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(完了) 元マフィア、異世界で屋台を始める   作者: 星海凡夫


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第71話「東からの少年」


祭りの余韻がようやく薄れた朝、屋台は普段通りの賑わいを取り戻していた。


焼きおにぎりの醤油が焦げる香ばしい匂い、味噌汁の湯気、卵焼きの甘い香り——それらが混ざり合い、市場の空気を満たしている。常連客たちが思い思いの席につき、戦士たちが手際よく注文を捌き、将軍が粥の鍋を見守り、アリシアとシノが調理場で包丁を握っていた。


「師匠、今日の卵焼き、少しだけ砂糖を控えてみたんですが」

シノが一切れを差し出す。

「どれ」

一口かじる。甘さは控えめだが、出汁のうま味が引き立っている。

「悪くない。でも、あとほんの少しだけ塩を足せ。甘みが引き締まる」

「はい!」

「アリシア、解毒スープの方は」

「柑橘の皮をもう少し薄く削ってみました。香りが強くなりすぎないように」

「いい判断だ。そのまま続けろ」


リリアがカウンターに座って茶をすすりながら、俺と弟子たちのやりとりを眺めている。

「あんた、最近弟子に任せすぎじゃないか」

「いいんだ。教えたことは自分で試せ。それに——」

「それに」

「俺が全てを作る必要はない。この屋台は、もう俺だけの場所じゃない」


リリアは少しだけ笑い、茶を一口すすった。彼女の弓はいつも通りカウンターの隅に立てかけてある。ここが彼女の居場所であることを示すように。


そこへ、広場の入口に人影が立った。


年の頃は十代の半ば——まだ幼さの残る顔立ちだが、その目だけは異様な輝きを放っている。着ているものは東方の民族衣装で、麻の生地が旅の汚れにまみれ、裾はほつれ、靴はすり減っていた。背には大きな風呂敷包みを背負い、手には——ボロボロの鉄鍋が握られている。


少年はまっすぐに屋台へ歩いてきた。迷いのない足取りだった。


「——カズマさん」

声はかすれていたが、意志が宿っている。

「俺、あなたの弟子になりたいんです」


広場が静まった。リリアが茶碗を置き、シノとアリシアが包丁を止め、将軍が鍋から顔を上げる。ゴルドアとマクシミリアンは無言で少年を見守り、ヴァルケンと戦士たちも手を止めた。


「名前は」

「リクといいます。東の端の漁村から来ました」

「随分遠くから来たな。なぜ俺のところに」

「九つの祠を料理で癒した“屋台シェフ”の噂を聞きました。俺の村は——味が消えて、みんな飢え死にしかけました。でも、祠が癒された後、少しずつ魚の味が戻ってきた。あなたが世界の味を取り戻した。だから——」

「だから、料理を学びたい」

「はい。俺、まだ何も作れません。村では漁を手伝うだけで、料理は母さんがやってた。でも、母さんは——」

少年は言葉を切り、鍋を握り直した。その指の関節は白くなっていた。

「流行病で、去年、死にました。母さんが最後に作ってくれたのは、ただの魚の味噌汁でした。でも——あの味を、もう一度自分で作りたい。そして、他の誰かにも食べてもらいたい」


その言葉に、シノがはっと顔を上げた。彼の目が揺れている。自分と重ねているのだろう——母を亡くし、母の味を再現したいと願う少年。それは、かつて包丁一本で屋台に立ったシノ自身の姿だった。


「いいだろう」

俺は静かに言った。

「ただし、弟子は二人いる。お前は三番目だ」

「……三番目」

「嫌か」

「嫌じゃないです!ありがとうございます!」


少年——リクは深々と頭を下げた。その拍子に背負った風呂敷包みがほどけ、中から無数の乾物や貝殻や見慣れぬ香辛料がばらばらとこぼれ落ちる。東方の海の幸だろうか。どれも見たことのない食材ばかりだった。


「なんだこれ」

「村で採れるものです。持ってきました。弟子入りのお礼に——」

「面白いな」

俺は乾物の一つを手に取り、匂いを嗅ぐ。潮の香りと、かすかな甘み。これは使える。

「まずはこれを調理しろ。お前の一番得意なものを作れ」

「でも——俺、まだ何も」

「失敗してもいい。最初の一歩だ。客に出すわけじゃない。自分が食いたいものを作れ」


リクは鍋を握り直し、まな板の前に立った。その手つきは覚束なく、包丁を握る手も震えている。刻んだ野菜は不揃いで、火加減も定まらない。それでも——彼は必死だった。母の味を思い出そうとするように、目を閉じて香りを嗅ぎ、塩加減を確かめ、何度も何度もやり直す。


