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宿命報道#65  ■書かなかった特ダネが分水嶺/事件の詳細が明るみに/「幸田本部長の死は不可解だ」と大神

「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。


(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)

 柳本専務が殺人容疑で、楢崎社長が犯人隠避容疑でそれぞれ逮捕された。

 

 衝撃的なニュースの出稿が終わった後、柏木デスクが吉嵜に近づいてきた。

 「報道各社、訂正、おわびの処理で大変なようだ。昼のニュースでもあちこちのアナウンサーが謝罪している。新聞も夕刊で訂正するようだ。夕刊をとっていない世帯が増えているので、朝刊でも訂正記事を再掲載するらしい。それにしても吉嵜、お前は突破力こそ抜群だが、最後の詰めの甘さが欠点だった。それが今回の『組員逮捕へ』のニュースの出稿では、最後まで手を抜かず、自分の主張を押し通した。詰めが甘かったのは俺の方だった。成長したな。びっくりだ」


 吉嵜は柏木からこれまで褒められた記憶がないだけに、少しうれしくなった。同時に、暴力団羽谷組の取材で大神由希と高橋晴久を残して社に戻ってしまい、大神を危険に晒してしまった痛恨事がよみがえった。

 「いかなる局面でも最後の1秒まで気を許すな」。身に染みた教訓を、自分の手帳の裏表紙にマジックで書き込んでいた。


 「ところで、今回、うちが『暴力団組員を殺人容疑で逮捕』というニュースを流さなかったことを何というか知っているか」

 柏木は吉嵜に向かって言った。

 「特落ち、ではないですよね?」と吉嵜は答えた。


 柏木は報道局中に響き渡る声で言った。


 「これはな、『書かない特ダネ』というんだ。名付けて、『特落ち・スクープ』」


 柏木はとても機嫌がよかった。特ダネとかスクープとかつけばなんでもいいのか。

 吉嵜は苦笑いするしかなかった。


           ________________________________________


 警視庁キャップの北浦武史と捜査一課担当の井上悟がその日の夜遅く、全日本テレビ本社に上がってきた。取材チームの部屋に、報道部長の川本のほか、柏木、吉嵜、大神、米田が集まった。


 北浦が切り出した。

 「柳本の再逮捕を抜けなかったのは大変申し訳なかった。事件取材の最大の山場で抜くことこそ、警視庁クラブの存在意義だったのだが……。だが、不幸中の幸いとでもいうべきか、今回、うちが『組員を殺人容疑で逮捕』と打たなかったことは警視庁幹部の間で評判がいい。誤報を打った社に比べ、書かなかったというだけで好印象を持ってくれた最高幹部から、柳本専務の供述について貴重な情報を入手することができた。続報を打つ上で参考になるので報告する」と言って、説明を始めた。


 丸菱商事が米国のベンチャー企業への1400億円にのぼる投資と、カナダのサケの養殖会社の買収の失敗、シンガポールでのデリバティブ取引での不正で大きな穴をあけた。この3件だけで、損失は合計で2630億円にのぼる。桧山社長時代の話だが、いずれも水面下で処理することになった。隠蔽だ。この時期、ほかの投資案件でも巨額な損失が出ており、桧山は一気に表面化すれば会社がもたなくなると判断した。


 勝手な理屈で、結局は自分自身の保身だ。巨額の損失を埋め合わせしていくために「リバイバル・プロジェクト」、略して「R・プロジェクト」がスタートした。隠蔽分を5年間表面化させずに、その間に2630億円を取り戻していく計画を立て、実行に移した。社長以下数人しか詳しい内容を知らされていない極秘案件で、外部のコンサルティング会社を巻き込み、巧妙な経理操作が繰り返された。


 不自然な形でのM&Aを何件もこなしたのも、すべては損失を埋め合わせるためだった。桧山が亡くなった後も、楢崎社長と柳本専務が「負の遺産」を抱え込んだ。過去最高の売り上げを挙げているときは、この「Rプロジェクト」も順調に進んだが、本業の停滞に加え、新型ウイルスの蔓延で世界経済全体が停滞しだすと破綻寸前になり、そのしわ寄せがあちこちに出てきた。


 2年前に、幸田が投資戦略本部長に着任した。M&Aや投資については、柳本と2人が責任者となり決めていくことになった。山手組系列の羽谷組が関与する岡本貿易の買収問題が持ち上がった。羽谷組が、4年前のシンガポールでの不正取引についてもすべてを把握していて、これを盾に脅してきた。

 企業の弱みを握った暴力団による恐喝そのものだった。にもかかわらず、「岡本貿易の買収やむなし」という社トップの方針に、幸田は納得できなかった。さらに、柳本は楢崎社長の了解を得て、「Rプロジェクト」の存在についてもありのままを幸田に説明し、協力を要請した。岡本貿易の買収額が高かったのも、上乗せ分の資金を瀕死の「Rプロジェクト」へ注入するためでもあった。


 柳本は説いた。

 「企業に多少の不正や不祥事はつきものだ。大穴を開けてしまっても、株主に説明しないまま別の案件に付け替えて処理することなど、どこでもやっている。清濁合わせ呑むという姿勢で乗り切ろう。社長も幸田君のことは高く評価している」と説得した。しかし幸田はきっぱりと断った。


