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【4作目・執筆中】青嵐の旗を掲げて ~地方議会・立志激闘篇~  作者: 立花大二
第一部:立志篇

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第十話:無視されるということ


市民文化会館を出ると昼下がりの太陽が容赦なくアスファルトを照りつけていた。

晴斗はポケットの中のカウンターを一度強く握りしめる。カチリと軽い音がして表示が「2」に変わった。

(……これは違うな)

自分で押しても意味がない。晴斗は苦笑いしカウンターをリセットして「1」に戻した。今日のノルマはあと九十九回だ。


「よし」

気合を入れ彼はまず駅前のペデストリアンデッキに向かった。平日のこの時間でも人々が絶えず行き交っている。ここなら数時間はかからないだろう。甘い考えがまだ頭の片隅にあった。


人の流れが少し途切れた瞬間を見計らい晴斗は買い物袋を提げた主婦に声をかけた。

「す、すみません! わたくし木島晴斗と申します! 少しだけお話を……」

主婦は訝しげな顔で晴斗を一瞥するとぷいと顔をそむけ足早に通り過ぎていった。その背中は明らかに「関わりたくない」と語っていた。


出鼻をくじかれた。

だがこんなことでへこたれてはいられない。晴斗は気を取り直し今度は若いサラリーマンに声をかけた。

「こんにちは! 木島晴斗と申します!」

今度はホールでの練習を思い出し笑顔でハキハキと声を張った。

しかしサラリーマンはイヤホンを指さし「聞いてません」というジェスチャーをすると視線すら合わせずに通り過ぎていく。


三人目。四人目。五人目。

結果は同じだった。

誰も足を止めてくれない。まるで晴斗がそこに存在しないかのように人々は彼を避けて通り過ぎていく。宗教の勧誘か怪しい商品のセールスマンだと思われているのだろう。


ホールでたった一人の佐伯を相手にしていた時とはわけが違う。

不特定多数からの無関心という名の拒絶。それは佐伯の罵声よりもずっと鋭く冷たく晴斗の心を抉った。


三十分が経過した。

カウンターの数字はまだ「1」のままだ。

喉はカラカラになり笑顔は引きつってくる。心が少しずつささくれ立っていくのがわかった。


(なぜ話くらい聞いてくれないんだ……)


苛立ちと情けなさがこみ上げてくる。

その時、一人の大学生風の若者が面白そうなものを見る目で近づいてきた。

「何かやってんすか?」

チャンスだ。晴斗はここぞとばかりに練習した通りの挨拶をした。

「こんにちは! 木島晴斗と申します! このたび葉山市議会議員選挙への立候補を決意しまして!」

そして堂々と右手を差し出した。

若者はニヤニヤしながらその手を見下ろした。

「へえ選挙ねえ。で、俺に握手したらなんかいいことあんの? 一万円くれるとか?」

「え……?」

「冗談だよマジになんなよ」

若者はケラケラと笑いながら晴斗の手を無視して去っていった。

後に残されたのは行き場のない右手と焼けつくような屈辱だけだった。


午後三時を回る頃には晴斗は完全に消耗していた。

カウンターの数字はようやく「7」になっていた。

握手に応じてくれたのは暇を持て余していたらしい老人と道を聞かれて親切に教えたお礼にという旅行客だけ。それも名前を名乗った途端、怪訝な顔をされた。


もうやめてしまいたい。

こんな惨めな思いをしてまでやる意味があるのだろうか。

心が折れかけたその時だった。


「あの……」

おずおずと声をかけられた。

見るとベビーカーを押した若い母親が立っていた。市役所の窓口で見たあの母親によく似ていると晴斗は思った。

「さっきからずっと立ってらっしゃいますけど……何か困ってるんですか?」

彼女は晴斗を不審者としてではなく純粋に心配しているようだった。

その何のてらいもない優しさがささくれ立った心に沁みた。


「い、いえ大丈夫です。ありがとうございます」

晴斗は思わず素の口調で答えていた。

「実は選挙に出ようと思ってまして。それで皆さんに挨拶を……」

「まあ選挙! お若いのに偉いわねえ」

彼女は初めて何の偏見もない目で晴斗を見た。

「今の政治って私たちの声全然届いてない気がするから。子育てのこととかもっと考えてほしいんだけど」

「……俺もそう思います」

自然と言葉が続いた。市役所の窓口で感じていた問題意識、この街の未来について。拙いながらも晴斗は必死で自分の想いを語った。

彼女は時折頷きながら真剣に耳を傾けてくれた。


「……頑張ってください。応援します」

最後に彼女はそう言うと自ら晴斗に右手を差し出してくれた。

「握手いいですか?」

「……! はいっ!」

晴斗は慌てて、しかし力強くその小さく温かい手を握り返した。

涙がこみ上げてくるのを必死でこらえた。


彼女が去った後、晴斗は震える指でカウンターを押した。

カチリ。

数字が「8」に変わる。

その「1」は今までの七回の握手とは全く違う重みを持っていた。


無視されることの辛さ。

そしてたった一人でも耳を傾けてくれる人がいることの喜び。

その両方を晴斗はこの数時間で骨身に染みて味わった。


日は傾き駅前の人通りも少なくなってきた。

まだノルマの九十九回には程遠い。

だが晴斗の心は不思議ともう折れてはいなかった。


彼は深く息を吸い込むとジャケットの埃を払い背筋を伸ばした。

そして家路につく人々の流れに向かって再び一歩を踏み出した。

その顔つきはここに来た時よりもほんの少しだけ精悍になっているように見えた。

佐伯の言った「顔つきが変わる」という意味がほんの少しだけわかった気がした。

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