第6話「聖餐庁の舌と禁断のレシピ」
聖餐庁の使者が屋台を訪れたのは、それから三日後の昼下がりだった。
二人組だった。先頭は若い司祭——年の頃はまだ二十歳そこそこ。真白の祭服に金糸の刺繍、聖杯を象った胸章。顔立ちは整っているが、目だけが異様に冷たく、品定めするように俺の屋台を眺めている。もう一人は、全身を覆うローブ姿で、顔は仮面で隠していた。白磁の仮面に描かれたのは、舌を象った紋章。聖餐庁味覚審査部——奴らがそれだ。
「私は聖餐庁審査官、ユリウス司祭。こちらは調理審査官の“舌”」
若い司祭は形式的な微笑を浮かべた。仮面の方は無言のまま、屋台の調理器具を舐めるように見回している。
「ご苦労なこった。遠いところをわざわざ」
「単刀直入に。我々はあなたの料理が“聖餐”の基準を満たすか否か、判定するために派遣されました」
「聖餐、ね」
「神の権能を食によって流布する行為は、教会法において聖餐令違反にあたります。違反が認められた場合、調理権の永久停止および、場合によっては異端審問廷への移送となります」
物騒な話だが、口調はあくまで事務的だ。こういう手合いは面倒だ。怒りも欲望も見せず、ただ規則で人を裁く。
「判定って、具体的には何を」
「簡単です。我々が指定する三品を作っていただく。それを“舌”が試食し、聖餐に値するか判断する」
「断ったら」
「その時点で違反確定です」
なるほど、逃げ道なしの料理勝負か。もっとも、勝負というなら——俺にだって意地がある。
「わかった。三品、何がいい」
「一つ目。神に捧げるにふさわしい“聖なる一皿”を」
「二つ目は」
「食べた者の信仰心を試す“審きの一皿”を」
「三つ目は」
ユリウスの目が、初めて感情を宿した——侮蔑だ。
「あなたが最も得意とする“奇跡の一皿”を。審査官を黙らせる自信作があれば、それで示していただく」
リリアが屋台の隅で弓に手をかけている。クロは机の下で唸っていた。俺は静かに手を上げて、二人を制する。
「いいだろう。ただし条件がある。調理時間は一品につき十五分、材料は俺の手持ちで自由に選ぶ」
「よろしい」
「それと——“舌”とやらには仮面を外してもらう。食う者の顔を見ずに料理は作れん」
仮面の人物が、初めて動きを止めた。ユリウスは眉をひそめるが、“舌”が静かにうなずいた。白磁の仮面が外される。
現れたのは、若い女だった。年の頃は二十代半ば。燃えるような赤毛を後ろで一つに束ね、瞳は琥珀色。顔の右半分に、火傷の痕が広がっている。この傷——見覚えがある。厨房で油がはねた痕だ。こいつは料理人だ。本物の。
「……名前は」
「必要ありません。私はただの“舌”です」
声には感情がなかった。だが、その目が俺の手元をじっと見ている。料理人の目だ。
一品目。「聖なる一皿」
俺は迷わず、豆腐を選んだ。異世界デリバリーで仕入れた国産大豆の木綿豆腐。にがりは天然、口当たりは絹のよう。これを一丁、静かに水から上げ、清めた包丁で四等分する。薬味はおろし生姜と刻みネギ。醤油は一滴だけ。
白磁の小鉢に、豆腐をひとつ。その隣に盛り塩を一つまみ。
「冷奴だ」
「……冷奴」
「神に捧げるもっとも聖なる食い物だ。味は素材そのもの。ごまかしは一切ない。食え」
“舌”は箸を取り、豆腐をそっと口に運んだ。
無言。彼女の箸が二度、三度と動き、豆腐は消えた。食べ終わった後、彼女は目を閉じた。火傷の頬が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
「……判定は」
彼女は目を開け、感情のない声で言った。
「合格です。素材に対する敬意がある。無駄な装飾がない。聖餐にふさわしい」
ユリウスは意外そうに彼女を見たが、何も言わなかった。
二品目。「審きの一皿」
俺は鍋に油をひき、強火で熱する。そこに投入したのは——超辛の麻辣ペーストを塗り込んだ鶏手羽先。四川の花椒、唐辛子、山椒の実。異世界デリバリーで最も危険な調味料を、これでもかと利かせた。香りだけでリリアが咳き込み、クロがくしゃみをした。
