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【4作目・執筆中】青嵐の旗を掲げて ~地方議会・立志激闘篇~  作者: 立花大二
第五部:螺旋篇

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第五十二話:ガラスの委員会

週が明け、葉山市議会の建設委員会室は、普段とは全く異なる異様な熱気に包まれていた。


議長への申し入れと誠和会の協力により実現した、委員会史上初の「ネット生中継」と「傍聴席の全面開放」。

二十席ほど用意された傍聴席は、地元新聞の記者や傍聴の抽選を当てた市民、そして商店街や地元建設業者の代表者たちで満席となっていた。部屋の隅には三脚に据えられた中継用カメラが据えられ、赤い記録ランプが静かに点滅している。


委員長席に座る清風会のベテラン議員が、マイクのスイッチを入れた。

卓上の号鈴を「チリン」と小さく鳴らす。


「ただいまより、建設委員会を開会いたします。本日は『葉山市地域事業者優先発注・透明化条例案』に対する審査を行います」


委員長の声には、カメラを意識した硬さが混じっていた。

密室での「手打ち」や腹芸が通用しない、文字通りのガラス張り空間。清風会の委員たちの顔にも、どことなく引きつった緊張感が浮かんでいる。


委員側の最前列には晴斗と若林が並んで座り、対面には担当部署である都市建設部の幹部たちが並んでいた。

その中には、市川の指示を受けた元上司・田畑課長の姿もあった。田畑は手元の分厚いバインダーを開き、感情を殺した無表情で晴斗を一瞬だけ見つめた。


「本案に対し、市当局からの意見陳述を求めます。田畑課長」


委員長に促され、田畑が起立してマイクに向かった。


「都市建設部です。提案されております本条例案につきまして、現場の行政実務の観点から深刻な懸念を申し上げます」


田畑の声は平坦だったが、その内容は極めて精緻に計算された毒を含んでいた。


「本条例案第5条に規定された『透明性担保のための地元事業者資格認定基準の厳格化』および『第三者委員会による審査手続きの義務付け』についてですが……これを現状の職員体制で実施した場合、審査書類のチェック作業は膨大なものとなります。結果として、公共事業の発注公示から契約締結までの期間が、従来より最短でも二ヶ月から三ヶ月遅延する見込みです」


傍聴席の建設業者たちが、ざわめいた。

「二ヶ月も遅れるのか……?」「資金繰りが厳しくなるぞ」という不安の囁きが漏れる。


田畑は淡々と続けた。


「また、この厳格な審査手続きを運用するためには、専門の非常勤職員の増員やシステム改修が必要となり、年間で約三千万円の追加事務経費が発生いたします。理想的な透明性を追求するあまり、現場の事務が停滞し、地元事業者の皆様の受注機会そのものを逃す結果となりかねません。行政現場のキャパシティを超えた条例内容と言わざるを得ません」


「うむ……」


清風会の委員がすかさず同調するように頷き、マイクを握った。


「田畑課長の説明の通りだ! 理念ばかりが先行し、市役所の現場や事業者の資金繰りを無視した欠陥条例ではないか! これでは地元優先どころか、地元企業の首を絞めることになるぞ!」


カメラの前で繰り広げられる、「行政現場の混乱」というリアルな脅威。

市川の狙いはこれだった。議会での数の支配を失った後、実務を司る「市役所の壁」を使って条例の欠陥を演出し、傍聴している市民や事業者に「青嵐の会は現場を知らない素人集団だ」という失望を植え付ける。


委員会の空気が、一気に重く沈み込んだ。


(田畑さん……)


