宿命報道#66 ■「幸田の声」の真相は? 高木の電話/捜査員泣かせ「完全黙秘の羽谷組」/マディ社社長はNYで会見
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
深夜、吉嵜は鏑木警部補に電話をかけた。遅い時間なので、5回コールして出なければ切ろうと思っていた。
「もしもし」。5回目で鏑木が電話に出た。落ち着いた声だった。
「夜分に申し訳ありません。ショートメールの返信、ありがとうございました。そのお礼が言いたくて。おかげで誤報を打たなくて済みました。うちも通信社の記事をそのまま速報として流す寸前でした。柏木デスクは『書かない特ダネ』とか『特落ち・スクープ』と言って喜んでいました」
「今、風呂からあがったところだ。さすがに誤報はよくないね。こちらから捜査内容を話すことはできないが、誤報とわかっていて黙っているわけにはいかない。それにしてもなぜあそこまで無理をするのかね。すぐに発表になるのに、一刻を争うことはないと思うのだが。重大局面で誤報を打てば、報道機関として信用はガタ落ちになるし、致命的だ。ネットの中で時々見られるいい加減な情報と変わらなくなる」
「耳が痛いです。一刻も早く視聴者や読者に届けたいというのは記者の習性で、もう本能に近い。でも、誤報だった瞬間にすべてを失う。肝に銘じます。ところで、柳本専務が犯人だったとは正直、発表まで全く予想できませんでした。鏑木さんは、専務が犯人だとにらんでいたのですか」
「最初に遺体を見た時の柳本の取り乱しようは尋常ではなかった。『自ら命を絶ったのか』『殺人の可能性もあるのか』と何度も聞いてきた。素人の目から見れば現場の状況は自殺以外考えられないはずだ。話を聴いたのは私だが、なにかを隠しているという感じがありありだった。2日目の事情聴取で勝負をかけるつもりだったが逃げられた。あそこで拘束しておけば、ここまで長引くことはなかった。社長から聴取した時には、事件のあった日の会議室の人の出入りを克明に覚えていて、逆に『おかしいな』とは思った。アリバイ工作のために計画的にやっていたんだ。柳本が不在でも社長から落とすことはできたはずだった。だが、あの日、本社での打ち合わせのさ中に、幸田から電話がかかったというトリックに騙された。幸田の声だったという複数の証言に惑わされて捜査にブレーキがかかった。不覚だった。いずれにしても、この事件がすべて終われば、俺はもうお払い箱だ。刑事部長にも目をつけられている」
鏑木は自嘲気味に言った。
「いえ、鏑木さんの冷静沈着でぶれない姿勢が、事件を解決の方向に導いたことは間違いないですよ。ところで、高木容疑者が専務あてにかけた電話で、聞こえてきたのは幸田さんの声だったのですか?」
吉嵜は、鏑木がぽろっと口を滑らせたのを聞き逃さなかった。
「おっと、いらんことを言ってしまった。発表していなかったな。いかん、いかん、今のはオフレコだ」
「十分ニュースになる話ですね。それにしても謎ですね。高木はどんなトリックを使ったんでしょうか」
「羽谷組というのは、以前から『完全黙秘の羽谷』と警察でも有名なんだ。取調官泣かせだ。高木は偽装工作についてだけは認めたが、それ以外は一切しゃべらない。謎が謎のまま終わるかもしれない」
「柳本の殺人の動機ですが、かなり追い詰められていたんですね」
「危機管理上の問題が次々に襲い掛かってきた。他人が犯したトラブルを解決するのはある意味、楽だが、自分が主導してきたことなので誰にも責任を転嫁できない。そこを幸田氏から正論で攻められるとどうしようもなかった。社長との板挟みも苦しかったのだろうな。悪に徹する冷徹さもない。悪を糾弾する勇気もなかった。最初に会った時から、どこか哀れな感じだった」
「それで雲隠れした」
「死ぬつもりだったのだろう。だが、死にきれずに各地を転々とした」
「専務が力を込めて殺したことについて、大神が批判しながらも疑問を持っています。『制圧と殺害の間に何かがあったのではないか』と言っています」
「大神という記者は鋭い。真相を究明する不思議な力を持っているように感じる。事件直後、私が最初に大神記者から話を聴いた時、彼女は『専務が殺したという可能性はないのか』と逆に聞いてきた。勘の鋭さに驚いたものだ」
