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宿命報道#70 不敵に笑う女/被疑者永野洋子、沈黙を破る/葉山若頭との関係は?

「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。


(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)

 鏑木警部補は永野洋子に対峙した。これまでの参考人としてではなく、被疑者としての取り調べだった。取調室は空気を刺すような緊張が漂った。


 「6月14日の行動をすべて話してください」


 「14日は午前中から打ち合わせが続きました。社長がシンガポールからの出張から帰国されましたが、私からの報告は急ぎではないので15日にする予定でした。午後6時半には会社を出て、まっすぐに麻布十番の自宅マンションに帰宅しました」


 「社長から電話がかかってきたはずだ」


 「午後8時15分ごろでした。『幸田がマンションで亡くなった。至急マンションに駆けつけてくれ』と。『なぜ私が?』と瞬間的に嫌な気分になり、次に『とんでもない』と思いました。普段から社長の思いつきに振り回されています。おかしなことに巻き込まれたくなくて、『遠くにいるのですぐに行くのは無理です』と嘘をついて断りました」


 「その後は」

 「もうご存じのことだと思いますが、秋山さんに電話しました。一体なにが起きたのかを知りたかったからです」


 「秋山さんから説明を受けた。そしてあなたはどうしましたか」

 「というと?」

 「幸田さんのマンションに向かったのではないですか?」

 「……その点はノーコメントです」

 永野は平然と答えた。質問を予期していたかのように。


 すると、それまで穏やかだった鏑木の表情は一変し、机をバンバンと叩いて声を荒らげた。

 「ノーコメントが通用すると思っているのか。人が殺されているんだぞ。被疑者として、すべてを神妙に話せ!」


 永野は一瞬、びっくりしたように目を見開いた。


 「永野洋子、あんたの過去はすでに調べてある」

 鏑木はそう言って、背後の山本巡査部長の方に振り返り、目で合図をした。

 山本が淡々と書類を読み始めた。

 「東京都杉並区生まれ。都立高校を卒業後、私立大学法学部に進学。東南アジアの恵まれない子供たちを支援する国際ボランティアグループに参加した。そこで別の大学の男性と知り合い意気投合した。しかし、男は渋谷の繁華街でけんかに巻き込まれ、勢いで殴った相手が転倒して死亡。傷害致死容疑で起訴され、大学を退学した。恋人の永野をも避けるようになり2人は別れた。永野は米国の大学に留学し、犯罪心理学を専攻。弁護士資格も取得した。帰国後は企業法務のコンサルティングに従事し、M&A、投資の分野で活躍。やがて大学時代に付き合っていた男と再会し、ビジネス面で協力し合うようになった」


 永野は表情を全く変えず、山本を見つめていた。静寂が取調室を包んだ。


 鏑木が言った。

 「その相手の男が、そう、葉山豪。羽谷組の若頭だ。大学を中退後、職を転々とし、再び事件を起こして服役。出所後、暴力団組員相手に傷害事件を起こし再び逮捕された。この際、相手側の弁護についたのが、山手組系の顧問弁護士だった。『性根の据わったおもしろい男がいる』と、顧問弁護士が羽谷虎雄組長に紹介し、組員になった。以後、闇社会での経験を重ね、若くして若頭にのし上がった」

 永野は小さく息を吐いた。

 「なんだか、高倉健さん主演の悲恋のヤクザ映画のようですね。聞き入ってしまいました」。まるで他人事のように言った。


 「葉山も高木も、容疑事実は認めているが、それ以外は一切黙秘している。殺人の主犯ではないにもかかわらずだ。なぜだかわかるか?」

 「さあ、わかりません」と言った永野の表情を窺いながら、鏑木は続けた。


 「葉山には、なんとしても守ろうとしている人がいた」

 「組長さんですね」


 「その通り。すべての罪を葉山が抱え込む。山手組の次期組長候補に名前があがる羽谷虎雄にこんな容疑で逮捕されることは避けたいと考えたのだろう。ただ、もう1人守ろうとしている人がいる」。ひと呼吸おいて言った。

 「それは永野洋子、あなただ」


 永野の表情が微かに揺れた。その名が飛び出すことは、予想していなかった。


 「あなたは電話で秋山と話した後、葉山に連絡した。秋山が頼るのは組長か若頭しかいないと知っていたからだ。葉山は偽装工作のほか、あなたが断ったアリバイ工作も請け負っていた。組長の知人で大物政治家の依頼でもあり、金にもなる。偽装とアリバイ工作は高木に任せた。完璧主義者のあなたは高木1人に任せるのが心配になり、マンションに向かい、自分のスマホを高木に渡した。幸田のスマホから柳本に電話する際に、以前、自身が幸田と言い合いをした時に録音した音声データを使うように指示した。それがアリバイ工作の全容だ」


