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(完了) 元マフィア、異世界で屋台を始める   作者: 星海凡夫


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第92話「北の異変」


四人目の弟子サジョウが加わってから数日、屋台はかつてない活気に包まれていた。シノは卵かけご飯の新たな応用を模索し、アリシアは解毒スープの改良に余念がなく、リクは東方の味をさらに深めるために干し魚の新しい干し方に挑戦している。そしてサジョウは——まだネギを刻むのも覚束ないが、それでも毎朝一番に起きて井戸端に立ち、懸命に包丁を握っていた。


「サジョウさん、ネギの刻みはもう少し細かく」

シノが優しく指導する。

「こう、ですか」

「そうですそうです!うまくなりましたね」

「まだまだです。でも——誰かに食べてもらえるのが、嬉しくて」


その光景をカウンターから眺めながら、リリアが茶をすすった。

「あの子、だいぶ馴染んだな」

「ああ。元々は料理人になりたかったんだろう。残香の権能に取り憑かれて、歪めることしかできなかっただけで」

「あんたに言わせれば、それも“飢え”か」

「そうだ。誰かに自分の料理を食べてもらいたい——その飢えを満たせなかっただけだ」


そこへ、広場の入口に北の国境から来たという伝令馬が駆け込んできた。騎手は厚い毛皮の外套に身を包み、凍てつく北風で頬を赤くしている。手には封蝋のされた一通の封書が握られていた。


「カズマ殿——北の祠から、緊急の報せです」

「北の祠」

俺は焼きおにぎりを網から上げながら受け取った。

「五つの祠はすべて癒したはずだ」

「はい。しかし——祠の一つが、再び蠢き始めたと。北の果てに近い“氷の祠”から、妙な霧が流れ出し、周辺の村々で味覚を失う者が続出しているとのことです」


広場がざわりと揺れた。将軍が粥の鍋から顔を上げ、ヴァルケンたちが包丁を置く。弟子たちも一斉に手を止め、不安げな顔を見合わせた。


「氷の祠——あそこは飢餓の五つの祠の一つだ。あの祠は確かに癒したはず」

エルムが杖をつきながら言った。

「何かが、封印を再び乱しているのかもしれません」

「飴の王は調和した。他の神々も動いてはいない。原因は何だ」

「わかりません。ただ——北の国境地帯では、最近“味が凍る”という奇妙な現象が報告されています。料理を作っても、すぐに冷え切って味がしなくなる。まるで味そのものが凍りつくように」


俺は封書を開き、目を通した。北の村長からの切実な訴えが、震える筆跡で綴られている。

「原因が何であれ、祠が蠢いているなら放ってはおけない。行くぞ」

「師匠、俺たちも——」

シノが一歩前に出た。

「いや。お前たちはここに残れ」

「え」

「屋台を守れ。それに——サジョウがまだ包丁に慣れていない。お前たちが教えてやれ」

「……はい」


リリアが弓を背負い直した。

「私は行く。当然だろ」

「ああ」

ギリアムが大剣を担ぎ、ゴルドアとマクシミリアンが無言で立ち上がる。将軍は少し考えてから言った。

「私は残ろう。弟子たちと屋台を守る」

「助かる」


サジョウがおずおずと手を挙げた。

「カズマ殿——私も、何かお役に立てないでしょうか。残香の力はもうありませんが、味が凍る現象について、何か知っているかもしれません」

「いいだろう。北の祠に関する知識があれば、道中で聞かせろ」

「はい!」


アリシアが静かに近づき、小さな包みを差し出した。

「師匠——これは私の養生スープの素です。北の寒さの中で、少しでも体を温められるように」

「ありがたく使う」

「それから——」

彼女は少しだけ言いよどみ、それから微笑んだ。

「どうか、ご無事で」

「ああ。留守を頼む」


シノとリクもそれぞれ包みを差し出し、弟子たちが見送りの準備を整える。グレゴールとエレナは旅の保存食を手早くまとめ、ヴァルケンたちは市場の警備を引き継いだ。


夕暮れ、北門に集まった一行は、凍てつく風が吹き始める中を歩き出した。俺、リリア、ギリアム、ゴルドア、マクシミリアン、エルム、サジョウ——そして気配を消したシロガネ、クロ、ガルム、喪犬。神々の姿はないが、彼らは今ごろ別の地で味を広げているだろう。


「氷の祠——前に訪れた時は、封印を解くための五つの祠の一つだった。あの時は飢餓の欠片が宿っていたが、今度は“味が凍る”現象か」

エルムが杖をつきながら言った。

「味が凍るとは、どういうことだ」

「わかりません。ただ——祠の精霊が何かに怯え、その力が暴走している可能性があります」

「精霊が怯える原因——それを見つければいい」


サジョウが少し考え込んでから口を開いた。

「カズマ殿——私が継いでいた“残香の権能”は、もともとは“味を留める”ための力でした。神々が封じたと言われていますが、その欠片が今も各地に散らばっています。もし氷の祠でその欠片が暴走しているなら——“味が凍る”現象も説明がつきます」

「味を留める力が、凍りつかせているのか」

「はい。留めすぎて、動かなくなる——それが凍りつきの正体かもしれません」

「ならば、その力を解き放つ料理が必要だ。動かない味を、もう一度動かすための料理が」


リリアが焼きおにぎりをかじりながら言った。

「また難しいことを。でも——あんたならなんとかするだろ」

「なぜそう言い切る」

「今まで、できなかったことがないからだ」

「……そうだな」


一行は北へ、北へと歩みを進める。行き先は氷の祠——かつて癒したはずの封印が、再び蠢き始めた場所。凍てつく味を解き放つため、屋台シェフの新たな旅が始まる。


(第92話 終)


▼ 次回予告(第93話用の引き)


氷の祠へ向かう道中、一行は奇妙な村に立ち寄る。村人たちはみな、料理を作ってもすぐに冷め切ってしまい、味がしなくなる現象に苦しんでいた。そして村の外れには、氷の祠から流れ出たという冷たい霧が立ち込め始めている。

(次話:「凍てつく村」)



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