晴斗は田畑の顔を見つめた。

市役所時代、誰よりも事務処理に厳しく、法と規則の裏側まで知り尽くしていた元上司。その実務能力が、今や晴斗たちの条例を潰すための完璧な鈍器として振るわれていた。


「どうしますか……」


隣で若林が低く囁いた。


「ここで手続きの遅れを認めれば、傍聴している業者たちが離れていきます。だが、審査の厳格化を弱めれば、透明化条例そのものが骨抜きになる……」


晴斗は静かに目をつむり、一呼吸置いた。

手に汗が握られる。だが、胸の奥は不思議なほど冷徹だった。


晴斗は元市役所職員だ。田畑が突きつけてきた数字と手続の「重さ」は、誰よりも理解している。そして同時に――その「手続の無駄」がどこから生まれているのかも、知っていた。


晴斗はスッと手を挙げた。


「委員長、質疑の許可を」


「……木島委員、発言を許します」


晴斗はマイクに向かい、起立した。ネットカメラのレンズが、まっすぐに晴斗を捉える。


「田畑課長にお尋ねします。ただいま『審査書類の膨大化』と『二ヶ月の遅延』というお話がありましたが、具体的にどの手続きが最も時間を要すると試算されていますか?」


田畑は表情を変えずに資料をめくった。


「主に事業者から提出される過去三年の決算書および下請発注実績書の『手作業による照合・紙文書による確認作業』です。不正防止のため、原本と控えの突合に多大な時間を要します」


「なるほど」


晴斗は頷き、手元の資料を一枚持ち上げた。


「では田畑課長。我が市が三年前から導入している『電子入札・申請システム』の事業者データベース機能を活用し、既存の納税情報およびデジタル決算データと照合するプログラムを組んだ場合、その照合時間はどれくらいに短縮されますか?」


田畑の眉が、ピクリと動いた。


「……既存システムは、今回の基準に対応した設計にはなっておりません」


「いいえ、対応可能です」


晴斗ははっきりとした声で切り返した。


「本日午前、私はシステムを担当するデジタル推進課と確認を行いました。既存の電子入札システムには未利用のデータ連携API(アプリケーション接続機能)が実装されており、今回の基準チェックに必要な簡易プログラムを追加するだけで対応できます。必要な費用はシステム改修費の三千万円ではなく、わずか数十万円の運用変更費のみです」


議場が、ハッと息をのんだ。


「さらに」


晴斗は畳みかけた。


「紙書類の提出を廃止し、デジタル申請に一本化することで、事業者側の書類作成負担は従来の半分に減り、役所の審査期間も二ヶ月遅れるどころか、従来の『手作業審査』より一週間短縮されるという試算が出ています」


傍聴席から「おおっ……!」と小さな歓声が上がった。


田畑は言葉を失い、開かれたバインダーを見つめたまま固まっていた。

晴斗は、ただの「綺麗事の政治家」として質問していたのではなかった。かつて市役所で田畑の部下として働き、行政システムの裏側と業務フローの無駄を徹底的に叩き込まれた「元行政マン」として、田畑の実務論理を真っ正面から解体してみせたのだ。


晴斗は田畑に向かって、静かに語りかけた。


「田畑課長。あなたが現場の職員の負担を心配される気持ちは痛いほど分かります。だからこそ、古い紙と手作業の慣習に頼るのではなく、デジタル化で現場の負担を減らしながら、透明性を担保する。それこそが、行政が果たすべき『現場改革』ではないでしょうか」


田畑はゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、かつて見せたことのない激しい動揺と、それ以上に――自分の教え子が見事に育ち、自らを乗り越えていったことに対する、複雑な光が宿っていた。


「……市当局として、ただいまの木島委員からのご提案を含め、システム運用の再試算を行わせていただきます」


田畑が絞り出すように答えると、委員会の傍聴席から自然発生的に大きな拍手が巻き起こった。


「静粛に! 傍聴席は静粛に願います!」


委員長が慌てて号鈴を鳴らし、マイクで制止を促したが、流れた空気はもう変えられなかった。


中継画面を通じて、全国や市内に向けて発信されたのは、「理念と実務を兼ね備えた青嵐の会」と「古い手作業の言い訳に終始する行政・旧勢力」の決定的な対比だった。


市川が仕掛けた行政の罠は、晴斗の手によって、新しい時代の行政改革へと書き換えられようとしていた。

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