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守る刃、支える算  作者: 麦崎誠
第三章 賊
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第十一話 ルート変更

 やがて東の空が白み始めた。船は品川に着いた。板が渡され、人々が我先にと降りていく。そんな中、名もなき浪人は隣のお花に向き直った。彼女は、これから身を寄せるはずの三國屋という呉服問屋のことを考えてか、少しだけ安堵したような、それでいて不安げな表情を浮かべている。名もなき浪人はその顔を見て、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで告げた。

「お花、すまぬが三國屋は後じゃ。急用を優先させてもらう」

「え……?」

 お花は戸惑いの声を漏らしたが、名もなき浪人の真剣な眼差しに気圧されたのか、それ以上は何も言わず、こくりと小さく頷いた。その瞳には、再び不安の色が濃く浮かんでいる。名もなき浪人は彼女の手を引くでもなく、ただ先に立って人混みの中へと歩き出した。お花は、はぐれまいと必死に着物の裾を掴んでついてくる。

 江戸の朝は、横浜とはまた違う、圧倒的な活気に満ち溢れていた。威勢のいい魚売りの声、荷を運ぶ大八車の軋む音、行き交う人々の草履が立てる乾いた音。土埃と潮の香りと、そこかしこから漂う食べ物の匂いが混じり合い、むせ返るような熱気となって二人を包み込む。武士、町人、職人、物乞い。ありとあらゆる人間が、この巨大な都市の血管を流れる血のように、絶え間なく動き回っていた。名もなき浪人はその喧騒の中、比較的身なりの良い、人の良さそうな顔をした小柄な商人を見つけ、足を止めた。

「少々、お尋ねしたい。北町奉行所はどちらだろうか」

 浪人風の出で立ちと腰の刀に一瞬警戒した商人だったが、その声に脅すような響きがないことを確かめると、少しだけ安堵したように指を差した。

「ああ、お奉行所様ですか。この道をまっすぐ行って、大きな橋を渡り、それから……」

 説明は要領を得なかったが、名もなき浪人は要点だけを頭に叩き込み、礼を述べ、すぐに歩き出した。人波をかき分け、埃っぽい道をひたすらに進む。お花は黙って、小さな歩幅で懸命に後を追ってくる。いくつもの橋を渡り、ひときわ大きな屋敷の前にたどり着いた。高く分厚い塀。巨大で威圧的な門。槍を手にした番所の役人。庶民が気安く近づける場所ではない。

(ここが北町奉行所。)

 名もなき浪人はまず、出入りする人々を観察した。 足早に中へ入っていく小役人、訴状らしきものを抱えて門前で追い返されている商人、罪人として引き立てられていく男。

(……慎重に、だが迅速に事を運ばねば)

 意を決し、門番に近づく。門番の手が、槍の柄にかかる。

「もし。お勤めご苦労様です」

 丁寧に切り出す。

「私は見ての通りの浪士でありますが、旅の途中で物騒な計画を耳に入れました。これは単なる噂話では済みませぬ。緊急のことですので、お奉行様の御耳にも入れていただき、至急対策をお願いしたい」

 門番は冷たく吐き捨てる。

「……物騒な計画、だと? 貴様のような素性の知れぬ者が、そうやすやすと奉行所に取り次げると思うてか。戯言は他所で申せ。失せろ」

 だが、名もなき浪人は引かない。

「お待ちくだされ! これがもし、異人を狙ったもので、この江戸に戦の火種を呼び込むものだとしたら、どうなさいますか! 事が起きてからでは遅いのです!」

 その気迫に押され、門番は上役に話を通す約束をした。やがて門が開き、与力が直々に話を聞くことになる。しかし、お花は中に入れない。名もなき浪人は銭を差し出し、門番に頼み込む。

「……この娘を、どうか。私が戻るまで、この門の前から離れぬよう、見張ってはいただけぬでしょうか」

 門番は銭を懐に滑り込ませ、渋々了承する。

「だが、面倒は起こすなよ」

 名もなき浪人はお花に告げる。

「ここで待っていろ。このお役人様が見ていてくださる。すぐに戻る」

 お花は小さく頷いた。

 その指先は、わずかに震えていた。


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