「ホントですか。そんな見立てをしていたなんて。専務逮捕の報に最も驚いていたのは大神でしたが……」
「そりゃ、誰でも驚くだろう。専務を疑う一方で、真犯人ではないことを祈っていたのではないかな」
「今でも殺害の状況には疑問を持っているようです」
「いい線を突いている。刑事にならないかと言っておいてくれ」
「わかりました。今回の事件は前代未聞ですが、怖いのは、特異なケースという感じがしない。どこでも起こりうる土壌がある。人間の業というか、権力欲というか。その中にすっぽりとはまってしまうと、完全に自分を見失う。不正に手を染め、責任回避へ舵を切る。退任のタイミングも逃す。丸菱商事だけの問題ではない気がします。公益通報をする人は勇気がいる。今はまだ、通報する人が責められ、追い込まれてしまうという悪しき企業体質が残っている。上司に責められて自殺まで追い込まれる人が後を絶たない。幸田さんは殺されてしまった。なんとも残念です」。吉嵜がしみじみと言った。
「まだ、社会が成熟していないんだろうな」
「ところで、私は、引き続き、秋山を追い続けます。今回の事件との関係もとても匂いますね」
「匂うか。いい嗅覚しているな。秋山の失脚も時間の問題だろう」
「専務から幸田氏を殺してしまったという電話を受けた後に、社長が電話した相手は、秋山ではないですか」。思い切ってぶつけてみた。
「わからん。社長が供述しない限り確証が取れない。さて、もうひと踏ん張りだ。全容解明に向けて大詰めにきている。関係者の取り調べが続く。それと君が言う黒幕の摘発か」
「その時は、特ダネになるような情報提供、よろしくお願いします」
「そりゃ、無理だ。『特落ち・スクープ』ならありかもしれんがな」
鏑木は翌日予定されている楢崎社長宅の家宅捜索に立ち会うことになっていた。
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柳本専務の殺人容疑、楢崎社長の犯人隠避容疑での逮捕のニュースは世界中を駆け巡った。経済犯罪ではなく、殺人という凶悪犯罪で、世界に名の知られた総合商社の代表取締役2人が逮捕されたという事実は、国際社会にも大きな衝撃を与えた。
米国の3大ネットワークもニュースで報じた。すでに米国に帰国していたマディ社のカール社長は、ニューヨークの事務所で、多くの報道機関に囲まれた。
「われわれが独自に調査し、指摘した通りの展開になった。日本の企業間の株の持ち合いは世界的にみても独特で、不健全な馴れ合い、もたれ合いを誘発している。社外取締役、監査等委員会もチェック機能を十分に果たしているとはいえない。丸菱商事は上場企業の体をなしておらず、反社会的勢力が入り込む余地はいくらでもあった。日本企業の閉鎖性を象徴する事件であり、丸菱商事は決して特異なケースではない」と得意げに話した。
マディ社は丸菱商事株の「空売り」で数十億円のもうけを出していた。今、次のターゲットとして日本の別の大企業の調査に乗り出している。
国内の報道合戦も加熱していた。捜査一課長による会見は、逮捕容疑とその補足説明にとどまったが、総合商社に暴力団がどのようにして食い込んでいったのか、不正の連鎖とその隠蔽、異常なM&Aの実態が続報合戦の中で次々に明るみに出ていった。
かつては、「飛ばし」とか「書き得」とかいう、裏がとれているのかわからないような記事が出れば、丸菱商事は社として毅然として、報道機関の社長あてに抗議文を出していた。
だが今、集中砲火を浴びながら、過去の不正について書かれた記事の内容が正しいのか間違っているのかを的確に判断できる者が丸菱商事社内にいなかった。
そのため、抗議もできず、「サンドバッグ状態」に陥っていた。
吉嵜と大神は、秋山に会えるようにあの手この手を尽くしたが無駄だった。逃げ回り、完全に雲隠れしてしまっていた。どの報道機関も取材できている様子はなかった。
秋山と羽谷組長の関係を最初にニュースにした際には、秋山陣営は猛烈な抗議を繰り返したが、捜査が進むにしたがって静かになっていった。
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