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(完了) 元マフィア、異世界で屋台を始める   作者: 星海凡夫


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第42話「捧げる一皿」



ゴルドアの通告から一夜明け、王都は静かな緊張に包まれていた。


戦神が三日後に親征する——その報せは、すでに王宮から市場の隅々まで行き渡っている。市民たちは不安げに空を見上げ、商人たちは万が一に備えて荷をまとめ始め、冒険者ギルドには避難経路を問い合わせる者が増えていた。


しかし、俺の屋台はいつも通りに開いている。


「焼きおにぎり二つ、味噌汁付きで」

「あいよ」

「カズマさん、戦神が来るってほんとですか」

「ほんとだ」

「なのに、なんでいつも通りに」

「戦神が来ようが、腹は減る。それだけだ」


常連客たちは苦笑いしながらも、いつも通りの焼きおにぎりを受け取っていく。不安はある。だが——屋台が開いている限り、日常は続く。それだけで、少しだけ安心するのだろう。


しかし、俺自身は——まだ答えを見つけられずにいた。


「捧げる一皿」、か。相手は戦神。味を無駄と断じ、グーラとトシの最高の料理を一口で拒絶した神。そんな相手に、何を作ればいいのか。奇抜な味か、高級な食材か、奇跡のバフか——どれも違う気がする。どれも、戦神には届かない気がする。


俺は炭火を見つめながら、包丁を研ぐ手を止めなかった。考えがまとまらない時は、手を動かすに限る。


アリシアとシノは、早朝から厨房に立っていた。二人とも真剣な顔で、それぞれの課題に取り組んでいる。


シノは卵を割りながら言った。

「俺、やっぱり卵かけご飯を極めたいです。でも、戦神様に卵かけご飯だけってわけにも——」

「なぜだ」

「え」

「卵かけご飯はお前の原点だ。それを極めれば、それだけでいい」

「……はい!」


アリシアは味噌汁の鍋をかき混ぜながら、少し悩んだ顔で言った。

「師匠。私は——解毒スープを作ろうと思います」

「解毒スープ」

「はい。エレナさんに教わりました。私はかつて毒に苦しみ、味覚を失いました。でも、今はこうして料理を作れている。その経験を、スープに込めたい」

「いい考えだ。お前にしか作れないスープだ」

「ありがとうございます」


そこへ——思いがけない客が現れた。


屋台の前に立ったのは、鋼鉄の鎧を脱いだ一人の男だった。年の頃は四十代、無表情に刻まれた傷跡、灰色の目——マクシミリアン。戦神の右腕と呼ばれた将軍神が、今日は武装を解き、一人の旅人の姿で立っている。


「カズマ殿」

「マクシミリアン。どうした。まさか、もう一度接収に来たのか」

「違う。今日は——」

彼は深く息を吸い、それからまっすぐに俺を見た。

「戦神に捧げる料理——私にも、一品作らせてほしい」


広場が静まった。リリアが顔を上げ、グレゴールが手を止める。ヴァルケンと戦士たちは驚愕の表情で元上官を見つめていた。


「……将軍が、料理を」

「ああ。私は半生を戦に捧げ、料理など作ったことがない。だが——この前、お前の粥を食って、思い出した。私は元々、母の粥を食って育った人間だった。そして——いつか、誰かのために粥を作りたいと思っていた」

「それで」

「戦神に捧げる一皿——その一部に、私の粥を加えてほしい。戦神は私の主君。その主君に、私の手で料理を捧げたい。そして——主君にも、味を思い出してほしい」


俺はしばらく彼の目を見つめてから、包丁を置いた。

「いいだろう。ただし、料理は初めてだな」

「ああ。包丁すら握ったことがない」

「なら、まず米を研げ。そこからだ」

「……よろしく頼む」


マクシミリアンは井戸端で、桶に手を入れ、米を研ぎ始めた。冷たい水に手を震わせながら、それでも彼は真剣な顔で米を研いでいる。その姿は、かつて戦場で無敵を誇った将軍神とは思えなかった。


