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【4作目・執筆中】青嵐の旗を掲げて ~地方議会・立志激闘篇~  作者: 立花大二
第六部:闇の取引と深淵篇

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第七十七話:折れた声

 翌日の夜。『青嵐の会』の事務所。


 壁の時計が、午後十時を回っていた。


 晴斗はデスクの前に座り、伏せた携帯電話を見ていた。相沢に伝えた期限まで、あと二時間。窓の外では、商店街のシャッターが一枚ずつ下りていく。金属が擦れる音が、静かな室内まで届いた。


 以前なら、この時間には健太が翌日の街頭演説の場所を確認し、美咲が市民からの電話を整理していた。結衣は古いノートパソコンの前で、相談内容を地図へ書き込んでいた。


 今は、どの机も暗い。


 健太の机には飲みかけのペットボトルが残っている。美咲の電話台には、剥がれかけた予定表がある。結衣のマグカップの底には、乾いたコーヒーの輪が薄く残っていた。


 晴斗は、開いたままのメール画面へ目を戻した。


 相沢からは、何も来ない。


 当然だった。


 自分が言ったことを思い返せば、相沢が晴斗を信用する理由などない。神崎に脅され、晴斗にも追い詰められた男が、誰のために資料を渡すのか。


 午前零時を少し過ぎた時、事務所の郵便受けが小さく鳴った。


 晴斗は椅子を引いた。


 廊下には誰もいない。


 薄い茶封筒が、一通だけ床に落ちていた。拾い上げると、紙は雨の湿気を吸って柔らかくなっている。


 中にはUSBメモリと、折り畳まれた便箋が入っていた。


 家族には近づかないでください。


 震えた字で、それだけが書かれていた。


 晴斗はデスクへ戻り、USBをパソコンに差し込んだ。


 画面に並んだフォルダの名前を見て、息が止まりかける。


 広域防災拠点。

 県道改修。

 葉山市南口。


 別々の事業に見えた資料の中へ、同じ会社名が何度も出てくる。叶野建設。関連会社。地域経済研究会。


 さらに、神崎事務所の秘書から県土木部へ送られたメールの写しがあった。


 仕様の細部について、先生の意向を確認済み。


 たった一文だった。


 だが、その文の向こうに、県の予算、業者の選定、市の再開発が一本の線で繋がっていく。


 晴斗は印刷を始めた。


 プリンターが紙を吐き出す音が、誰もいない部屋に続く。白い紙の上へ、数字と企業名が次々に並んでいく。


 その時、携帯電話が鳴った。


 表示されたのは、登録のない番号だった。


 晴斗は一瞬、出るのをためらった。だが、この時間に鳴る電話に、胸の奥がざわつく。


 「……はい」


 「……木島さんですか」


 女の声は、ひどく掠れていた。


 相沢の妻だった。


 「夫は、帰ってきません」


 晴斗は黙った。


 「昨日、あなたに会った後から、ずっと何かに怯えていた。家の前に知らない車がいるって。電話の向こうで誰かが黙っているって」


 受話器の向こうで、幼い子どもの泣き声がした。


 「夫に、何をさせたんですか」


 神崎が相沢を脅したのか。


 自分が最初に相沢の逃げ場を奪ったのか。


 どちらか一つを選べる問いではなかった。


 「……分かりません」


 晴斗の口から出た答えは、あまりにも弱かった。


 「分かりませんじゃないでしょう」


 女の声が震えた。


 「あなたたち政治家は、いつもそうやって、人の家のことまで勝手に壊すんですか」


 通話が切れた。


 晴斗は受話器を置けなかった。


 パソコンの画面には、神崎を追い詰めるための資料が光っている。


 その光が、今夜はひどく冷たく見えた。


 晴斗は印刷された紙を一枚手に取った。


 そこには、誰かの名と、金額と、日付だけが並んでいる。


 だが、その数字の向こうには、帰らない父親を待つ子どもがいる。


帰宅してから、晴斗は録音を何度も聞き返した。

声は小さく、途中で何度も途切れている。


聞き取れない箇所を都合よく補えば、証拠はたやすく強く見える。

その誘惑に気づくたび、晴斗は再生を止めた。


相手の折れた声を、さらに自分のために折ってはならないと思った。

紙を持つ晴斗の手が、初めて小さく震えた。

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