪だくみ
仕掛けは十分にしてある。
いいや、十二分、といった方が良いのかもしれない。
「アレクサンドラ、準備は良いかな?」
「ええ勿論、お父さま」
何もかも、準備はしている。抜かりは無いし、あの王妃はきっと開口一番アレクサンドラのことを責め立てるだろう。だが、そうしてもらえた方が都合が良い。とても、良いのだ。
王宮に到着し、王妃付きのメイドに案内されていった先にあるのは王妃お気に入りの中庭。
彼女が大切にしている花々が咲き誇る庭園で、密やかに設置されているまるで秘密基地のようなが施歩にて、王妃は悠然とお茶を飲んでいた。
「王妃殿下」
「あら、いらっしゃい」
エドワードが王妃に声をかければ、ゆっくりとした動作で二人の方を向きながら、手にしていたティーカップを置く。
微笑みを浮かべていたのも束の間、頭を下げているアレクサンドラを視界に入れた途端、王妃の目がぎっと吊り上がってから、アレクサンドラに向けて先ほど置いたばかりのティーカップを投げつけてきた。まるで命中率向上の魔法のようなものがあるかのように、見事にアレクサンドラの額に命中する。
「う……っ」
「よくもまぁわたくしの前に、おめおめと表れたものね!! この不埒もの!」
お前が呼びだしたくせに何言ってんだてめぇ、とついうっかり叫びそうになってしまったエドワードだったが、アレクサンドラは頭を下げたまま無言を貫く。
「何か言いなさい!! この……」
「恐れながら王妃殿下、殿下の御許しがなければ言葉を発することなど……」
「お黙り!」
黙れと言ったり話せと言ったり、何とも忙しいことだ。
アレクサンドラもエドワードも、少しだけげんなりとしながら王妃ジェイリンの言葉をとりあえず静かに聞くことにした。
「そもそも、お前につけていた王家の影が行方不明だなんて、一体どういうことなの! くだらない理由だった場合、お前の首を刎ねますからね!」
「……恐れながら、王妃殿下」
「何ですか、エドワード卿」
フン、と鼻息荒くジェイリンは答える。
視線をエドワードに向ければ、互いに合う……が、その瞬間にエドワードからとんでもない殺気が放たれた。
「――っ!」
「王家の影は、年頃の娘に……無体を働くものだ、と思っても良いのですね」
「何、ですって」
ジェイリンは慌ててアレクサンドラを見る、が……どうしても視線が合わない。
アレクサンドラには、『わたくしが貴女を見た時には、きちんと常に視線を合わせられるようにしておきなさい』と言いつけていたはずなのに、と愕然とする。
よくよく見れば、アレクサンドラの手が微かに震えているではないか。
「……アレクサンドラ?」
出会って早々にティーカップを投げつけ、怒鳴りつけたのは些かやりすぎだったかもしれない、とジェイリンが反省をしつつもう一度声をかけようとしたタイミングで、ぽた、と何かが落ちたのが見えた。
「……アレク、サンドラ……?」
「……申し訳……ございません……」
普段ならば聞くことのないであろう、とてつもなく弱弱しい声。涙声なのを隠すために、必死に声を絞り出しているとしか思えない異様とも感じられる雰囲気に、さすがのジェイリンも驚いてしまう。
「ど、どうし……」
「わ、わた、くしが……弱い、ばかり、に」
涙声で、必死に何があったのかを告げるアレクサンドラ。
アレクサンドラ曰く、『最近、王家の影をシュミットから外されてしまっており、婚約者として相応しくないと言われているように感じていたが、いきなりまた影を派遣してきた。一体何なのだろうか、と考えていたところ、夜中に影から襲われそうになり、必死に抵抗した』というのだ。
「そんな、こと」
「事実でございます」
嗚咽を必死に堪えているアレクサンドラの代わりに、エドワードが痛々し気な表情で、娘の背中を優しく摩りながら答える。
エドワードがここまではっきり言うのであれば間違いないのかもしれないが、それでも嘘の可能性は捨てきれない、とジェイリンはまた表情を鋭くした。
「だ、だが! アレクサンドラが嘘を言ってる可能性だって……」
「王妃殿下!」
「……っ」
ジェイリンの声を遮り、エドワードは鋭く叫んだ。
「な、なにを」
「これを見ても、嘘だと?」
アレクサンドラに対して何かを耳打ちしたエドワードにより、アレクサンドラのドレスの袖が捲られる。
そういえば珍しく長袖タイプのドレスを着用しているな、と思っていたものの捲られた先にあったのは手形の痣だった。
「それは」
「……口を塞がれ……手首を、がっちりと、掴まれ……」
「アレクサンドラ、もういい! お前があんな辛い思い出を話す必要などないんだ!」
「でも、……でも、ジェイリン様に信じていただくには、これ、しか」
あまりに弱々しい声に、ジェイリンは再度怯んでしまうもののそろりと立ち上がってアレクサンドラの元へと近付いていく。
エドワードに警戒をされてしまったが、アレクサンドラの手首に痛々しく残っている痣を見て、さっと顔色を悪くした。
