第二十二話:SNSの炎
具体的な政策を語り始めてから街頭での手応えは日に日に確かなものになっていった。
「あんたの言ってることはよくわかるよ」
「頑張って私たちの声を届けてくれ」
握手を求められる回数が増えカウンターの数字も着実に伸びていく。事務所に寄せられる激励のメールやブログへのコメントも以前とは比べ物にならないほど増えた。
「見てください晴斗さん!」
事務所で健太が興奮した様子でノートパソコンの画面を晴斗に見せた。
「地元のニュースサイトが俺たちの活動をコラムで取り上げてくれました!」
画面には【葉山市議選、新たな潮流か? 市民の声に根差す若き挑戦者】という見出しが躍っている。記事は晴斗の具体的な政策本位の訴えを好意的に紹介するものだった。相馬の名前も比較対象として挙げられてはいたが明らかに晴斗の活動を高く評価している論調だ。
「すごいじゃないか!」
「これで晴斗さんの名前ももっと広まりますね!」
事務所は久しぶりに明るい祝祭ムードに包まれた。自分たちの地道な努力がようやくメディアという公の場で認められた。その事実は何よりのカンフル剤だった。
だが光が強まれば影もまた濃くなる。
彼らはまだ知らなかった。自分たちが見えない敵の新たな射程圏内に入ってしまったことを。
異変が起きたのはその記事が公開された翌日のことだった。
「晴斗さん! 大変です! ブログのコメント欄が荒らされてます!」
朝一番、事務所に駆け込んできた健太が青い顔で叫んだ。
晴斗が画面を覗き込むとそこには信じがたい言葉の数々が並んでいた。
『こいつ学生時代サークル費を使い込んで問題になった奴だろ』
『市役所を辞めたのも女性職員とのトラブルが原因らしいぞ』
『政策とか言ってるけど結局は目立ちたいだけのパフォーマンス』
誹謗中傷。それも今までの比ではない人格そのものを貶めるような悪意に満ちたデマの数々。それらがほんの数時間のうちに何十件と書き込まれていたのだ。
「なんだこれは……。全部事実無根だぞ!」
晴斗は愕然とした。
「おかしいんです。書き込んでいるアカウントをいくつか調べたんですがどれも今日か昨日に作られた捨てアカウントばかりです。まるで組織的に動いているみたいで……」
健太の声が震えている。
攻撃はブログのコメント欄だけにとどまらなかった。
SNS上には晴斗の過去の何気ない投稿が次々と「発掘」され拡散されていた。
大学時代、友人たちとの飲み会で少し悪ふざけをして撮った写真。
『こんな品性のない人間が議員になるつもりか?』
数年前に政治的なニュースに対して少しだけ軽い口調でコメントした投稿。
『政治を舐めている証拠。こんな奴に市政を任せられるか?』
文脈を無視され悪意を持って切り取られた過去の言動が「木島晴斗」という人間の不都合な真実であるかのようにネットの世界を駆け巡っていく。
それは目に見えない無数の矢だった。一本一本は小さくとも束になって襲いかかってくれば人の心を殺すには十分すぎるほどの威力があった。
「どうすれば……。コメントを全部削除しますか?」
健太がおろおろと尋ねる。
「いや待て。削除すれば『事実だと認めた』とさらに火に油を注ぐことになる」
晴斗は唇を噛んだ。どう対応するのが正解なのか。頭が真っ白になる。
その日の街頭活動は地獄だった。
道行く人々がひそひそと自分を指さして何かを噂しているのが痛いほどわかる。
「あの人よ、ネットで……」
「へえ、見かけによらないのねえ」
今まで温かい声援を送ってくれていた人々の目が明らかに疑いの色を帯びていた。
握手を求めても気まずそうに手を引っ込められる。
演説を始めても遠巻きに眺めるだけで誰も近づいてこようとしない。
たった一日で築き上げてきた信頼が砂の城のように崩れ去っていく。その恐怖に晴斗は立っていることすらやっとだった。
その夜、疲れ果てて事務所に戻ると佐伯が腕を組んで待っていた。
「……選挙の洗礼だな」
彼は荒れ果てたコメント欄を一瞥すると静かに言った。
「これが市川の次の手だ。政策で批判できないとわかったから今度はお前の『人格』を攻撃してきた。票割りでダメならスキャンダル。汚いが常套手段だ」
「どうすればいいんですか……。このままじゃ俺はただの『問題を起こしたうさんくさい奴』になってしまう」
「無視しろ」
「無視……!? でもこのまま黙っていたら!」
「反論すれば相手の思う壺だ」
佐伯の声は冷徹だった。
「お前が『やってません』と否定すれば相手は『じゃあ証拠を出せ』と言う。存在しないことの証明は不可能だ。お前はこの泥仕合に引きずり込まれ貴重な選挙までの時間をただ浪費するだけだ」
「じゃあ何もするなと!? ただ殴られ続けろって言うんですか!」
晴斗は思わず叫んだ。あまりにも理不尽だ。
「そうだ。殴られ続けろ」
佐伯は晴斗の目をまっすぐに見据えた。
「だがただ殴られるな。歯を食いしばって前に進み続けろ。お前を信じるかどうかは有権者が決めることだ。ネットの顔の見えない連中じゃない。お前が今まで向き合ってきたこの街の生身の人間が最後は判断する」
嵐が過ぎ去るのを待つのではない。
嵐の中を突き進むのだ。
それはあまりにも過酷で孤独な戦いだった。
晴斗は震える拳を強く握りしめた。
SNSの炎はまだ激しく燃え盛っている。
その炎に焼かれながらも自分は前に進むことができるだろうか。
彼の覚悟が今本物かどうか試されていた。




