第84話「弟子たちの旅立ち」
大陸料理大会への出発の朝、東の空がまだ白み始める前に、三人の弟子たちは屋台の前に立っていた。
シノは母の形見の包丁を腰に差し、アリシアは解毒スープの小鍋を胸に抱え、リクは東方の鉄鍋を背負っている。それぞれが自分の味を携えて、これから西方の古都へ旅立とうとしていた。
「準備はできたか」
俺は炭火を起こしながら尋ねた。
「はい、師匠」
シノが包丁の柄に手を触れて言う。
「卵かけご飯——俺の味を、大陸の人たちに食べてもらいます」
「私もです」
アリシアが静かに微笑む。
「解毒スープの応用で、どこまで通用するか挑戦してきます」
「俺も——母さんの鍋で、東方の味を広げてきます」
リクが鉄鍋を握りしめた。
三人の目は、弟子入りした当初の不安げな輝きとはまるで違う。自分の味を持ち、それを誰かに届けたい——そう願う料理人の目だった。
「よし——出発前に、最後のまかないだ」
俺は簡易竈ではなく、屋台のいつもの厨房に立った。握るのは焼きおにぎり。弟子たちが初めてこの屋台で食べた、あの味だ。
「お前たちが初めてここに来た時、最初に食わせたのは焼きおにぎりだった。今日も同じだ。食え」
三人は無言で焼きおにぎりを受け取り、一口ずつかじる。醤油の焦げた香ばしさ、米の甘み——いつもと変わらぬ味。しかし今日は、それぞれの胸に沁み入るものが違うはずだ。
「うまいです、師匠」
シノが涙をぬぐった。
「俺、この味を——ずっと忘れません」
「私もです」
アリシアがうなずく。
「この味があったから、私は几帳の向こうから出られました」
「俺も——母さんの味と、師匠の味、両方を胸に頑張ります」
リクが鍋を抱きしめた。
東の空が黄金に輝く頃、一行は王都の西門に集まった。
弟子三人に加え、引率役としてグレゴールとエレナが同行する。護衛にはゴルドアとマクシミリアンがつき、旅の案内はエルムが務めた。ギリアムは王都の警備に残り、将軍は屋台の留守を預かる。ヴァルケンと戦士たちは、今日も普段通りに味噌汁の鍋をかき混ぜていた。
見送りにはヴィオラやランドル、常連客たちも集まっている。
「シノ、アリシア、リク——行ってらっしゃい」
ヴィオラが三人に小さな包みを手渡す。
「食糧庁の通行証と、緊急用の保存食。何かあったら使いなさい」
「ありがとうございます」
将軍が無言で三人に歩み寄り、それぞれに小さな包みを渡した。
「私の粥の素だ。旅の間、作りたくなったら使え」
「将軍さん——ありがとうございます!」
リリアは弓を肩にかけ直し、三人の前に立った。
「あんたたち、最初は何もできなかったのにな」
「リリアさん——」
「でも、今は違う。自分の足で立てる。胸を張って行け。負けて泣いても、帰ってくればいい」
「はい!」
アリシアが一歩前に出て、リリアと静かに見つめ合った。言葉はなかった。しかし、二人の間に流れる空気がかすかに揺れたのを、俺は感じ取っていた。
「よし——行け。お前たちの味を、大陸に届けてこい」
俺が声をかけると、三人は深々と頭を下げた。
「はい、師匠!」
「師匠——行ってきます」
「師匠、必ず戻ってきます!」
三人は背筋を伸ばし、西方への街道を歩き始める。グレゴールとエレナが静かに続き、ゴルドアとマクシミリアンが左右を固め、エルムが杖で前方を示していた。
「行ったな」
リリアが呟く。
「ああ」
「寂しいか」
「寂しくない。弟子は出て行くものだ。でも——」
「でも」
「帰ってくる場所がある。それがここだ」
リリアは少しだけ笑い、弓を揺らしながら屋台へと戻っていく。
俺はしばらく西の空を見つめてから、炭火をかき立てた。弟子たちが留守の間も、屋台は開き続ける。腹を空かせた客は今日も来る。ならば——俺はいつも通り、焼きおにぎりを握るだけだ。
遠くの空で、鳥が西へ向かって飛んでいく。弟子たちの旅立ちを、祝福するかのように。
(第84話 終)
▼ 次回予告(第85話用の引き)
弟子たちが去った屋台は、少しだけ静かになった。しかしそこへ——珍しい客が二人、ふらりと訪れる。
「やあ、カズマ。久しぶり」
「兄貴と旅をしてたんだけど——ちょっと立ち寄った」
扇子と杖を手にした食神たちが、土産話を抱えて戻ってきた。
(次話:「食神たちの帰還」)




