第87話「残香の使い手」
弟子たちの初戦突破の報せが届いてから三日、屋台には新しい客が増えていた。
「弟子の卵かけご飯ってどれだ?」
「潮風の卵かけご飯!食べてみたい!」
「養生スープはまだか」
「東方潮騒の味噌汁ってのを頼む!」
しかし、弟子たちは西方にいる。屋台にあるのは将軍の粥とグレゴールの出汁巻き卵、ヴァルケンたちの味噌汁と焼きおにぎりだけだ。それでも客たちは「弟子たちが帰ってきた時のために」と通い続け、屋台は連日のように賑わっていた。
「弟子たち、人気者だな」
リリアが茶をすすりながら言った。
「ああ。だが、あいつらがいないとメニューが寂しい」
「将軍の粥があるだろ」
「それだけでは足りん」
そこへ、広場の入口から馬の蹄の音が響いた。見ると、西方の伝令馬が汗まみれで駆け込んでくる。騎手は西方諸国連合の紋章をつけた若い兵士で、手には封蝋のされた緊急の封書を握っていた。
「カズマ殿!緊急の報せです!」
「読め」
「は、はい——『大会会場に、何者かが現れた。名をサジョウ。自らを“残香の使い手”と称し、調理院の許可なく出場選手の料理に干渉。味を歪める力を持つ模様。これにより一部の試合結果に疑義が生じ、大会は一時中断——』」
広場の空気が凍りついた。将軍が粥の鍋から顔を上げ、ヴァルケンたちが包丁を置く。リリアが弓を握り直した。
「残香の使い手——何者だ」
俺は封書を受け取り、続きを読む。グレゴールからの詳細な報告が記されていた。
「サジョウと名乗る女は、美食教団の残党とは無関係の、より古い“味を歪める術”の継承者と見られます。彼女は試合の料理に“残り香”を吹きかけ、どんな料理も本来の味から歪めてしまう。審査員の舌すら欺くその力に、大会運営は打つ手がありません」
「味を歪める術——」
「美食教団が扱っていた力とは別物か」
グーラが静かに姿を現し、難しい顔で言った。
「残香——それはかつて神々が封じた“味覚を惑わす権能”の欠片の一つだ。本来はもう失われたはずの力。それがなぜ今」
「そのサジョウって女は、何が目的なんだ」
リリアが尋ねると、グレゴールの手紙にはこう続いていた。
「彼女の目的は不明ですが、大会の上位選手——特に我々の弟子たちに強い関心を示しているようです。次戦でシノ、アリシア、リクのいずれかが彼女の干渉を受ける可能性があります」
「弟子たちが狙われている」
「ああ。味を歪める力——それに対抗するには、歪められてもなお伝わる“味の芯”が必要だ」
「あいつらに、それがあるか」
「ある。あいつらは自分の味を持っている。歪められても——その芯は消えない」
俺は封書を置き、西の空を見つめた。
「信じて待つだけだ。弟子たちはもう——一人前の料理人だからな」
西方の古都では、大会会場に緊張が走っていた。
中断された試合の合間、控え室に三人の弟子たちが集まっている。シノは包丁の刃を確かめ、アリシアは解毒スープの香りを確認し、リクは母の鉄鍋を磨いていた。三人の表情は硬いが、目だけは前を向いている。
「サジョウって——どんな奴なんだろうな」
リクが呟く。
「わからない。でも——師匠が言ってた“味の芯”があれば、きっと大丈夫だ」
シノが包丁を握り直す。
「私の解毒スープは、味覚を呼び覚ますためのもの。味を歪められても——その本質は変わらないはず」
アリシアが静かに言った。
三人の前に、グレゴールとエレナが立った。
「次戦の組み合わせが出た。お前たちのうち——リクが、サジョウの干渉を受ける可能性がある試合に臨む」
「俺が——」
「ああ。だが、お前には東方の味がある。それを信じろ」
「……はい!」
リクは鉄鍋を抱え直し、深く息を吸った。
王都の屋台では、夜になっても灯りが消えなかった。
「なあ、カズマ。弟子たち、大丈夫かな」
リリアがカウンターに座って尋ねる。
「大丈夫だ。あいつらは——俺たちの弟子だからな」
「そっか」
「信じて待つ。料理人は——信じることも仕事だ」
遠く西の空で、星が一つ、静かに瞬いている。
(第87話 終)
▼ 次回予告(第88話用の引き)
サジョウの残香が迫る中、リクの試合が始まった。彼は母の鉄鍋で東方潮騒の味噌汁を作り上げる。しかし完成直後、サジョウの残り香が鍋を包み込む——。
(次話:「リクの戦い」)




