第108話「広がる場所」
東市場の屋台は、ここ数週間で見違えるほど賑わうようになっていた。戴冠式の祝賀ムードが冷めやらぬ王都に、遠方からの旅人や商人が集まり、彼らが口々に「伝説の屋台シェフ」の噂を語る。おかげで広場には今日も長蛇の列ができ、将軍の粥もヴァルケンたちの味噌汁も昼前には売り切れる始末だった。
「師匠、卵かけご飯の卵がもう底をつきました!」
シノが叫ぶ。
「今日の分は終わりだ。明日また仕入れ直す」
「はい!すみません、お客さん——」
「いいっていいって。明日また来るよ。弟子の卵かけご飯、楽しみにしてるからな」
常連客が笑顔で手を振り、他の客たちも「じゃあ明日」と言いながら散っていく。
サジョウが粥の鍋を片付けながら、少し困った顔で言った。
「カズマ殿——最近、昼前に売り切れることが増えました。材料も、もう少し多めに仕入れないと」
「ああ。だが、屋台の厨房はもう限界だ。これ以上は収まらん」
「じゃあ——」
リリアが茶をすすりながら言った。
「屋台を広げるのか」
「広げるか、それとも——」
そこへ、ヴィオラが息を切らせて駆けつけた。手には一通の封書が握られている。
「カズマ!いい知らせだ。食糧庁から、屋台の隣の区画を借り受けられることになった。以前から申請してた拡張用地の件だ」
「拡張用地」
「ああ。広場の隣、空き店舗だった場所を改装して、屋台の二号店として使える。厨房も広くなるし、席も増やせる。どうだ」
「ありがたい。シノ、サジョウ——お前たちもそれでいいか」
「はい!厨房が広くなるなら、もっと卵かけご飯が作れます!」
「私も——もっと練習できる場所が欲しかったので、嬉しいです」
アリシアが静かに微笑んだ。
「では、二号店の開店準備は私たち弟子が中心で進めましょう。シノが兄弟子として采配を振るうのがいいと思います」
「俺が——」
「はい。あなたは最初の弟子です。師匠の味を一番長く見てきた。だからこそ、新しい場所を任せられる」
「……わかりました。俺、頑張ります」
将軍が無言でうなずき、グレゴールとエレナは早速、二号店の厨房設計の相談を始めた。ゴルドアとマクシミリアンは改装工事の警備と資材調達を申し出る。ヴァルケンたちも新しい席の設営に協力するという。
「よし——では、二号店の開店は来週を目処に。それまでは今まで通りここで営業するぞ」
「はい、師匠!」
夕暮れ、屋台の灯りがともる頃——ふと、広場の入口に見慣れた影が立った。
「リク——!」
サジョウが叫ぶと、旅装束に身を包んだリクが、照れくさそうに笑って立っていた。手には母の鉄鍋が握られている。その後ろには、故郷の漁村から持ってきたらしい干し魚やアオサの大袋が積まれている。
「ただいま戻りました。師匠、みなさん」
「おかえり。村の屋台はどうした」
「はい、村長と弟分に任せてきました。まだ始めたばかりですが——村の人たちは喜んでくれてます。それで——」
「それで」
「こっちにも、定期的に食材を届けに来たいんです。村で採れた魚やアオサを、ここの厨房で使ってほしくて」
「いいだろう。ついでに、二号店の開店準備も手伝え」
「二号店!?すごい!はい、もちろん手伝います!」
リクが飛び上がって喜ぶ姿に、サジョウがほっとした顔で微笑み、シノが「兄弟子としてしっかり指導するからな」と腕まくりをする。
リリアが茶をすすりながら言った。
「弟子が増えて、店も広がって——どんどん大きくなるな」
「ああ。でも、本質は変わらない。腹を空かせた客に、誰彼かまわず飯を食わせる。それだけだ」
「それだけで世界が回ってるんだから、大したもんだ」
「……そうだな」
夜が更けて、市場に静けさが戻る。しかし屋台の灯りは今日も消えず、二号店の開店準備が静かに進められていた。
(第108話 終)




