第103話「日常の再開」
氷の権能が去り、世界の味が完全に戻った王都は、数日前とは見違えるような活気に包まれていた。
東市場の屋台には、夜明け前から長蛇の列ができている。氷の異変が収まったことを聞きつけた常連客たちが「待ってました」とばかりに詰めかけ、さらに遠方からの旅人や商人も加わって、広場はちょっとした祭りのような賑わいだった。
「焼きおにぎり三つ、味噌汁大盛り!」
「将軍の粥はまだか!」
「弟子の卵かけご飯、今日は食えるんだろ!?」
「養生スープも頼む!」
俺は炭火をかき立てながら、次々に注文をさばいていく。リリアが茶をすすりながら呆れた顔で言った。
「忙しすぎて、休む暇もないな」
「いいんだ。これが屋台の日常だ」
「あんたらしいな」
弟子たちもそれぞれの持ち場で奮闘していた。シノは卵かけご飯の卵黄が美しく輝くようになり、アリシアの養生スープは常連客から「飲むと一日が軽くなる」と評判だ。リクは東方潮騒の味噌汁をさらに改良し、サジョウはまだ包丁の手つきが覚束ないながらも、将軍の粥の盛り付けを手伝いながら笑顔を見せている。
「サジョウさん、その粥の器、もう少し真ん中に」
「こう、でしょうか」
「そうです!いい感じです!」
シノが指導し、サジョウがこくりとうなずく。彼女の作る料理はまだ一人前とは言えないが、それでも誰かのために作る喜びを、彼女は確かに噛みしめていた。
将軍は無言で粥の大鍋をかき混ぜ、グレゴールとエレナは新作の漬物の相談をしている。ヴァルケンと戦士たちはテキパキと客の案内をこなし、ゴルドアとマクシミリアンは市場の見回りに出かけていた。
昼前、ヴィオラが息を切らせて駆けつけた。
「カズマ!食糧庁からの正式な通達だ。世界の味の完全復活が確認された。これで大陸中の食糧流通も正常化する。長官がどうしても礼を言いたいと言ってる」
「いらん。礼より、腹を空かせた客に飯を食わせるだけだ」
「……あんたらしいな」
ヴィオラは苦笑いしながら焼きおにぎりを一つ注文し、かぶりついた。
「うまい。これが、平和の味だな」
「平和の味なんて大げさだ。ただの焼きおにぎりだ」
「それがいいんだよ」
午後、アリシアが少し改まった様子で俺の前に立った。
「師匠。私——明日、王宮で正式に王位継承の手続きを進めることになりました」
「そうか」
「でも、料理は続けます。週の半分は城で公務、半分はここで料理を作る。侍従長たちも了承してくれました」
「いい決断だ」
「師匠のおかげです。どちらか一方を選ぶ必要はないと教えてくれたから——私は両方を選べた」
「俺は何もしてない。決めたのはお前だ」
アリシアは少しだけ目を潤ませ、深く一礼した。その背中を見送りながら、リリアが茶をすすった。
「王女であり料理人か。忙しくなるな」
「ああ。でも、あいつなら大丈夫だ」
「そうだな」
夕暮れ、屋台の灯りがともる頃——見知った二つの気配が、ふわりとカウンターの隅に現れた。
「やあ、カズマ。ただいま」
トシが新しい扇子を広げて笑っている。扇子の絵は、世界中の祠と、その中心に立つ屋台の姿だった。
「兄貴と世界中を回ってきたよ。味を知らない者たちに、ずいぶん料理を教えてきた」
「ご苦労だった」
「またここに来るよ。やっぱり、ここが一番うまいからな」
「客だからな」
「そういうことだ」
グーラが静かに一礼し、トシが焼きおにぎりを注文する。その隣では、気配を消したシロガネとクロがくぅんと鳴き、ガルムと喪犬が大人しく伏せていた。
夜が更けて、市場に静けさが戻る。しかし屋台の灯りは消えない。
明日もまた、明後日もまた——腹を空かせた誰かのために、この灯りはともり続ける。
(第103話 終)




