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元マフィア、異世界で屋台を始める ~俺の料理だけ、なぜか食べた相手にバフがかかる~  作者: 星海凡夫


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第8話「獄中飯と聖餐卿の舌」

王都の地下牢は、思ったよりずっと静かだった。


元スパイの俺にとって、牢獄への潜入など朝飯前だ。聖餐庁の庁舎は王都の中央、大聖堂の真横にそびえる石造りの巨館。地下に広がる牢獄区画には、異端審問を待つ罪人たちが収監されている。衛兵の配置、見張りの交代時間、鍵の在り処——そういう情報は、ランドルが監察局の伝手で集めてくれた。借りが返せて嬉しいと、彼は苦笑いしていた。


問題は、俺ひとりで行くわけにはいかないことだ。


「どうして私が」

リリアが暗闇の中で小声で文句を言う。

「お前、暗視が効くんだろ。エルフだし」

「便利使いするな」

「報酬は明日の朝食、特製だし巻き卵と味噌汁付き」

「……乗った」


クロはさすがに連れて来れず、シロガネに預けてある。フェンリル二匹が屋台の留守番とは、数ヶ月前の俺には想像もできなかった。


俺は手早く換気口を外し、地下牢への抜け道を下りていく。前世で培った記憶と技術が、迷いなく体を動かす。リリアは無言でついてきて、時折、弓を構えて衛兵を眠らせる——矢じりには麻痺毒。殺しはしない。それが俺の唯一の条件だった。


最下層の独房に、エマはいた。


「……カズマ、さん」

「よお。腹減ったか」

「なんで、ここに……」

「飯を届けにな。幕の内弁当だ。冷めちまったが、許せ」


俺は持参した風呂敷包みを、鉄格子の隙間から差し入れた。中身は、昨夜のうちに仕込んだ幕の内弁当。白米にゴマ塩、焼き鮭、卵焼き、きんぴらごぼう、鶏の唐揚げ、そして梅干し。彩りは地味だが、栄養バランスは完璧だ。なにより、冷めてもうまいように味付けしてある。


エマは包みを開けて、しばらくじっと中身を見ていた。それから、卵焼きをひと切れ、口に入れる。


「……あまい」

「関東風だ。砂糖とみりんで味をつけてある」

「なんで、私に」

「お前、厨房で火傷してから、甘いものが好きだったんだろ。教会の料理は甘味が少ないからな」


エマは泣きながら卵焼きをかじり、唐揚げにかぶりつき、米をほおばった。そのたびに、俺の視界に小さなポップアップが浮かぶ。


【エマ HP+10、士気上昇(大)、忠誠度+5(永続)】

【空腹時ボーナス:精神疲労回復(特大)】


「……おいしい。おいしいです。しょっぱいのに、あまい。冷たいのに、あったかい。おかしい、牢獄の飯なのに」

「牢獄だろうが戦場だろうが、飯は飯だ。うまいものを食う権利は、誰にでもある」

「カズマさんは……なんで、そこまで」

「かつて俺は、人に飯を食わせるどころか、毒を盛る側だった。その借りを返してるだけだ」


エマは最後の梅干しを口に含み、種をそっと包み紙に戻した。それから顔を上げ、濡れた目で俺を見た。


「カズマさん。グレゴール聖餐卿のことを」

「ああ。どんな男なんだ」

「……料理人でした」

「料理人」

「十年ほど前まで、聖餐庁の総厨房で、教皇猊下の食事を作っていた。彼の料理は、それは見事で……でも、ある日突然、厨房を去った。理由は誰も知りません。そして彼は、料理を取り締まる側に回った」

「なぜ」

「わかりません。ただ——彼の料理を食ったことがある古い司祭が、こう言ってました。『あの方の舌は、神を食ったことがある』と」


神を食った舌。言い得て妙だ。


「グレゴールは、いつ来る」

「……明日の朝、異端審問が開廷されます。その時、私の判決が下る」

「わかった」


俺は立ち上がった。リリアが警戒した顔で俺を見る。

「まさか」

「まさか、なんだ」

「審問の場に乗り込む気か」

「当たり前だ。裁判には弁当が必要だ」


翌朝、聖餐庁の異端審問廷は、厳粛な空気に包まれていた。


高い石造りの天井、ステンドグラスから差す色とりどりの光、壁一面に並ぶ聖餐令の条文。そして、裁判官席の中央には——ひとりの男が座っていた。


痩身、黒髪に白髪の混じった短い頭、年は四十代半ば。深い皺の刻まれた顔には、表情がない。ただ、その目だけが異様だった。料理人の目だ——いや、元・料理人の目だ。食材を見るように、人を見ている。これが、聖餐卿グレゴール。


