第112話「アリシアの二つの道」
戴冠式から一月が過ぎ、アリシアは王女としての公務と料理人としての修業を、驚くほどの熱意で両立させていた。朝は王宮で執務をこなし、午後には調理服に着替えて二号店の厨房に立つ。時には侍従長のマルグリットが心配そうに様子を見に来ることもあったが、アリシアの顔を見るたびに「王女様は以前よりずっと生き生きなさっている」と微笑んで帰っていく。
「アリシアさん、今日の養生スープ、さっきの常連さんが『飲むと心が軽くなる』って言ってました」
サジョウが片付けをしながら声をかけると、アリシアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう。でも、このスープは私だけのものじゃない。師匠や、皆さんの教えが詰まっているから」
「それでも——作り続けているのはアリシアさんです」
「……そうね。作り続けることが、私の道だと思う」
午後、アリシアは本店の屋台に顔を出した。カウンターの隅で、リリアがいつものように茶をすすっている。
「リリアさん、今日は王宮から新しい茶葉を分けてもらいました。よかったら」
「お、ありがたい。さっそく淹れさせてもらう」
リリアが茶葉を受け取りながら、少しだけアリシアの顔をじっと見た。
「なんだか、顔つきが変わったな。前よりずっと——柔らかくなった」
「そうでしょうか。自分ではあまり」
「ああ。前は、何かにつけて気を張ってた感じだった。でも今は、肩の力が抜けてる。それがいい」
「……ありがとうございます」
アリシアは少しだけ目を伏せ、それから顔を上げて言った。
「リリアさん——私、王女として国を治めることも、料理人として誰かのために作ることも、どちらも私の道だと思うんです。そしてそれは、あなたがいてくれたから選べた」
「私は何もしてない」
「いいえ。あなたがここにいて、誰よりも長く師匠の隣で屋台を守ってきた。その姿があったから、私も自分の道を選べた。だから——本当に、ありがとう」
「……そうか」
リリアは茶の湯気を見つめ、少しだけ口元を緩めた。それから立ち上がり、アリシアの肩を軽く叩く。
「あんたも、もう一人前だな」
「はい」
「でも、まだまだ私には敵わないだろ」
「ふふ——そうかもしれません」
アリシアが微笑み、リリアもまた、口元を緩める。二人の間には、もはや言葉はいらなかった。
夕暮れ、本店のカウンターに全員が集まった。将軍が両店舗の粥の在庫を確認し、グレゴールとエレナが新作の漬物を甕から取り出す。シノは弟子の子供たちの今日の成果を嬉しそうに語り、リクは東方から届いた新しいアオサの出来を検分していた。サジョウは明日の仕込みをしながら、時折、皆の話に耳を傾けて微笑んでいる。
アリシアが本店の厨房に立ち、養生スープの最後の一杯をよそいながら言った。
「師匠——私はこれからも、ここに立ち続けます。王女としてではなく、一人の料理人として、誰かのために作り続ける。それが、私の選んだ道です」
「ああ。お前なら大丈夫だ」
「はい」
リリアが茶をすすりながら言った。
「どっちも選ぶとはな。欲張りだな」
「リリアさんも、弓と茶と——両方でしょう」
「……まあな」
夜が更けて、市場に静けさが戻る。本店の灯りと二号店の灯りが、王都の夜を静かに照らしていた。明日もまた、誰かのために料理を作る日常が続く——アリシアはその両方の道を、自分の足で歩き続ける。
(第112話 終)




