宿命報道#67 ■天から「殺してしまえ」の声/「公益通報なんてちゃんちゃらおかしい」/留置場 柳本の回想
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
柳本浩二は、不思議な感覚にとらわれていた。
留置場にいるのに、なぜか心は晴れ晴れとしているのだ。もう逃げなくていい。隠さなくていい。耐えなくてもいい。「憑き物が落ちる」とは、今の心境を言うのかもしれない。
サラリーマンとして一段一段、階段を昇ってきた。時には二段、三段飛びのときもあったが、気が付けば役員になり、専務となり、「次期社長」とまで言われるようになっていた。
周囲はみな、言うことを聞いた。
注意、指示、命令……。自分の顔色をみて仕事をしているかのようだった。有頂天になった。丸菱商事の成長に貢献できることに喜びを感じていた。
だが、不正に手を染めてから、何かがおかしくなっていった。
社の将来像を描き、社員を先頭で引っ張るという本来の経営者像とはかけ離れたことばかりに神経を使い、心がすり減っていった。
振る舞いは自信に満ちているように見えても、内心は日々、戦々恐々としていた。代表取締役という立場にありながら、自信のなさが社員に見透かされないか、怯えるようになっていた。
上司は1人になっていた。楢崎翔一だ。
彼の言うことだけは、絶対に守った。忖度だと揶揄されようが、ヒラメだと馬鹿にされようが構わない。なぜそこまで尽くすのかと問われても、説明しようがない。
「楢崎の言うことを聞いていれば間違いない」
無理矢理にでもそう思うようにして、ついていった。桧山の晩年から、経営は明らかに誤った方向に舵を切っていた。
冷静になれば気づけたはずなのに、「当面の措置」「社のため、社員のため」と思い込み、「ばれなければいい」と自分を納得させていた。
おかしくなっていると気づかせてくれたのが、幸田だった。最も信頼できる部下だった。
岡本貿易の買収について猛烈に反対され、確かにこの買収は問題がありすぎると我に返った。「社長に言って撤回させてみせる」と幸田の前で豪語した。楢崎に、この買収の中止を申し出たが、一喝された。言い返すことができなかった。
6月14日。今度は幸田を説得しようと彼のマンションに向かった。すべてを話せば理解してくれると思った。懇切丁寧に会社の立場を説明した。「Rプロジェクト」の話もした。
岡本貿易の買収は社にとってメリットの方が大きい――そう説明するために、永野洋子が作成した完璧なレポートを元に何度も語った。社長命令だとも伝えた。だが、背後に羽谷組が控えていること、「Rプロジェクト」への反発から、幸田は反対した。
「ここまで言ってもわからないのか」。カッとなってつかみかかっていた。幸田の抵抗も激しかった。どれぐらい経ったのか。二人とも息があがった。格闘したことで、むしろ分かり合えた気になった。
しかし、幸田は違った。殴られたことで怒りが増幅していたのだろう。背を向けた幸田は突然、スマホを手に取り、番号を打ち始めた。
「誰に電話するんだ」と聞くと、幸田は言った。「もう堪えられない。信頼する社外の人に通報する。すべてをぶちまける」と言った。
「やめろ。すべてが終わってしまうぞ」と叫んだが、冷めた声が返ってきた。
「『社長に言って撤回させる』と言ったのはどこのどいつだ。よく恥ずかしくもなくここに来ることができたな」
柳本は幸田の首を後ろから絞め上げていた。
絞め落とすことは容易だった。幸田の身体から力が抜けていくのがわかった。いったん、両手の力を抜いた。
その時、どこからか声が聞こえてきた。
「どうしても言うことを聞かなかったらいっそ、殺してしまえ。『公益通報』なんてちゃんちゃらおかしい。自分たちの恥をさらすなんて、裏切り者のやることだ。訴えられれば、会社も俺もお前もすべてが終わるんだぞ」
柳本が幸田を説得するためにマンションに向かう前に、楢崎から放たれた言葉だった。
柳本の両手に、倍の力が入っていた。
幸田はもういない。そして自分もすべてを失った。贈収賄事件、殺人事件、そして経済事件…。「主犯」である自分がすべて説明をした後に、幸田のところに行こう。そして直接会って謝罪しよう。
今、清々しい気分でそう思っている。
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丸菱商事の7月13日の株主総会は、高藤常務取締役執行役員が急遽、議長役となり開会したが、一連の不祥事への謝罪だけで議案の審議もできずに閉会。継続会の手続きがとられたが、日程はまだ決まらず、後日株主に通知されることになった。
丸菱商事では、緊急の取締役会が開かれ、楢崎と柳本の両容疑者の辞表が受理された。いったんは高藤常務が責任者となり、異常事態の収拾にあたることが決まったが、その後、「不正経理の責任は高藤常務にもあるのではないか」と社内で声が沸き起こり、責任者の座から退いた。
代わって、コンプライアンス担当役員の井原が社長代行として当面の指揮をとることになった。リーダーシップには難があるといわれていたが、実直な性格で、「悪いことに手を染めていないだろう」という安心感だけはあった。いまや、信頼回復が最優先というのが、残された役員の一致した意見だった。
過去に遡って粉飾決算の疑いが強まり、監査等委員会、監査法人による本格的な調査が入った。東京証券取引所も黙っていなかった。
社長代行の井原が最初に行ったのは、一連の事件、不祥事について総合的に調査する「第三者委員会」の設置だった。
人選を進めて、最高検の元検事が委員長となり、弁護士、企業人、大学教授らが委員となった。
委員会設置の目的は、4年前の米国のベンチャー企業への投資失敗、シンガポールでのデリバティブ取引などの不正、その後に密かにできた「Rプロジェクト」の実態解明だった。
長期間の調査が想定されたが、井原は8月中に中間報告をまとめるように指示を出した。
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