第100話「北の氷原へ」
四つの欠片がすべて封じられた報せが届いた日、王都の屋台は久しぶりに全員が揃う賑わいを見せていた。
南の島から戻ったリクは、潮の香りをさらに深めた味噌汁を披露し、東の峡谷から戻ったアリシアは新たな養生スープの応用を語り、西の砂漠から戻ったサジョウは初めて自分の力で誰かを救えた喜びを噛みしめている。シノはそんな三人を迎えながら、自分の留守番の成果である新作の卵かけご飯を振る舞っていた。
「みんな、すごいなあ。俺だけ留守番で——」
「シノさんが留守を守ってくれたから、私たちは安心して旅ができたんです」
アリシアが微笑む。
「そうですよ兄弟子!それに、その新作の卵かけご飯、すごくうまいです」
リクが叫ぶと、常連客たちも口々に賛同の声を上げる。
「弟子たちが全員揃ったな」
リリアが茶をすすりながら言った。彼女はつい先ほど北の偵察から戻ったばかりだ。ギリアム、ゴルドア、マクシミリアンと共に、氷原のさらに奥——氷の権能が眠る地を視察してきたのである。
「ああ。お前たちの北の偵察はどうだった」
「それが——」
リリアの顔が少しだけ曇った。
「氷の権能の封印は、やはり緩み始めている。まだ決定的な異変は起きていないが、氷原の奥で巨大な氷の裂け目が広がっていて、そこから冷たい霧が漏れ出していた。サジョウの感じた欠片の気配も、おそらくその裂け目の奥深くだ」
「氷の権能そのものが、近いうちに動き出すかもしれないということか」
「ああ。エルムも言っていたが、残香の欠片はあくまで派生物で、本体は氷の権能だ。これが完全に目覚めれば、世界の味は再び凍りつく」
広場の空気がかすかに張り詰める。弟子たちの勝利の喜びに水を差すようで気が引けるが、現実は待ってくれない。
「わかった。北へ行くぞ」
「あんたが行くのか」
「ああ。弟子たちはやり遂げた。次は俺の番だ」
「私も行く」
リリアが弓を握り直した。
「当然だ。それに——あの裂け目、一人で行くには危険すぎる」
「ああ。ギリアム、ゴルドア、マクシミリアンも引き続き同行を頼む」
「了解」「任せろ」
弟子たちが一斉に立ち上がった。
「師匠、俺たちも——」
「いや。お前たちはここに残れ。屋台を守り、常連客たちを飢えさせるな。それに——お前たちには次の世代の料理人を育てる役目もある。サジョウに基礎を教え続けろ」
「……はい」
シノがうなずき、リクとアリシアも深く頷いた。サジョウは包丁を握りしめ、涙をこらえている。
「それから——」
俺は少しだけ間を置いてから言った。
「これは長い旅になるかもしれない。氷の権能そのものと向き合うなら、数日では済まない。もしかすると——しばらく帰れないかもしれない」
「師匠——」
「だが、必ず帰る。ここに戻って、また焼きおにぎりを握る。それが約束だ」
夕暮れ、北の門に見送りの人々が集まった。将軍が無言で粥の素を差し出し、グレゴールが保存食をまとめ、エレナが薬草の束を手渡す。ヴァルケンたちは市場の警備を引き継ぎ、ヴィオラとランドルは食糧庁と監察局からの支援を取りつけてくれた。
「師匠——どうか、ご無事で」
アリシアが深く一礼し、シノとリクが包丁を掲げて見送る。サジョウは涙をぬぐいながら、精一杯の笑顔を見せた。
「留守を頼むぞ」
「はい、師匠!」
リリアが弓を肩にかけ直し、俺の隣に並んだ。
「行くぞ」
「ああ。北の果て——氷の権能が眠る地へ」
一行は北へ、北へと歩みを進める。背後には屋台の灯りと、それを見守る弟子たちの姿があった。
遠く北の空で、オーロラが静かに揺らめいている。氷の権能が目覚める前兆なのか、それとも——新たな旅を照らす灯りなのか。
第100話——次なる旅の始まりだった。




