第104話「弟子たちの未来」
朝の市場に、リクとサジョウの姿があった。二人は開店前の屋台で、今日のまかないの準備をしている。リクは母の鉄鍋で味噌汁を炊き、サジョウは将軍の粥の盛り付けを練習していた。
「サジョウさん、その粥、いい感じです」
「ありがとう。まだ、味見をしてもらうのが怖いけど」
「大丈夫ですよ。俺も最初はそうでした」
そこへ常連客の一人が早くも顔を出した。
「お、今日はサジョウの粥か?楽しみだな」
「あ、はい——どうぞ」
サジョウは緊張した面持ちで器を差し出す。常連客が一口すすると、目を丸くした。
「おお——うまいじゃないか。塩加減がちょうどいい」
「……ほんと、ですか」
「ああ。また頼むよ」
サジョウは深く頭を下げ、涙をこぼしそうになるのを必死にこらえた。彼女が初めて一人で作り、初めて誰かに「うまい」と言われた粥だった。
リクが自分の味噌汁の鍋をかき混ぜながら、少し照れくさそうに言った。
「俺、来週、村に一度帰ろうと思ってます」
「村に」
サジョウが顔を上げる。
「はい。村長さんから手紙が来て、味が戻ったからぜひ戻ってきてほしいって。それで——」
「それで」
「村に小さな屋台を開きたいんです。師匠に教わったことを活かして、村の人たちに温かい料理を作りたい」
「リクも、もう一人前だな」
リリアが茶をすすりながら言った。
「まだまだです。でも——俺の味を待ってくれている人がいるなら、行きたい」
「そうか。師匠には言ったのか」
「これからです」
リクは母の鉄鍋を抱え、屋台の奥に立つ俺の前に来た。
「師匠——俺、村に戻って屋台を開きたいんです」
「ああ。いいだろう」
「はい。でも——必ず、ここに戻ってきます。ここは俺のもう一つの故郷ですから」
「いつでも帰って来い。ここには、いつでもお前の席がある」
「……ありがとうございます」
リクは深く頭を下げ、鉄鍋を抱え直した。その目は、初めて弟子入りした時の不安げな少年のものではない。自分の味を信じ、誰かのために料理を作りたいと願う一人前の料理人の目だった。
夕方、屋台を閉めた後、サジョウが一人、カウンターに残っていた。手には小さな包丁が握られている。
「カズマ殿——私、今日初めて、自分の料理で誰かに『うまい』と言ってもらえました」
「ああ。聞いてたぞ」
「私——料理人になれて、よかった」
「まだだ。これからも修行は続く」
「はい。でも——私はもう、自分の味を怖がらない。残香の力がなくても、私にしか作れない味がある。そう思えるようになりました」
「それで十分だ」
サジョウは深く一礼し、包丁を胸に抱いて宿へと帰っていった。
夜、カウンターで一人、明日の仕込みをしていると、リリアがふらりと現れた。
「まだ起きてたのか」
「あんたこそ」
「眠れなくてな」
彼女はいつもの席に座り、茶を一口すする。
「リクが村に帰って、サジョウも一人前になり始めて——みんな、少しずつ旅立っていくな」
「ああ。でも、それでいい。弟子は出て行くものだ」
「寂しくないか」
「寂しくないと言ったら嘘になる。でも——ここに残る者もいる」
「……そうだな」
リリアはしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「私は、ずっとここにいるよ」
「ああ。わかってる」
「弓を置くつもりはない。でも——戦うだけが私の役目じゃない。ここを守ることも、誰かのためにいることも、私の役目だ」
「……ああ」
「だから——これからも、よろしく頼む」
「こちらこそ」
リリアは少しだけ微笑み、茶碗を置いて立ち上がった。去り際、一度だけ振り返り、何か言いたそうな目をしたが——結局、何も言わずに宿へ戻っていった。
カウンターの隅には、トシが置いていった小さな扇子が、かすかに風に揺れている。
明日もまた、日常が続く。少しずつ変わりながら、それでもここは変わらずに——腹を空かせた誰かのために、この屋台は開き続ける。
(第104話 終)




