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元マフィア、異世界で屋台を始める ~俺の料理だけ、なぜか食べた相手にバフがかかる~  作者: 星海凡夫


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第7話「フェンリルの母と聖餐庁の牙」


その日、広場の空気が変わった。


屋台の炭火を起こし終えた瞬間、クロが突然、耳をぴんと立てて、屋台の下から飛び出した。今まで聞いたことのない声で鳴く——「くぅん」じゃない。遠吠えだ。狼の、野生の血が目を覚ましたような、長く低い遠吠えだった。


「クロ?」

「……来る」

リリアが弓を握りしめ、青ざめた顔で北の空を見つめている。エルフの感覚は人間より鋭い。彼女の指先が、かすかに震えていた。

「何が来る」

「……フェンリル。成獣だ。それも、とんでもなくデカい」


地響きが近づく。広場にいた冒険者たちが一斉に武器を構え、市民が悲鳴をあげて逃げ惑う中——そいつは、街の北門を飛び越えて現れた。


銀色の毛並みが、朝日に燃えている。体高は優に三メートルを超え、四肢は巨木のよう。尾は一振りで荷馬車を吹き飛ばせそうな太さだ。そして、その金色の両眼は——まっすぐに、クロを見下ろしていた。


「……母さん」

俺は思わず呟いた。確信はなかったが、間違うはずがない。クロの毛並みと同じ銀、同じ目の色。それに、巨獣がまとっている空気は、怒りではなく——深い、深い悲しみだった。


巨狼は、ゆっくりと口を開いた。


「……返してもらいに来た」


人間の言葉だった。低く、腹の底に響く声。広場中が凍りついた。フェンリルが人語を話すなど、伝説の中でも聞いたことがない。


「私の子を。お前たち人間が、連れ去ったと聞いた」

「連れ去ったんじゃない。腹を空かせてたから、飯をやっただけだ」

「飯を?」

「焼き鳥だ。タレと塩。串ごと食った」


巨狼の目が、わずかにまたたいた。困惑している。それもそうだろう。伝説の魔獣に焼き鳥の説明をする羽目になるとは、俺も思わなかった。


クロが俺の足元から、おずおずと前に進み出た。尻尾は下がり、耳は伏せている。母親に対する遠慮なのか、それとも——別れの覚悟なのか。


「クロ、お前、帰るのか」

「……くぅん」

「こいつはお前の母親だ。無理に引き止めはしない。お前が決めろ」


クロは母親の足元まで歩いていき、見上げた。巨狼は首を垂れ、鼻先でクロの体をそっとつついた。親子の再会。それだけで、あたりの空気がほんの少し和らいだ。


しかし、クロは——母親の前で、くるりと向きを変え、俺のところに戻ってきてしまった。そして、俺の足に顎を乗せ、くぅんと鳴いた。


「……なるほど」

巨狼の声に、怒りはなかった。ただ、ほんの少しの寂しさがあった。

「お前は、私の子に何をした」

「何も。ただ、毎日三食、まかないをやってただけだ。昨夜はカルパスもやった」

「……カルパスとは」

「干し肉の燻製だ。うまいぞ」


巨狼は長い沈黙の後、どさりと地面に伏せた。その巨体が広場の半分を占める。

「人間。名は」

「カズマだ」

「カズマ。私にも、その“カルパス”とやらをくれないか。腹が減った」


リリアが呆然と呟いた。

「……親子そろって食いしん坊か」


俺は屋台に戻り、異世界デリバリーから取り寄せた最高級のカルパスを三本、大皿に並べた。ついでに焼き鳥も十本、サービスしておく。


巨狼は——クロの母は——それを一口で平らげ、金色の目を細めた。

「……なるほど。これは、絆される」

「親子で食うか?まだあるぞ」

「……もらおう」


こうして、屋台の前でフェンリルの親子が並んで焼き鳥を食うという、前代未聞の光景が展開された。冒険者たちは武器を下ろし、市民は恐る恐る戻ってきて、やがて誰からともなく拍手が起きた。


クロの母——名を「シロガネ」というらしい——は、食事の後、俺に言った。

「この子は、お前に預ける。人間と共に生きるのは、フェンリルの掟に反する。だが——この子の目は、お前を“家族”と見ている。それを引き裂く権利は、私にはない」

「いいのか」

「ただし条件がある。定期的に、私にも飯を寄越せ。あのカルパスというやつを」

「……毎月、北の森に届ける」

「よかろう」


シロガネは立ち上がり、クロの頭をひと舐めして、それから跳躍した。一瞬で街の壁を越え、森の彼方に消える。


静寂。そして、ランドルが汗だくで駆けつけてきた。


「カズマ!大変だ!」

「どうした。フェンリルならもう帰ったぞ」

「それどころじゃない!聖餐庁が動いた。“味覚審査部”のエマが捕らえられた。お前の審査で“不当に手心を加えた”という理由で、異端審問廷に送られるらしい!」

「なに」

「それだけじゃない。聖餐庁は正式に“接収部隊”を派遣した。部隊長は——“聖餐卿”グレゴール。教会で最も恐れられている男だ。奴の目的はお前の身柄の完全接収。つまり——」


「つまり、逃げ場はないと」

「……ああ」


俺は炭火を見つめた。いい感じに熾きている。焼き鳥が焼ける。カルパスがある。米もある。梅干しもある。


「ランドル」

「なんだ」

「エマって、どこに捕まってる」

「……聖餐庁の地下牢だ。王都のど真ん中だぞ」

「わかった」

「まさか助けに行くつもりか!?」

「違う」

俺は静かに、だがはっきりと言った。

「迎えに行く。飯を届けにな」


ランドルが絶句する。リリアがため息をつき、クロがくぅんと鳴いた。


シロガネを動かしたのは、カルパスじゃない。俺の屋台に流れてる、たったひとつのルール——「腹が減ったやつには、誰彼かまわず飯を食わせる」というだけのことが、伝説の魔獣すら絆したのだ。


ならば、聖餐庁の地下牢だろうと、異端審問廷だろうと、やることは変わらない。


俺は新しいメニュー表を一枚、値段表の下に貼った。


『差し入れ弁当(要相談) —— 時価』

※牢獄、戦場、異端審問廷まで配達可能


「……あんた、本気か」

「本気だ」


明日の仕込みは、多めにしておくべきだろうな。弁当箱も、必要だ。


(第7話 終)


▼ 次回予告(第8話用の引き)


王都の地下牢。異端審問を待つエマのもとに届いたのは、まだ温かい幕の内弁当だった。

「カズマさん……どうやってここに」

「元スパイを舐めるな。それより——聖餐卿グレゴールってのは、何が好きなんだ」

(次話:「獄中飯と聖餐卿の舌」)

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