男子部で起こっていたこと
アレクサンドラが、エスメラルダから売られた喧嘩を遠慮なくお買上げしていた頃。
男子部にてシュミットとセイリオスの睨み合いが勃発していた。
事の発端は、とても些細なこと。
「アレクサンドラの休みは、厳しすぎる王妃教育に耐えきれないから熱が出てしまったんだろう。何という愚かな王太子妃だ!」
……と、シュミットが笑いながら話していたことがきっかけだ。
そもそも、あのアレクサンドラがそんな些細なことで休むわけがないし、休んでいる間何をしていたかを密かに暗号化した文章で教えてもらっていたセイリオスからすれば、なんとも愚かなことだ、と嘆きたくなるというもの。
そもそも、労りの気持ちはないのか、と思いながら相当なジト目で見ていたら、ばっちりシュミットと視線がかち合ってしまったのだ。
「何でしょうか、殿下」
「お前、どうして俺を睨んでいた?」
「……はて、おかしなことを仰る」
「……っ!」
からかわれている、と瞬間的に判断したシュミットは、目尻を吊り上げて大股でセイリオスのところに歩いていくと、彼の胸元をがしっと掴みあげた。
「殿下!」
「落ち着いてください、殿下!」
「うるさい黙れ!!俺は……俺は、王太子だぞ!!」
(だから何なんだ)
そう思うセイリオスの目は、どこまでも冷たい。
この王太子が頭がいいわけではない、というのは巻き戻る前によーく理解できた。
だからこそ、とでも言うのだろうか。胸元を掴まれたまま、セイリオスは無言のままでシュミットを見下ろしていた。
体勢的に、胸ぐらを掴まれているからセイリオスの視線の向きは、どうしても若干上向きになってしまう。
見下ろされていることも気に食わないのか、シュミットの視線はどんどんときつくなっていくが、そもそもそんな体勢にしているのはシュミット自身なのだ。
「貴様……っ、俺をどこまでも見下しやがって……!」
「恐れながら、殿下が俺の胸ぐらを掴んでいるから、こういう視線の向きになっているだけですが?」
「ぐ、っ」
図星だったのか、呻き声のようなものを上げてシュミットは黙り込んでしまった。
力を緩めてセイリオスを解放さえしてしまえば、何の問題もないのだが、プライドの高さゆえに手を離すことが出来ないようだ。
「殿下、離していただけませんかね?」
「……チッ!」
乱暴に手を離してから、オマケと言わんばかりにセイリオスを突き飛ばした。
がたん、と机に当たってしまい、セイリオスはついうっかり忌々しげにシュミットのことを全力で睨みつけてしまう。
「ひ、っ」
そんな風な眼差しを向けられたことがないせいか、シュミットはびくりと体を震わせてから一歩遠ざかる。
「恐れ多いことかと存じますが……アレクサンドラ嬢は、殿下の婚約者でしょう。体調を崩したものを気遣えないなど……我等、将来殿下の臣下となる身としては……ねぇ?」
嘲笑を含んだ声で言ってやれば、みるみるうちにシュミットの顔色が真っ赤になっていった。図星すぎたのか、反論をすることも出来ないままでひたすらセイリオスを睨み続けている。
こんな奴の睨みなど、何も怖くなどない。
かつての己であれば、すぐさま謝罪をしたのかもしれないが、今となっては謝罪をするだけの労力……ともいえないが、色々と勿体ないと感じてしまう。
だが、シュミットがアレクサンドラを悪く言うのはいつもの事として、まさかセイリオスが家の宿敵の令嬢を庇うだなんて……!という衝撃の方が広がっている。
「……ん?」
「い、いやあのセイリオス、お前……アレクサンドラ嬢と知り合い、か?」
「……親同士がライバル同士なだけで、別に俺は彼女に何らかの嫌悪感を抱いているわけではないのだが」
「え」
「あ、あれ?」
クラスメイトがどよめいている中、はて、とセイリオスは首を傾げた。
なるほど、つまり今まであまりにもアレクサンドラに興味が無さすぎたせいで、こういった時に庇いもしなかったから、今回めちゃくちゃに驚かれてしまった、ということなのだ。
「何だ」
「いや……今までなら、アレクサンドラ嬢に興味ありません、って感じだったし、こっちも偏見があった、っていうか」
「いや、気にしていない」
真顔で淡々と返せば、セイリオスと仲のいいクラスメイトは納得してくれているようだ。