「“地獄の手羽先”だ。食え」
「……これは」
「信仰心を試すんだろ。信じる者なら耐えられる」
“舌”は一瞬ためらい、それから手羽先にかぶりついた。
次の瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。汗が額に吹き出し、耳まで真っ赤になる。それでも彼女は、骨の髄までしゃぶり尽くした。
「……か、辛い……ですが」
「審きは」
「……この辛さは、試練です。苦痛の先に、うま味がある。神の試練そのもの。合格です」
ユリウスが声を上げた。
「待て、“舌”。それは苦痛ではないのか」
「苦痛は聖性を否定しません。むしろ——」
彼女は赤くなった唇をぬぐい、真っ直ぐに俺を見た。
「この人は、苦痛の向こうに“救い”を置いている」
三品目。「奇跡の一皿」
俺はもう、悩まなかった。作るべきものは決まっている。
炊きたての白米。手のひらに塩をふり、熱いうちに握る。具は——梅干し。ただ一つ。紀州の完熟南高梅を、塩だけで漬けたもの。酸っぱくて、しょっぱくて、種がある。子供の頃、母が握ってくれたおにぎりと、まったく同じ形に握った。
「おにぎりだ。具は梅干しだけ」
「……なぜこれを」
「俺の人生で、もっとも奇跡に近かった飯だからだ」
“舌”は両手でおにぎりを受け取った。かぶりつく。一口、二口。三口目で——彼女の手が止まった。
「……なんで」
「ん?」
「なんで、こんなに……しょっぱいだけなのに、あったかいの」
彼女の声は震えていた。さっきまでの無機質な“舌”の声じゃない。傷ついた一人の料理人の声だった。
「私は……厨房で火傷をして、味覚の半分を失った。それでも教会で料理を続けた。でも、誰も私の料理を“奇跡”とは呼ばなかった。私の料理は、ただの栄養補給。あなたのは、なんで——」
「俺の飯は、食うやつのために作ってる。神様のためでも、審査のためでもない。今、ここで、お前のために握った」
「……私のために」
「そうだ。うまいか」
「……うまい。うまいです。泣きそうなくらい」
「なら、それで合格だ」
ユリウスが慌てたように口を挟む。
「ちょっと待て。判定は“舌”が——」
「合格です」
“舌”は涙をぬぐいながら、はっきりと言った。
「審査官ユリウス。この料理は、聖餐令に違反していません」
「なに……」
「神のためではないからです。この料理は、ただ一人の人間のために作られた。そこに教義は介在しない。教会法の定める“聖餐”には該当しません」
ユリウスは何か言いかけて、やめた。仮面の下から見える彼女の目が、あまりに真っ直ぐだったからだ。
去り際、“舌”は振り返って言った。
「カズマさん。私の名前は、エマです」
「エマ。いい名前だ」
「いつか——私にも、教えてください。誰かのために料理を作るということを」
「教えることはない。お前はもう知ってる」
エマは少しだけ笑って、仮面をポケットにしまい、素顔のまま去っていった。ユリウスは苦虫を噛み潰した顔で、その後を追う。
リリアが屋台のカウンターに肘をつく。
「……敵だったよな、今の」
「元・敵だ」
「あんた、本当に人たらしだな」
「人たらしって言え」
「言わない」
クロがくぅんと鳴いて、俺の足にすり寄った。今日はよく静かにしていてくれた。ご褒美にカルパス二本だ。
夜、俺は新しいメニューを一枚、値段表の下にそっと貼った。
『おにぎり(梅) —— 150ゴールド』
※希望があれば、好きな形に握ります
これが、聖餐庁に対抗する俺の“禁断のレシピ”だ。奇跡ではなく、ただの握り飯。神のためではなく、お前のために握る。
明日は、誰がこれを食いに来るだろうか。
(第6話 終)
▼ 次回予告(第7話用の引き)
屋台に、怪我をしたフェンリルの成獣が現れた。クロの母親だという。
「クロを返してもらいに来た」——それは、人間の言葉を話した。
同時に、聖餐庁内部でエマの“裏切り”が問題視され、新たな刺客が動き出す。
「次は味見じゃない。接収だ」
(次話:「フェンリルの母と聖餐庁の牙」)




