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【4作目・執筆中】青嵐の旗を掲げて ~地方議会・立志激闘篇~  作者: 立花大二
第六部:闇の取引と深淵篇

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第八十三話:最深部のデータ

 晴斗はメールを印刷しなかった。


 プリンターの前へ立ちかけてから、手を止めた。紙にすれば持ち出せる。誰かへ渡せる。誰かの机に置けば、そこから先は自分だけの秘密ではなくなる。


 だからこそ、今は出力できなかった。


 画面に並ぶ数字の中には、神崎の後援会へつながる金の流れがある。けれど添付ファイルには作成者の名前も、送信経路も残されていない。誰かが命を削るように集めたものかもしれない。あるいは、晴斗を事故へ追い込むために置かれた餌かもしれない。


 晴斗は机の引き出しから、係長のUSBを出した。


 二つのデータを並べ、日付を照らし合わせる。設計変更の決裁日。県からの照会日。叶野建設の関連会社が研究会へ金を送った日。別々の資料に同じ番号が出てくるたび、背中へ冷たいものが走った。


 偶然ではない。


 そう思う一方で、晴斗はノートへ「一致」と書かず、「要確認」と書いた。確信を急げば、資料は自分の怒りの形に曲がる。昨夜、佐伯に言われたことが、指先を止めていた。


 晴斗は古い予算書を棚から引き抜いた。紙の端は何度もめくられて柔らかくなっている。予算書の中にある事業番号を、画面の数字と一つずつ比べた。途中で、同じ金額なのに事業名だけが違う項目を見つけた。市の書類では調査委託、県の書類では広報業務。どちらも地域経済研究会へ支払われている。


 晴斗はそこに丸をつけた。しかし丸をつけた瞬間、何かを掴んだ気になってしまう自分がいる。資料は、人の心を早く結論へ運ぶ。だからこそ、晴斗はページの余白へ、支出理由の原本を確認、と書き添えた。


 昼過ぎ、見知らぬ番号から電話が入った。


 晴斗は一度、画面が消えるまで待とうとした。だが、メールのことが頭にある。発信者を確かめずに切ることが、誰かの助けを拒むことになるかもしれない。


 「木島です」


 電話の向こうで、しばらく息を殺すような沈黙が続いた。


 「ファイルは、見ましたか」


 男の声だった。年齢も、立場も分からない。周囲の物音がないことが、かえって不自然だった。


 晴斗は椅子へ座り直した。


 「あなたが送ったんですか」


 返事はなかった。代わりに、短い咳払いが聞こえた。


 「全部を信じないでください」


 男は低く言った。


 「本物もある。違うものも混じっている。誰かが、あなたに急がせたいんです」


 晴斗の目が、画面の数字へ戻った。最初から完全な爆弾だと思った自分が恥ずかしかった。神崎を倒せる資料が、都合よく届く。そんな話を、なぜ疑わなかったのか。


 「誰が急がせたい」


 晴斗が尋ねた時、電話は切れた。


 部屋の中には、パソコンの冷却音だけが残った。


 晴斗は受話器を置いたまま、しばらく椅子から立てなかった。電話の男が味方なのか、神崎側の人間なのか、それさえ分からない。分からない相手の言葉で、晴斗の手が止まったことだけが悔しかった。


 けれど、止まることを悔しがる自分にも気づいた。これまでの晴斗は、迷いを弱さとして切り捨ててきた。誰かが立ち止まるたび、その背中を置いて先へ進んだ。その先にあったのが、今の空っぽの事務所だった。


 晴斗はデータを閉じず、項目を一つずつ別の表へ移した。確認できたもの、確認できないもの、誰かの証言が必要なもの。作業は遅い。神崎が笑っている間にも、証拠は消されるかもしれない。


 それでも、急いで間違えれば、また誰かを巻き込む。


 夕方、窓の外の街灯が点き始めた。晴斗は資料の最後に、新しい一行を書き加えた。


 これは、まだ武器ではない。


 その文字を見つめながら、数字の並びは、答えを急ぐ晴斗の心を何度も引っ張った。それでも、急いで意味を決めれば、見落とすものがある。


 その夜、晴斗は初めて、真実へ近づくほど慎重にならなければならないことを知った。

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