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(完了) 元マフィア、異世界で屋台を始める   作者: 星海凡夫


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第75話「甘味の祠」


山間の祠を癒した一行は、王都への帰路をゆっくりと南下していた。しかし道中、立ち寄った町は異様な熱気に包まれていた。広場には長蛇の列ができ、町の人々が目をぎらつかせて何かを待っている。列の先頭には小さな屋台があり、そこで飴細工や蜂蜜菓子が売られていた。


「みんな、甘いものばかり食べてる」

リリアが眉をひそめて言った。

「甘いもの以外、見向きもされていない。他の屋台は全部閉まってる」


確かに、魚屋も肉屋も野菜売りも店を畳み、広場には甘味だけが充満していた。町人たちは菓子をかじりながらも、その顔には満足の色がない。むしろ必死に甘さを追い求める、飢えた者の表情に近い。


「おじさん、この町はどうなってるんだ」

俺は列に並ぶ中年の男に尋ねた。

「……甘いものだけが、唯一の味なんだ。他の味は全部消えた。塩味も、酸味も、苦味も、うま味も。甘さだけが残った。最初は嬉しかった。でも——」

男は手にした飴玉を見つめながら、虚ろな声で続けた。

「甘いものばかり食べてると、だんだん何も感じられなくなる。舌が麻痺して、もっと強い甘さを求めるようになる。俺たちは——“甘味”に取り憑かれている」


アリシアが不安げに言った。

「師匠、これも甘い霧の影響でしょうか」

「おそらくな。甘味のバランスが完全に崩れている。他の味が消え、甘味だけが暴走しているんだ」

「祠はあるのか」

リリアが尋ねると、男は広場の奥を指さした。

「ある。町外れの丘に、古い祠が。でも——近づかないほうがいい。祠の周りは特に甘い匂いが強くて、気を失う者もいる」


俺は丘の上の祠を見上げた。壁は飴色に変色し、周囲の草はすべて枯れ、地面からは甘ったるい匂いが立ち上っている。祠の奥に、精霊がいるはずだ。甘味を司る精霊が、何かに狂わされている。


「行くぞ。甘味を正気に戻す」


祠の前は甘い霧で覆われ、一歩踏み入るだけで舌が甘さに痺れるほどだった。祠の奥には——小さな精霊がうずくまっていた。幼い少女の姿をしているが、その肌は飴のように透き通り、手からは黄金の蜜が滴っている。しかしその目は虚ろで、何かに取り憑かれたように笑い続けていた。


「甘い……もっと甘いものを……甘さだけが、世界の味……」

「甘味の精霊だ」

エルムが杖を掲げて言った。

「本来は甘味と他の味を調和させる役目を担っている。だが——甘い霧のせいで暴走している。甘味だけを増幅させ、他の味をすべて消し去ろうとしている」

「正気に戻すには」

「甘味を否定するのではなく、甘味と他の味を共存させなければなりません。しかし——彼女は今、甘味以外を受け付けない」


俺は祠の前に簡易竈を据え、持参した食材を並べた。蜂蜜の祠から分けてもらった西方の蜂蜜、無味砂漠の岩塩、東方の香草とアオサ、それから山で採れた苦味のある山菜。甘味だけの精霊に、他の味を受け入れさせるには——甘味の中に他の味を包み込む料理が必要だ。


「“調和の甘煮”を作る」


蜂蜜を弱火で溶かし、刻んだ山菜の苦味をゆっくりと煮含める。岩塩をほんのひとつまみ加え、甘味を引き締める。香草の清涼な香りが甘さに奥行きを与え、アオサの潮の風味が全体を包み込む。甘いだけではない。塩味、苦味、うま味、酸味——すべてが蜂蜜の中で溶け合い、一つの調和を生み出す。


鍋から立ち上る湯気は、甘ったるい霧を押しのけ、複雑で豊かな香りを広げていった。


「食え。これは甘い。でも——甘いだけじゃない」


器を精霊の前に差し出すと、精霊は虚ろな目でそれを見つめた。それから一口、口に運ぶ。その瞬間——彼女の目が大きく見開かれた。


「……甘い。でも——違う。苦い、しょっぱい、すっぱい——それなのに、全部が甘さと一緒に溶け合って——おいしい」

「他の味を思い出したか」

「……はい。私、ずっと甘いものだけを追いかけていた。他の味を忘れて——甘さだけが味だと思ってた。でも、違う。甘さは他の味と一緒にあるから、もっとおいしくなる」

「そうだ。甘味は孤独じゃない。他の味と共にあることで、初めて本当の味になる」


精霊は涙をこぼし、その滴が蜂蜜のように黄金に輝いた。祠の壁の飴色が溶け落ち、本来の石の色が戻り始める。周囲の甘い霧が晴れ、町の広場からも甘ったるい匂いが消えていく。


「——祠が、癒えた」

エルムが杖で祠の壁に触れ、深く息を吐く。

「甘味が正気に戻った。これでこの町の味覚も、時間と共に回復するだろう」


町に戻ると、広場の様子が一変していた。飴細工や蜂蜜菓子の屋台に代わり、塩味のスープや酸味の効いたサラダ、苦味の薬草茶を求める人々が列を作っている。甘味だけに飽き飽きしていた町人たちは、久しぶりの“甘くない味”に歓声を上げていた。


「これで三つの祠を癒したか」

リリアが言う。

「ああ。しかし——甘い霧はこれだけじゃない。おそらく他にも影響が出ている祠がある」

「次の祠はどこだ」

「エルム、地図を」

エルムが地図を広げ、次の目的地を指し示す。

「甘味の祠の他に、同じような症状の祠がもう二つ。酸味の祠と、苦味の祠です。これらも甘い霧の影響で暴走している可能性があります」

「酸味と苦味か。甘味で学んだことを活かせるな」


リクが言った。

「カズマさん、酸味の祠なら——俺の村の酢があります。東方の米酢です。これ、使えませんか」

「面白い。持ってきてくれ」

「はい!」

シノとアリシアも口々に言う。

「俺、卵かけご飯のタレを応用できるかもしれません」

「私は解毒スープの柑橘を活かします」


三人の弟子たちがそれぞれの知識を持ち寄り、次の祠への準備を始める。トシが扇子を広げて笑った。

「甘味、酸味、苦味——基本の味を全部巡るのか。これは面白くなってきた」

「ああ。そしてこの旅が終わる頃には——世界の味のバランスが、もう一度整うはずだ」


グーラも静かにうなずく。

「基本の味をすべて癒せば、甘い霧の正体にも近づけるかもしれん」

「急ごう。まだ味を失っている者がいる」


一行は次の目的地、酸味の祠へ向けて出発する準備を整えた。町人たちが感謝の言葉を叫ぶ中、リリアがふと言った。

「なあ、カズマ。甘味の精霊に食べさせたあの料理——ちょっと味見してみたい」

「あとでな。同じものを作る」

「約束だぞ」

「約束だ」


リクの東方の酢、アリシアの柑橘、シノの卵——それぞれの味が、次の祠でどんな調和を生むのか。甘い霧の正体を追いながら、屋台シェフの旅は続く。


(第75話 終)


▼ 次回予告(第76話用の引き)


酸味の祠を目指す一行は、かつて果樹園と酢蔵が立ち並んでいた地域へ到着する。しかし祠の精霊は暴走し、酸味がすべてを腐敗させる力に変わっていた。カズマは甘味で酸味を包み込む「甘酢の一品」を作り始める。

(次話:「酸味の祠」)

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