だが、シュミットは納得していないのか未だにセイリオスを睨み続けている。
「……何ですか、殿下」
「お前……まさかとは思うが、アレクサンドラと浮気をしているのではないだろうな!?」
「…………」
思いがけないことを言われ、『確かにあんたの知らないところでもっかい重ねてます』とバカ正直に答える者はいないだろう。
(……とりあえず、適当に揺さぶってやるか)
はぁ、と小さくため息を吐いてから、セイリオスはシュミットに対してジト目を向けて、わざとゆっくりと語り始めた。
「殿下がそういったことをされているからと、こちらのことを疑わないでいただきたいのですが……ねぇ?」
「!?」
あからさまにぎょっとしたシュミットを見て、『あぁ、そんなにも動揺してどうするのだ』とセイリオスは呆れてしまった。
「……殿下、別に俺のことをいくら疑っても気にしませんが、ご自身が図星だからと動揺を顔に出してはいけませんよ」
「な、っ」
至極当然の指摘に対して、シュミットはますます顔を赤くする。
まるで薬品で色が変わる用紙のようだな、と笑ってから大股で距離を詰め、耳元に口を近付けてから囁きかけた。
「……殿下、王族たるものそんなにも分かりやすい顔をなさってはいけませんよ?」
「きさ、ま」
「継承権の低い俺ですら、指摘されること。殿下が指摘されていない訳がございませんからねぇ」
くく、と笑ってから顔を引けば、朝から図星ばかり突かれすぎてどう反論していいのかも分からないのだろうが、シュミットは何とも言えない奇妙な顔になっていた。
今までのセイリオスなら、こんな風に反論してきたりはしなかったのに、どうして今日に限って、こんなにも突っかかってくるのか。
「俺に、何か言いたいことがあるなら、文句を言えばいいだろう!!そうやって含みのあることばかり……っ!」
「はは、ご冗談を」
にこやかに笑っているように見えるが、セイリオスの目は一切笑っていない。
セイリオスの父が宰相をしており、二家しかない公爵家長男であることも関係しているのか、有している迫力はとんでもなかった。
大体、今までシュミットに対して無関心を貫いていたはずなのに、今回に限りひたすら突っかかってくるのは何故か、とか。色々な思考が巡っていく。
「……冗談……だと」
「ええ。俺が指摘したのは貴方の浮気だけですし……そもそも最初に突っかかってきたのは殿下の方じゃないですか」
「……っ」
「悔しいからと、何でもかんでも刃向かってきていいのは、幼子くらいですよ?」
はは、と笑いながら言われた内容はシュミットの羞恥心を煽るものでしかなく、口調はまるで幼子に言い聞かせるようなとんでもなく優しいもの。
(どうして、過去の俺はこんな小物に……。アレクサンドラ嬢も……って、あぁ……そうか)
少しだけ考え、シュミットの相手をしていられない、と態度で示すべく踵を返した。
後ろから叫んでくるシュミットの声が聞こえてくるが、最早騒音にもならない囁きのようなものでしかない。
(俺も、アレクサンドラ嬢も、とことんまで相手に興味を持っていなかったのか……)
それを理解してしまえば、何となく対処方法は簡単なように思えた。
男子部では、セイリオスがシュミットを。女子部ではアレクサンドラがエスメラルダを、あしらいつつ浮気相手同士をもっともっと仲良くさせて、ありとあらゆる証拠を集め続け、逆に断罪してやればいいのだ。
(……なんだ、思っていたよりも簡単かもしれない)
未来をひっくり返すために戻ってきたし、やるからには徹底的に。
負け戦であのまま死ぬよりは、今回戻った先でアレクサンドラと共に幸せにならなくてはいけないのだから。
だがしかし、シュミットも一応馬鹿ではない。
アレクサンドラをいきなり庇ったことに関してはどうしても怪しい、と感じているのか、自分についている王家の影に合図を送る。
――アレクサンドラを、徹底的に監視しろ。
指示を飛ばされた影は、言われた通りにアレクサンドラの元に向かう。
これもまた、アレクサンドラとセイリオスの手のひらの上だった、と知った二人はどんな顔をするのだろうか……と、セイリオスは密やかにほくそ笑んだのであった。