彼が完成させたのは——魚の味噌汁だった。


具は干し魚と、東方の香草、それから海藻の乾物。見た目は決して美しくない。魚の身は崩れ、汁は少し濁っていた。だが、湯気と共に立ち上る香りは——確かに、潮の香りと味噌の甘さが混ざり合った、優しい匂いだった。


「できた。おふくろの味噌汁——まだ、うまくできないけど」

「食わせろ」


俺は一口すする。塩が少し強い。魚の生臭さが少し残っている。香草の苦味が強すぎる——だが。

「……うまいよ」

「え」

「母さんの味噌汁の味がする。まだ粗削りだが——それは、お前にしか作れない味だ」

「でも、まだ全然——」

「練習しろ。魚の下処理は将軍に教われ。香草の分量はアリシアが詳しい。出汁の取り方はグレゴールだ」

「……はい!」


リクの目から涙がこぼれた。彼は鍋を胸に抱き、声を押し殺して泣き始める。その姿に、シノがそっと近づいた。


「リク、だっけ」

「……はい」

「俺も、母さんの料理を一度も食べてもらえなかった。でも、今はこうして師匠やみんなが食べてくれる。お前も、これから練習すれば、もっとうまくなる」

「……ありがとう」

「兄弟子だ。わかんないことがあったら聞け」

「はい、兄弟子!」


その言葉を聞いて、アリシアがくすりと笑った。

「シノも、もう立派な兄弟子ですね」

「え、あ、いや、そんな——」

「照れるなよ」

リリアが茶をすすりながら呆れたように言う。

「弟子が増えたな。これで三人目だ」

「まだまだ増えるかもしれない」

「そうなったら、屋台を広げるのか」

「広げるだけさ」


夕暮れ、店仕舞いをした後、リクは井戸端で必死に鍋を磨いていた。母の形見の鍋だという。磨きながら、時折すすり泣く声が聞こえる——泣きながらも、前に進もうとしている証拠だった。


「なあ、カズマ」

リリアが隣に立つ。

「あの子、シノとよく似てるな」

「ああ。母を亡くして、母の味を追いかけてる」

「でも、シノがいるから大丈夫だろ。兄弟子として張り切ってる」

「ああ。弟子同士で教え合うのはいいことだ。俺だけでは教えきれん」


アリシアも加わり、三人の弟子たちが井戸端で何やら話し込んでいる。これから彼らは、互いに切磋琢磨しながら成長していくだろう。ライバルであり、仲間であり——家族になっていく。


「ところで、あの東方の食材——面白かったな」

リリアが言う。

「ああ。魚の乾物と海藻の乾物。それから見慣れぬ香辛料。あれを使えば、新しいメニューが作れるかもしれない」

「もう考えてるのか」

「料理人だからな」


トシが姿を現し、扇子を広げて言った。

「東方の食材か。俺もまだ知らない味だ。今度、リクの村に行ってみるか」

「いずれな。でも、今はここで基礎を教える」

「だな。弟子が増えて、屋台も賑やかになるな」

「ああ」

「それで——お前、いつまで独り身でいるつもりだ」


俺は答えず、炭火を見つめた。リリアも何も言わず、ただ静かに茶をすすっている。アリシアは井戸端で弟子たちと笑い合っている。


「余計なお世話だ」

「まあ、そう言うと思ったよ」


トシは笑いながら扇子を閉じ、夜の市場へと消えていった。


遠くで鐘が鳴る。三人の弟子、三人の戦士、将軍、グレゴール、エレナ、ゴルドア、マクシミリアン、ギリアム、そして神々と獣たち——かつて一人で立っていた屋台は、今や誰かの帰る場所になっていた。


明日からまた、新しい味を作る。東方の食材を活かし、弟子たちの成長を見守りながら——屋台シェフの日常は続いていく。


(第71話 終)


▼ 次回予告(第72話用の引き)


リクが弟子入りして三日、屋台に東方の食材を使った新メニューが並び始めた。しかしそこへ——リクの故郷から、思いがけない知らせが届く。

「リク、お前の村に——“味喰い”が出た」

(次話:「東の漁村」)



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