 「鏑木さんの推理ですね。証拠はあるのですか?」


 「残念ながらない。音声データはあなたが消去した。葉山は黙秘を貫いている。昔愛した女に傷をつけたくないのだろう。だが、殺人事件に『男の美学』などは認めない。別の見方もできる。あなたが羽谷組の関係者だとすれば辻褄が合う。高木には因果を含め、あなたは罪を逃れる。高木はあなたの罪を全面的にかぶる。話さないのだから心証も悪くなる。彼にとっては若頭から頼まれたことであれば『お安い御用』なのだろう」

 永野の唇がわずかに震えた。

 鏑木は追い打ちをかけた。

 「あなたは本当にそれでいいのか。あなたを守ろうとした男たちに対して、恥ずかしいと思わないのか」


 永野がわずかに笑みを浮かべた。

 「鏑木さん、あなたは最初からすべてをお見通しだったのでしょう。柳本が将来にわたって現れない可能性も想定し、殺人事件としてどうしたら解決に導けるかを念頭に捜査にあたっていた。柳本専務と楢崎社長から最初に事情を聴いた時からピンと来ていたのでしょう。私は以後、社長には警察の事情聴取を受けないようにきつく言いました」


 永野は少し間を置いた。鏑木の鋭く尖った視線を避けるように目を伏せた。しばらくして、顔を上げてゆっくりと話し始めた。


 「ノーコメントは撤回しましょう。おっしゃる通り、あの音声は、岡本貿易の買収をめぐり幸田さんと言い争った時のものです。彼は頭に血がのぼると一方的に話し続けてとまらなくなるのです。私は自宅を出て、幸田さんのマンション近くで高木を待ち、私のスマホを手渡した。私は外で待っていました。高木がすべてを終えてマンションを出てきたところでスマホを受け取った。それがすべてです」

 「葉山との関係は?」

 「はっきりとしておきます。ビジネスで手を組んだことは一度もありません。葉山も私も、わきまえています」


 「なるほど。主要なピースがすべてはまった。だが、あなたはまだ嘘をついている。幸田さんのマンションの中に入ったはずだ」

 「ご遺体のある現場なんて……そんな恐ろしいところに私は入れませんし、その必要もありません」


 「幸田さんは柳本に殺されたということは、知っていたのか?」

 「いえ、『殺人』という言葉は誰からも聞いていません。おかしいとは誰でも思いますよね。でも余計なことは聞く必要はない。警察の捜査はもちろん気になりましたが、私としてはこの件については耳を塞ぎました」


 「葉山からは聞いているだろう」

 「あの人は余計なことは一切言わない人です。『高木が工作のためにマンションに向かった』と言うだけでした。高木の電話番号は葉山から聞きました。それだけです」


 「なるほど。ただ、私は信じない。高木がマンションを去った後、幸田の部屋に入り、もう一度指紋を拭き、部屋を整理し、アリバイを完璧に仕上げたと考えている。それから、一連の丸菱事件の流れを見ると、アリバイ工作への加担、岡本貿易の買収など、葉山の都合のいいようにあなたは動いている。葉山の指示通りに動いたとしかみられない」


 突然、永野が笑い出した。


 「そういう筋立てで立件するならすればいい。鏑木さんは優秀な刑事さんだと思っていましたが、認識を変えなければならないようですね。葉山の指示通りに動いた? ありえない。反社勢力に知り合いがいるというだけで色眼鏡で見られるものですね。繰り返しますが、葉山とはビジネスで手を組んだことは一度もありません」


 「証拠隠滅容疑の主犯として永野洋子を立件したいところだが、証拠も証言もない。今日はここまでだ」。鏑木の声には力がなかった。


 永野はマンションに入ったはずだ。長い髪の毛一本を玄関のドアの真下に落とした。だが、鑑識は押収していなかった。鏑木はこの証言を大神記者から聞いて以後、何度も現場を訪ねて部屋中を探したが、見つからなかった。


 もし発見できていれば、永野も同時に逮捕できた。

 そうなれば、暴力団との関わりがより明白になったはずだ。


 永野にとっては「一生の不覚」になったはずの証拠物の押収が、警察にとっての「大きな汚点」として残った。

 幸田夫人の証言だけのもので、捜査資料としての扱いにはなっておらず、警察内部で問題視されることはなかった。


 永野の逮捕状請求は裁判所で却下され、任意の事情聴取が繰り返された後、送検された。



お読みいただきありがとうございました。


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