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【4作目・執筆中】青嵐の旗を掲げて ~地方議会・立志激闘篇~  作者: 立花大二
第六部:闇の取引と深淵篇

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第八十九話:崩れた旗

 夜の市役所は、昼間よりも広く見えた。


 正面玄関は閉まっている。晴斗は車を離れた場所へ停め、庁舎の裏手に回った。宿直室の窓だけが明るい。建設部のある三階は、すべての照明が落ちていた。


 携帯に、また写真を送った人物から連絡が来た。


 搬入口。二十二時十分。警備の巡回は終わる。


 晴斗は画面を消した。


 ここまで来れば、引き返す方が正しいのかもしれない。弁護士へ連絡し、保全の手続きを取るべきだ。だが手帳は今夜処分される。誰かが庁舎の中で、晴斗へ時間を知らせている。その人を置いて帰れば、次に何が起きるか分からない。


 搬入口の前に立つと、金属扉がわずかに開いていた。


 中から、清掃用のワゴンを押した男が出てくる。顔を見ても晴斗は知らない。男は何も言わず、すれ違いざまに小さなカードキーを晴斗の掌へ滑らせた。


 「三階、突き当たり」


 それだけを残して、男は暗い駐車場へ消えた。


 晴斗はカードキーを見た。


 この人も、何かを失うかもしれない。名前も聞けないまま、晴斗はその危険を受け取っている。正しい手続きではない。けれど、目の前の扉を開ける力だけはある。


 庁舎の中は、消毒液の匂いがした。足音を殺して階段を上がる。三階の廊下には、昼間の掲示物が薄暗く浮かんでいる。年度末の書類整理について。情報セキュリティの注意。どれも、今の晴斗には皮肉に見えた。


 建設部の保管室は、突き当たりにあった。


 カードキーをかざすと、赤いランプが緑へ変わった。扉の向こうには、キャビネットが並んでいる。写真にあったものと同じ、古い灰色の棚だった。


 晴斗は引き出しを開けた。


 最初に出てきたのは、通常の契約書類だった。背表紙を読み、年度を確認し、別冊と書かれた赤いテープを探す。焦るほど、紙の音が大きく聞こえる。


 奥の一番下に、黒い手帳があった。


 表紙を開くと、手書きの文字が並んでいる。会議の日付。出席者。県からの要望。補助金の配分。叶野建設が準備する資料。市長には市川から話を通す。


 匿名ファイルの数字と、係長のメモと、退職者が話した会議が、同じページの上でつながった。


 晴斗はページを一枚ずつ撮影した。手が震え、何度か文字がぶれた。やり直すたびに、ここで何をしているのかという問いが胸に浮かぶ。議員として、許された手続きではない。正義のためだと言えば、何でも許されるわけではない。


 それでも、手帳をここへ残せば、朝には消えている。晴斗は撮影を終えると、表紙の内側にあった管理番号まで記録した。後で誰かが調べる時、自分の見たものを自分だけの記憶にしないためだった。


 晴斗は手帳を鞄へ入れた。


 その時、廊下で扉の閉まる音がした。


 晴斗の身体が固まる。


 誰かが近づいてくる足音。規則正しく、硬い靴音だった。晴斗はキャビネットの影へ身を寄せた。心臓の音が、庁舎じゅうに響いているように思える。


 保管室の前で足音が止まった。


 ドアノブが一度だけ回る。


 鍵はかかっていた。外から誰かが小さく舌打ちし、そのまま足音は遠ざかった。


 晴斗は息を吐いた。掌には、カードキーの角が食い込んでいる。


 急いで引き出しを閉め、階段を下りた。搬入口へ出ると、冷たい夜気が顔に当たった。清掃員の姿はもうない。カードキーは、庁舎脇の植え込みに置いた。


 車へ戻る前、晴斗は一度だけ庁舎を振り返った。上の階には、何も起きなかったように暗い窓が並んでいる。今夜、自分を中へ入れた誰かも、朝になれば同じ窓の下で働く。晴斗はその人の名前を知らない。知らないまま、危険だけを受け取った。


 事務所へ戻ると、壁に掛けていた青い旗が床へ落ちていた。


 窓が少し開いていたのだろう。金具が外れ、布の端が汚れている。晴斗は手帳を机に置き、旗を拾い上げた。


 手に入れた資料は、神崎を倒せる。


 それなのに、旗を掛け直す手だけが、どうしても動かなかった。

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