「……マクシミリアン様が米を研いでいる」

ヴァルケンが呆然と呟く。

「あの、マクシミリアン様が」

「お前も手伝え」

「へ」

「米はたくさん要る。一緒に研げ」

「……はい!」


結局、ヴァルケンと戦士たちも米研ぎに参加し、屋台の厨房はかつてない賑わいになった。




午後、仕込みを続けながら、俺はふと顔を上げた。


「グレゴール」

「なんだ」

「あんたも、作るか」

「……私が」

「聖餐庁の元・筆頭調理官だ。一皿、作れるはずだ」

「私は——料理を捨てた身だ」

「もう捨ててない。ここで毎日、出汁を取ってる」

「……そうだな」


グレゴールはしばらく沈黙し、それから静かにうなずいた。

「では、私は——聖餐庁で最も古いレシピ、“祝祭のスープ”を作ろう。かつて神に捧げるために作られた、教会最古の一皿だ」

「神に捧げるスープ」

「ああ。カズマ——いや、師よ。私も、あなたに教わった。料理は誰かのために作るものだと。その教えを、このスープに込める」


エレナが無言で手を挙げた。

「私も」

「エレナ」

「毒味役だった私が作れるのは、解毒のサラダだけです。でも——それで、誰かの毒を抜けるなら」

「いいだろう」


リリアが立ち上がった。

「じゃあ、私は焼きおにぎりな」

「リリア」

「何度も言わせるな。私はあんたの焼きおにぎりを、一番最初に食った常連だ。戦神にだって、焼きおにぎりの味を教えてやる」

「……そうか」


ギリアムと将軍が顔を見合わせた。

「俺は何を作ればいい」

「私もだ。料理の経験は、粥しかない」

「二人は——警備だ」

「警備」

「ああ。戦神が来る当日、この屋台と王宮の警護を頼む。料理だけに集中したい」

「……わかった」

「任せろ」




夕暮れ、俺は一人で調理台に向かっていた。


戦神に捧げる一皿——その中心となる料理。それが何か、まだ決まっていない。


粥か、焼きおにぎりか、味噌汁か、それともまったく別の何かか。俺はこれまで、多くの料理を作ってきた。母の味噌汁を思い出し、将軍に粟粥を作り、美食教団に白いご飯を食べさせ、毒味役にふぐ刺しを振る舞い、戦神の先遣隊に夜明け粥を出した。そのすべてが、相手の「飢え」に合わせた料理だった。


ならば——戦神の「飢え」とは、なんだ。


味を無駄と断じ、食を戦力と見なす神。そいつが本当に飢えているものは——もしかすると、味そのものではないのかもしれない。戦神は、誰かのために料理を作ってもらったことがないのではないか。誰かのために食卓を囲んだことがないのではないか。


「……わかった」


俺は顔を上げ、炭火をかき立てた。戦神に捧げる一皿——それは、俺だけの料理ではない。この屋台に集まったすべての者の、すべての味を一つの料理にまとめたものだ。


マクシミリアンの粥、アリシアの解毒スープ、シノの卵かけご飯、グレゴールの祝祭スープ、エレナの解毒サラダ、リリアの焼きおにぎり——それらすべてを、俺の料理で包み込む。


「カズマ、決まったか」

トシがそっと姿を現した。

「ああ。名前は——“戦神に捧げる、屋台のすべて”」

「長いな」

「いいんだ。大事なのは、ここに集まったすべての者の味を、一つの料理にすることだ」


「それで戦神が満足するか」

「わからん。だが——これが、俺たちの答えだ」


トシは扇子を広げて笑った。

「いいね。じゃあ、俺と兄貴は味の監修をするよ。神の料理人たちの味を、ちゃんと引き継いでるか——見てやる」

「頼む」




夜、屋台に集まった全員が、それぞれの持ち場で仕込みを続けていた。


マクシミリアンが米を研ぎ、アリシアが解毒スープを煮込み、シノが卵を割り、グレゴールが祝祭スープの出汁を取り、エレナがサラダの野菜を刻み、リリアが焼きおにぎりの網を見張る。ギリアムと将軍は屋台の周りを巡回し、ヴァルケンと戦士たちは市場の警護にあたっている。


カウンターの隅では、トシとグーラが無言で味見をし、シロガネとクロとガルムが気配を消して見守っている。


「師匠」

アリシアが声をかけてきた。

「あと二日ですね」

「ああ」

「怖くないですか」

「怖い。だが——怖いからこそ、飯を作る。それだけだ」


アリシアはうなずき、解毒スープの鍋に戻った。


俺は夜空を見上げた。冬の星が、冷たく輝いている。あと二日——それまでに、すべての料理を完成させなければならない。


戦神に捧げる、屋台のすべて。それが、今まで出会ったすべての客と、この世界で生き抜いてきた日々の証になる。


(第42話 終)




▼ 次回予告(第43話用の引き)


戦神に捧げる料理の仕込みが続く中、屋台に一人の男が姿を現した。

「カズマ。戦神に捧げる一皿——そのために来た」

現れたのは、ゴルドア。戦神の先触れが、なぜか武装を解き、一人の料理人として立っていた。

(次話:「告げ人の真意」)

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