 「Rプロジェクト」は、やむを得ない行為の範囲をはるかに超えた犯罪行為だ。さらに暴力団に付け込まれている。いったん、気を許したら最後、とことん食い尽くされる。全く容認できない。これを問題にしないことは自分自身の『社会人としての死』を意味するとまで、幸田は言った。

 

 6月14日は午後1時から、柳本専務と幸田は会社の専務個室に閉じこもり、この問題で激しいやり取りが続いた。話し合いは平行線のままで、午後6時になって幸田は社を出た。柳本は「一晩、頭を冷やして考えてくれ。明日また話し合おう」と言って見送った。

 しかし、幸田は「社内外に向けてこの問題を告発する」と言い残して社を出た。専務は、楢崎社長に幸田が納得しない状況を説明し、明日また話し合うことになったと伝えた。

 社長は「なにをのんきなことを言っているんだ。幸田は本当に自宅に戻ったのか。すぐに行って丸め込んで来い」と怒気を含んで言い放った。


 柳本は、幸田のマンションを訪ねた。引き続き説得を重ねたが、幸田の気持ちは変わらなかった。専務は、再び社長に電話して相談した。

 社長は「なんとしても阻止せよ。ぶちまけられたら俺もお前もすべてを失う」と言ったらしい。

 

 柳本は再度幸田を説得したが、ダメだった。幸田は「社内の通報窓口は、岡本貿易を担当した永野がやっているので実効性がない。工場誘致の時と同じく、全日本テレビに通報する」と言って、吉嵜の携帯に電話した。


 「やめろ。工場誘致とは事情が全く違う」と言って、スマホを叩き落としたところで、幸田が反抗し、激しいもみあいになった。柳本は幸田の首を絞めていた。学生時代に柔道で鍛えた体に力があった。やがて、幸田の全身から力が抜けていった。


 「死んでしまった」。専務は社長に連絡した。社長は動揺した。「お前はしばらくそこにいろ。また俺から電話する」と言っていったん電話を切った。専務は呆然とした時間を過ごしていたが、20分ぐらいしてから社長から電話があった。


 「お前はいまから誰にも気づかれないようにそこのマンションを出て、社に上がり、社長室に来い。マンションの玄関ドアは開けたままにして、鍵は中に置いておけ。幸田のスマホは玄関ドア近くに目立つように置いておけ」

 

 専務は思考停止状態で社長の言うがままに動いた。その後、マンションの部屋で何があったかは全く知らないという。

 「以上だ」。北浦による長い説明が終わった。


 「専務は殺人事件を犯した後、社にあがり、社長に会ったんだな。そこでは、どんな会話が交わされたのか」と柏木が聞いた。


 「社長が『お前は何も知らなかったことにしろ。今日は代表会議室で夜もずっと打ち合わせをしていたことにしろ』『電話がお前にかかってくるから、警察には幸田からかかってきたことにしろ』と言ったようだ」と北浦が答えた。


 「記者会見でも質問が出たが、社長と羽谷組員の高木をつないだ人物が誰なのか。まさか、社長が高木に直接電話して依頼したわけでもないだろう」と柏木が聞いたが、井上は「それがまだわからないんです」と言った。


 大神は柳本に対して本気で憤っていた。

 「福井で柳本専務にインタビューした時、幸田さんの殺害については何度聞いても何も言わなかった。当たり前だよね。自分が真犯人だったんだから。『幸田から電話がかかってきた』とか、すでに幸田さんは亡くなっているのに嘘をついていた。同情の余地なし。信じられない悪党だ」。感情をむき出しにして罵倒した。


 柏木は「どこで殺意が芽生えたのか。裁判にならないと、容疑者の胸の内はわからない。行方をくらましたのは死ぬつもりだったのだろう。ただ、最後は大神の必死の心の訴えで思いとどまり、我々が福井に着くまで待っていたんだ」と大神に向かって言った。


 「人を殺めたという事実は消えないし、言い訳なんか聞きたくない」。大神は言い放ったが、少し落ち着きを取り戻すと続けた。

 「幸田さんの家族の立場では、最後の局面で何があったのかは知りたいとは思う。実は、その最後の局面で腑に落ちないところがあります。幸田さんが公益通報しようとしたからといって、柳本専務は殺すことまでなぜしたのか。どれぐらい首を締めたら気を失うのか、死んでしまうのかは柔道の有段者なのだからわかっているはずです。相手を制圧するのと殺害するのとでは全く違う。制圧と殺害に間に何かがあったのでは。謎が残っている。そう思えてならないのです」


 吉嵜は殺害後の流れに目を向けていた。

 「秋山が鍵を握っているように思う。専務からの電話を受けた後に社長が連絡した相手が秋山である可能性は十分にある。秋山から羽谷組に連絡が入り、偽装工作に及んだと見るのが自然だ」


 北浦は答えた。

 「確かに。民自党の大物だけに警察も慎重だ。社長は誰に電話したかについてはなぜか黙秘している。高木が浮上したのは社長の筋からではなく、羽谷組側の調べからでてきたものだ」


 「警察も慎重になる必要なんてないのにな。すべての根源は秋山なんだから。がつんとやればいいんだ」


 柏木が言うと、みながうなずいた。



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