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宿命報道#72 闇社会からの刺客/マスコミの言う正義とは/永野は去った

「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。


(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)

 ホテルのバーラウンジの席から、永野洋子は立ち上がった。

 向かいに座っていた吉嵜が「最後にいいですか」と声をかけた。


 「私の方からもお答えしなければならない宿題が残っています。4日前、丸菱商事でお会いした時、『マスコミの言う正義とはなんでしょうか』『特ダネが欲しいだけ。スクープが欲しいだけなのでは』などと厳しく言われました。それにまだ答えていません」


 永野は「ハハハ」と笑って座り直した。

 「それはいいの。どの口が言っているのかって感じよね。殺人事件の被疑者になった私がマスコミ批判だなんて、おかしいわよね」


 吉嵜が「そんなことはないです。とても耳の痛い話でしたし、ちゃんと向き合わなければと思いました」

 吉嵜の言葉を永野が遮った。


 「言論の自由、報道の自由、知る権利、速報性、腐敗する権力のチェック、真相究明、埋もれた悪事を暴く、暴力に屈しない……。言うことはいつも同じ。聞いても時間の無駄だから」


 「そこまで言われたらかないません。永野さんにうちの報道局長をお願いしたいくらいです。今言われたことを声高に言うのは、現場の一線を離れた人か、評論家、メディア論を教える大学教授、あとはそれを学んでいる学生です。現場ではもちろん意識はしますが、理詰めで考えている余裕なんてない。ただただ這いつくばって取材に走り回るだけです。一体今何が起きているのか、どうやったら口の堅い相手から話を聞き出せるのか。そこに全神経を使っています。アメリカの著名なジャーナリストが言ったそうです。『だれかがどこかで隠したがっていること、それがニュースだ。その他のすべては広告だ』と。極端な言い方ですが、記者はみな、なにかを探り出そうと必死でもがいているのです。そして、私の原動力は……好奇心かもしれません」


 「好奇心? ジャーナリストの知的好奇心?」。永野は少し意外そうに聞いた。

 「そんな格好いいものではない。私の場合は、放送屋の勘と、どうしても知りたいという執念に突き動かされているような気がします」


 永野は呆れた表情を浮かべて言った。

 「正直でいいわ。つまり、私は『知りたがり』に振り回されたってことね。上から目線でお決まりの講釈ではないだけに、かえって合点がいったわ」と大笑いして続けた。


 「でも、その好奇心の行き着く先は社会の暗部ということが多いのでは? 社会正義を唱えるだけではどうにもならない世界――暗澹たる気分になるでしょう」


 「宿命です」。吉嵜ははっきりと言った。

 「記者という職業を選んだ限り、光を求めて闇に分け入るしかない。どんな世界であっても、目をそらすことはできない。それが、『宿命』だと思うんです」


 「なるほど。『模範解答』の一つとしてと聞いておくわ」と永野は言った後、「宿命か……」とつぶやいた。

 意識はある男のところに飛んでいた。そして、グラスにワインを注いで飲み干した。


 「それでは私はこれで。もうお会いすることはないでしょう」

 永野はそう言って静かに手を振った。

 

 「グッドバイ」。少しよろめきながら、姿を消した。

 

 吉嵜は、解けた氷で薄くなったウーロン茶を飲み干した後もしばらく残り、永野とのやり取りを思い返していた。


 「闇社会からの刺客」

 

 永野のことをそう思った時があった。その考えは改めなければならないのかもしれない。だが、真の姿は未だにつかめていない。際立った才能を持つ謎の多い人物であることは確かだ。それが魅力となって、多くの男たちを惹きつけ、広い人脈を築いてきたのだろう。

 丸菱商事を去り、果たして次はどんな舞台を選んで立ち、踊り、演じ、そして煙に巻くのだろうか。

   

              ________________________________________



 永野は吉嵜と別れた後、自宅近くの行きつけのバーに入った。玄関前にはオシロイバナが咲いていた。雨露に濡れていた。

 カウンターで1人、カクテルを飲んだ。そして、羽谷組若頭の葉山が逮捕される直前、この場で久しぶりに2人で会った時のことを思い出していた。


 葉山はウイスキーを浴びるほど飲み、相当酔っていた。

 元来、口の堅い男だが、永野を前にするとよくしゃべった。葉山が酔いながら話したことは、丸菱商事の楢崎社長殺害未遂事件についてだった。


 「恥ずかしい」と葉山は何度も言った。


 社長銃撃は、秋山からの頼みを聞いた羽谷虎雄組長が勝手に決行したことで、葉山には事前になんの相談もなかった。相談があればやめるように説得するつもりだった。


 秋山にとっては、幸田殺人事件の捜査が自分に向かってくることをなんとしても阻止しなければならず、藁をもつかみたい思いだったのだろう。しかし、羽谷組としては葉山と高木が証拠隠滅容疑で逮捕されたとしても、なんら大したことではない。社長を殺害してまで口止めをする必要などなかった。


 それなのに組長は、訓練が足りない若手の男を選んで社長宅に差し向けた。そして失敗した。ヒットマンを送り込むのならば、必ず仕留めなければならない。それがプロだ。撃ち損じて逃げ帰ってくるとは、話にならない。葉山はその組員を何度も殴りつけた。


 葉山が29歳の時、人生に疲れ、自暴自棄になり、死のうと思っていた時に拾ってくれたのが羽谷組長だった。恩義に報いるためには、なんでもする。社長を狙った殺人未遂の罪をかぶって刑務所に行くなど、なんということもない。


 葉山は永野の目を見つめて言った。

 「俺はまた、刑務所に行ってくる。組長はなんせ危なっかしい。俺がいない間、組長を頼めないか。社長襲撃のような無計画でバカなことをしないように。弁護士としての報酬を出すように組長に言っておく」


 葉山はカウンターで酔いつぶれた。

 永野は黙ったまま、葉山の頭を撫でた。


 



お読みいただきありがとうございました。

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