第110話「変わらぬ味、変わりゆく日々」
二号店が軌道に乗り、王都の日常はすっかり落ち着きを取り戻していた。本店の屋台にも二号店にも常連客が途切れることなく通い、弟子たちはそれぞれの持ち場で腕を磨き続けている。将軍の粥は両店舗で人気を二分し、ヴァルケンたち戦士も今では一人前の料理人として、新たに加わった見習いの指導にあたっていた。
そんなある日、俺は久しぶりに本店の厨房に立ち、朝の仕込みをしていた。炭火を起こし、焼きおにぎりを網に並べる。醤油の焦げる香ばしい匂いが市場に広がり、常連客たちが「今日もこれだな」と笑顔で集まってくる。
「カズマさん、最近弟子に任せきりだったのに、今日は自分で握るのか」
「たまにはな。原点を忘れないための、自分のためのまかないだ」
「まかないって、客に出すのかよ」
「いいだろ。今日は特別価格だ」
リリアが茶をすすりながら、呆れた顔で言った。
「特別価格って、いつもより高いんじゃないか」
「気のせいだ」
そこへシノが二号店から顔を出し、サジョウとリクも続く。アリシアは王宮の公務を終えて、いつもの調理服に着替えて現れた。
「師匠、二号店のほうも落ち着いてきました。新メニューの試作を始めたいんですが」
「いいだろう。どんな料理だ」
「卵かけご飯の応用で、東方のアオサと山菜を混ぜ込んだ——“春風の卵かけご飯”です」
リクが鉄鍋を抱えて叫ぶ。
「それ、俺も試してみたいです!潮騒の味噌汁と合わせたらどうかなって」
「面白いな。やってみろ。サジョウは」
「私は——まだ一人では。でも、皆さんの試作の味見役なら」
「それも大事な役目だ。味見ができる舌は、それだけで立派な武器だ」
サジョウは深くうなずき、包丁を握り直した。
午後、アリシアとリリアが二人で二号店の隅に座っている姿を、俺は遠くから見かけた。何を話しているのかは聞こえない。しかし、アリシアが微笑み、リリアが少し照れくさそうに茶をすする——そんな光景が、今では当たり前になっている。
夕暮れ、本店のカウンターに全員が集まった。将軍が両店舗の粥の出来を報告し、グレゴールとエレナが新作の漬物を披露し、ヴァルケンたちが明日の仕込みの相談をする。弟子たちはそれぞれの新メニューの試作に余念がなく、リリアはいつもの席で弓の手入れをしていた。
「なあ、カズマ。屋台も二号店も、ずいぶん大きくなったな」
「ああ。でも、本質は変わらない。腹を空かせた客に、誰彼かまわず飯を食わせる。それだけだ」
「それだけで世界が回ってるんだから、大したもんだ」
「……そうだな」
リリアは少しだけ微笑み、弓を置いて立ち上がった。去り際、一度だけ振り返り、何か言いたそうな目をしたが——結局、何も言わずに宿へ戻っていった。
夜が更けて、市場に静けさが戻る。屋台の灯りは今日も消えず、明日への仕込みが静かに続いていた。明日もまた、明後日もまた——腹を空かせた誰かのために、この灯りはともり続ける。
(第110話 終)第110話「変わらぬ味、変わりゆく日々」
二号店が軌道に乗り、王都の日常はすっかり落ち着きを取り戻していた。本店の屋台にも二号店にも常連客が途切れることなく通い、弟子たちはそれぞれの持ち場で腕を磨き続けている。将軍の粥は両店舗で人気を二分し、ヴァルケンたち戦士も今では一人前の料理人として、新たに加わった見習いの指導にあたっていた。
そんなある日、俺は久しぶりに本店の厨房に立ち、朝の仕込みをしていた。炭火を起こし、焼きおにぎりを網に並べる。醤油の焦げる香ばしい匂いが市場に広がり、常連客たちが「今日もこれだな」と笑顔で集まってくる。
「カズマさん、最近弟子に任せきりだったのに、今日は自分で握るのか」
「たまにはな。原点を忘れないための、自分のためのまかないだ」
「まかないって、客に出すのかよ」
「いいだろ。今日は特別価格だ」
リリアが茶をすすりながら、呆れた顔で言った。
「特別価格って、いつもより高いんじゃないか」
「気のせいだ」
そこへシノが二号店から顔を出し、サジョウとリクも続く。アリシアは王宮の公務を終えて、いつもの調理服に着替えて現れた。
「師匠、二号店のほうも落ち着いてきました。新メニューの試作を始めたいんですが」
「いいだろう。どんな料理だ」
「卵かけご飯の応用で、東方のアオサと山菜を混ぜ込んだ——“春風の卵かけご飯”です」
リクが鉄鍋を抱えて叫ぶ。
「それ、俺も試してみたいです!潮騒の味噌汁と合わせたらどうかなって」
「面白いな。やってみろ。サジョウは」
「私は——まだ一人では。でも、皆さんの試作の味見役なら」
「それも大事な役目だ。味見ができる舌は、それだけで立派な武器だ」
サジョウは深くうなずき、包丁を握り直した。
午後、アリシアとリリアが二人で二号店の隅に座っている姿を、俺は遠くから見かけた。何を話しているのかは聞こえない。しかし、アリシアが微笑み、リリアが少し照れくさそうに茶をすする——そんな光景が、今では当たり前になっている。
夕暮れ、本店のカウンターに全員が集まった。将軍が両店舗の粥の出来を報告し、グレゴールとエレナが新作の漬物を披露し、ヴァルケンたちが明日の仕込みの相談をする。弟子たちはそれぞれの新メニューの試作に余念がなく、リリアはいつもの席で弓の手入れをしていた。
「なあ、カズマ。屋台も二号店も、ずいぶん大きくなったな」
「ああ。でも、本質は変わらない。腹を空かせた客に、誰彼かまわず飯を食わせる。それだけだ」
「それだけで世界が回ってるんだから、大したもんだ」
「……そうだな」
リリアは少しだけ微笑み、弓を置いて立ち上がった。去り際、一度だけ振り返り、何か言いたそうな目をしたが——結局、何も言わずに宿へ戻っていった。
夜が更けて、市場に静けさが戻る。屋台の灯りは今日も消えず、明日への仕込みが静かに続いていた。明日もまた、明後日もまた——腹を空かせた誰かのために、この灯りはともり続ける。
(第110話 終)