「被告人エマ。元・味覚審査官。聖餐令第七条、『私的共感による審査の歪曲』の疑い」

書記官が罪状を読み上げる中、グレゴールの無表情は微動だにしない。


「被告人、何か申し開きはあるか」

エマは顔を上げた。昨夜の弁当で、いくらか生気を取り戻している。

「……私の審査に、間違いはありませんでした」

「カズマという男の料理に、私的感情を抱いたことは認めるか」

「……認めます。彼の料理は、私のために作られたものでした」

「それが審査の歪曲にあたると、自覚しているか」

「……いいえ。私的感情こそが、味の本質です」


グレゴールの目が、ほんの少しだけ細められた。感情ではない。興味だ。料理人が、未知の食材を見つけた時の目だった。


その時、審問廷の大扉が、音を立てて開かれた。


「ちょっと待った」


衛兵たちが慌てて槍を構える。聖餐庁の職員がざわめいた。その中を、俺はゆっくりと歩いて入った。手には、風呂敷包み。


「貴様——何者だ!」

「屋台シェフのカズマだ。そこの被告に、差し入れを持ってきた」


グレゴールが、静かに手を上げて衛兵を制した。

「……カズマ。噂は聞いている」

「それはどうも」

「なぜここに」

「裁判には弁当が必要だと思ってな。ついでに——あんたの分もある」


風呂敷を解く。中から現れたのは、三段重ねの重箱だ。一段目は焼き鳥の盛り合わせ(タレ、塩、つくね)。二段目は出汁巻き卵と青菜のお浸し。三段目は——白米と、自家製の味噌汁(保温魔法付き)。


「驚いたな。賄賂か」

「違う。挑戦だ」


俺は重箱を、裁判官席の前にどんと置いた。

「あんた、元・料理人なんだろ。なら——食ってから審問しろ。腹が減っては審問もできまい」


審問廷が静まり返った。グレゴールはしばらく重箱を見下ろし、それから、かすかに口元を歪めた。笑ったのかもしれない。十年ぶりに笑ったのかもしれない。


「……よかろう」


彼は箸を取った。まず焼き鳥のタレを一口。つくねを一口。出汁巻き卵を一口。そして味噌汁をすすり、白米をひとつまみ——


彼の手が、止まった。


「……この味は」

「ただの焼き鳥だ。タレは醤油とみりんと砂糖。つくねに軟骨を混ぜてある。出汁巻きには本みりんを使ってる。味噌汁の出汁は煮干しと昆布だ」

「違う。そうじゃない」

グレゴールの声は、かすれていた。

「この味は——“誰かのために作った味”だ。そうだろう」

「当たり前だ。俺の飯は、いつだって誰かのために作ってる。神様のためでも、教会のためでもない」

「……私が、かつて失ったものだ」


彼は箸を置き、深く息を吐いた。


「私はかつて、教皇のために料理を作っていた。全身全霊を込めた。だが教皇は、私の料理を“聖餐”として独占しようとした。私の意思を無視し、私の料理を教会の道具にした。私は——料理を捨てた。そして、料理を取り締まることで、自分の味を封印した」


「だが、あんたの舌はまだ生きてる。さっきの焼き鳥で、それを思い出したはずだ」

「……ああ。思い出した。思い出してしまった」


沈黙。それからグレゴールは立ち上がり、高らかに宣言した。


「異端審問廷は、被告エマを無罪とする」

「聖餐卿!?」

「根拠は——このカツ……いや、焼き鳥が、うますぎた」


聖餐庁の職員たちが騒然とする中、グレゴールは俺に向き直った。

「カズマ。私はこれより聖餐卿を辞任する」

「は?」

「そして、お前の屋台で——皿洗いから始めさせてほしい」

「……はあ!?」


リリアがどこかで「だから言った」と呟くのが聞こえた。エマは泣き笑いで拍手している。


こうして聖餐庁の脅威は、焼き鳥三段重ねによって瓦解した。だが——俺には、胸の奥に小さな引っかかりがあった。


グレゴールの言った“神を食った舌”という言葉の真意を、俺はまだ知らない。


(第8話 終)


▼ 次回予告(第9話用の引き)


グレゴールが厨房に立ち、屋台はさらに進化する。だが、彼は知っていた。

「カズマ、お前のスキルの正体は、神の“味覚”そのものだ。いずれ神々が、取り返しに来る」

その予言の直後、屋台に現れたのは——異世界から来たという、和服姿の“食神”だった。

「そのスキル、返してもらおうか」

(次話:「食神来襲と屋台の存亡」)

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