「これ……は」
「……っ、大変申し訳ございません王妃殿下!! 全て、……何もかもわたくしが悪いのです!! シュミット様をお支えしたいという気持ちが通じることが叶わず、わたくし自身の失態まで……!」
「ア、アレクサンドラ!?」
ジェイリンから一歩後ろに下がったアレクサンドラは、ばっと勢いよく地面に膝をついて土下座をしてみせたのだ。一体どうして、と狼狽えているとエドワードがジェイリンを軽く突き飛ばしてアレクサンドラに顔を上げるよう懇願する。
「アレクサンドラ、お前に何も悪いところなどないではないか! 顔を上げなさい! 王妃殿下の前なんだぞ!」
「いいえ……いいえ! 不用心にも程がある、というものでしょう!! 決して、シュミット殿下をお叱りに等ならないでくださいませ!! 殿下には殿下の御考えあってのこと!! きっと、殿下には何か崇高なお考えがあって、わたくしから影を離して、そして戻しただけだというのに……わ、わたくしは王妃教育に耐えられなかった不甲斐なさも見せてしまい……王妃殿下に合わせる顔がございません!!」
土下座をしているから、アレクサンドラの表情はジェイリンからは見えない。
必死になり、涙声で叫んでいるものの土下座しているアレクサンドラは泣いていない。顔を上げれば涙を流す演技くらいは簡単にできるし、涙を無理やり拭ったことにしてしまえば、何とでも誤魔化せてしまうというもの。
ここまで動揺した姿を今まで一度たりとも見せてなどいなかった。
ならば、こうなってしまった場合、いくらジェイリンといえど動揺してしまうだろうと考えた。そして、それは見事に的中した。
「アレクサンドラ、顔を……」
「合わせる顔がございませんわ……。このような役立たずなど、殿下の婚約者で居続けるには……とても……」
それは困る、と瞬間的にジェイリンは思う。
シュミットの婚約者は、アレクサンドラを除いて他にはいない……というかシュミットのことをフォローできるのがアレクサンドラしかいないのだ。
決してシュミットが馬鹿というわけではないが、あまりに直情的すぎるから、手綱を握れる相手でなければならない。
「……王妃殿下、我が娘にこれ以上は……」
「エドワード!?」
「襲われかけた、という醜聞が露見する可能性もございますが……そうなった場合に、シュミット殿下は我が娘を守ってくれるのでしょうか」
守れない、間違いなく守れないどころか『みっともない』と罵るに違いない。母親だから、ジェイリンはそれが容易に想像できてしまった。
「……それ、は」
「王妃殿下」
ジェイリンがどうしたらアレクサンドラを引き留められるのか、と迷っているところに、もう一人の声が聞こえてきた。
「……宰相か。どうした」
アレクサンドラのことが気にはなるものの、宰相であるカルロがここまでやってくるということは、何らかの理由があるはず。
己の体でアレクサンドラのことを隠しながら、すっと背筋を伸ばしたジェイリンは口を開いた。
「何かあったというの?」
「……その、我が息子からの報告ですが……。殿下が、アレクサンドラ嬢以外の令嬢と大変親しくしているそうで……」
「……ぅ……っ」
その直後、アレクサンドラから嗚咽が漏れる。
「まさか……」
シュミットは王家の影を何だと思っているのだ、とジェイリンの頭に瞬間的に血が上った。
「現在、ミロベディオ王国から王太女殿下が留学してきておりますが……とんでもなく親密な状態を、学園で見せつけているようだったという報告が……」
バネンシアとオルヴァーシスの確執が無ければ、ジェイリンといえど何事もなく報告を聞いていただろう。
しかし相手は互いを憎み合っているといっても過言ではない、バネンシアとオルヴァーシス。
宰相のカルロと、騎士団団長のエドワード。この二人の仲の悪さは王国内でも大変有名であるし、だからこそこんな報告はされるはずがない、と(勝手に)思っているのだ。
「……アレクサンドラ、顔を上げよ。そして、少しの間……王妃教育は中止する。あの馬鹿息子め……よくも……」
「……王妃殿下……」
ぐず、と鼻をすする音が聞こえ、立ち上がっているであろうアレクサンドラの衣擦れの音が聞こえる。
てきぱきと涙を流すための演技をする準備に入ったアレクサンドラに、エドワードはすっとハンカチを渡す。涙を拭いつつ口元を隠すためにどうしても必要だったので、躊躇なく受け取った。
――ここまで全て、見事なまでに予想通り。
(ほらね。王妃はこちらの言うことを信じるしかなかった)
目尻は下げつつ、目元にはたっぷりと涙を溜める。
そして、弱く微笑んでから立ち上がりつつ頭を深く下げておく。
これから王宮にひと騒動あるだろうが、そんなことアレクサンドラの知ったことではない。それに、これからが本番なのだからこの程度でへこたれないでいただきたいものだ、と思いエドワードにエスコートされつつ王宮を後にしたのであった。




