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【4作目・執筆中】青嵐の旗を掲げて ~地方議会・立志激闘篇~  作者: 立花大二
第六部:闇の取引と深淵篇

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第七十九話:家族の影

 市役所の裏口は、閉庁後になると別の建物のようだった。


 昼間は業者の車や公用車が絶えず出入りする搬入口も、夜の八時を過ぎれば、濡れたアスファルトの上に非常灯だけが白く落ちている。雨は夕方から細く降り続いていた。風に流された雫が、庇の端から規則正しく落ちている。


 晴斗は庇の下に立ち、手の中の封筒を握った。


 中にあるのは、県土木部から市の道路整備課へ送られた照会の写しだった。日付は、川西地区の排水路工事の設計が変わる三日前。その文書に、係長の小さな決裁印がある。


 ただの回覧だったのかもしれない。


 そう思おうとしても、同じ頃に係長の自宅付近へ、県の外郭団体の車が出入りしていたという記録が、晴斗の頭から離れなかった。誰かを疑い始めれば、つながるものは次々に見つかる。偶然まで意味を持ち始める。その感覚の危うさを、晴斗は知っていた。


 裏口の自動扉が開いた。


 灰色の傘を差した係長が、足早に出てきた。肩には革の鞄を掛けている。晴斗の姿を見つけた瞬間、男の歩みが止まった。雨音だけが、二人の間を埋めた。


 「こんな時間まで、何の用ですか」


 係長の声は低かった。怒っているというより、すでに何かを諦めている声だった。


 晴斗は封筒を差し出さなかった。見せれば、話はすぐに資料の取り合いになる。まず、ここにいる男が何を怖がっているのかを知りたかった。


 「三年前の排水路工事について、確認したいことがあります」


 係長は傘を持つ手を強く握った。


 「議会で聞けばいいでしょう」


 「議会で答えられる内容なら、最初から来ていません」


 言った直後、晴斗は自分の声の冷たさに気づいた。係長の顔がさらにこわばる。追い詰められた人間へ近づく時、自分はいつから、こんな言い方をするようになったのか。


 係長は裏口のガラス戸を振り返った。庁舎の中には、まだ宿直の職員がいる。ここで大きな声を出せば、誰かが気づくだろう。それでも助けを求める気配はなかった。


 「あなたは、僕の家まで調べたんですか」


 晴斗は答えられなかった。


 資料の中に、係長の妻が市立病院の非常勤職員として働いていることも、娘が高校受験を控えていることもあった。自分から探した情報ではない。だが、知ってしまった時点で、知らないことにはできなかった。


 「妻は関係ない。子どももいるんだ」


 係長の言葉は、雨の中で不自然なほどはっきり聞こえた。


 晴斗の胸の奥に、昨日かかってきた電話の声が蘇った。相沢の妻は、夫が怯えて帰ってこないと泣いていた。政治家はいつも、人の家のことまで壊すのかと。


 目の前の係長も、同じ顔をしている。


 神崎に脅されている人間の顔。


 そして、晴斗を恐れている人間の顔。


 「家族を巻き込んできたのは、神崎です」


 晴斗はそう言った。言い返したかったわけではない。自分へ言い聞かせるように、言葉が口から出た。


 係長は濡れた前髪を払った。その目には怒りよりも、深い疲れがあった。


 「だから君も同じことをするのか」


 その一言で、封筒の重みが急に増した。


 晴斗は、今すぐ資料を出して、これがあると告げればいいと思った。


県との照会記録。

決裁印。


係長が見落としたくても見落とせないものを、雨の下で突きつければいい。

そうすれば男は話すかもしれない。神崎の名前も、県の指示も、すべて吐くかもしれない。


 けれど、それは市民のために必要なことなのか。


 それとも、晴斗が自分の無力さを忘れるために、もう一人を屈服させたいだけなのか。


 係長は、晴斗が黙ったことを拒絶と受け取ったらしい。傘を閉じ、鞄から鍵を出した。


 「木島議員」


 背を向けたまま、男は言った。


 「君は、自分が何をしているか分かっているのか」


 その言葉は、問いではなく、最後の願いのように聞こえた。


 晴斗は返事をしなかった。


 係長は庁舎の中へ戻っていった。自動扉が閉まり、男の背中は白い蛍光灯の下へ消える。晴斗は雨の中に一人残された。


 封筒の端は、握りしめた指の跡で歪んでいた。資料を開けば、神崎へ続く道がまた一本増える。


 それなのに晴斗には、その紙の中から、係長の娘が受験用の鞄を抱えて玄関を出る姿ばかりが見えた。


 雨は、いつまでも止まなかった。

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