宿命報道#60 第8章 「特落ち」スクープ ■ 謎めく女 永野洋子/微笑の裏に潜む影/丸菱を揺るがす買収劇
「宿命報道」は、大神記者の調査報道デビュー戦。彼女の活躍は、その後、犯罪サイコパスと対決する「極限報道」、最凶権力と対峙した「暗黒報道」へと続いていきます。
(「宿命報道」は9月1日公開スタート。長編で、毎日更新。「極限報道」「暗黒報道」は公開済です)
吉嵜は午後、丸菱商事を訪れ、14階のコンプライアンス室をのぞいた。ここに、広報部がある。他社の記者が空いている席に座り、広報部員と話し込んでいた。
目当ての永野コンプライアンス室長は、自席で資料のチェックをしていた。吉嵜は、その席へ歩み寄った。
「永野さん、少しお話を伺いたいのですが」
「あら、吉嵜さん。福井まで行って柳本を見つけてくれたのは全日テレビさんでしたね。大神さんも行かれていましたね。柳本常務が逮捕されて以後、各社の取材に追われて大変でした。インタビュー拝見しました。柳本もかなり詳しく話していましたね。でも報道されたのは一部だけでは? ほかにどんなことを言っていましたか?」
「伺ったことは、一つずつ確認させていただきます。今日は、永野さんご自身のことについてお話を伺いたいのですが」
「私に? なんでしょうか」
「羽谷組との関係についてです」
永野の、人を包み込むようないつもの穏やかな眼差しが、一瞬にして鋭い光を放ち、険しくなった。そして、吉嵜をじっと見据えた。
「こういう立場で今、私個人のことについてお話しすることはできません。ご理解ください」と言ったが、吉嵜が声を強めて返した。
「コンプライアンス室長が暴力団と関係があるとなると、大変な問題なのではないですか?」
前の席の列は法務部で、一番近い席にいた男性社員が、吉嵜の声に驚き、2人のほうを振り返った。
「なんのことを言っているのですか。ありもしないことを大きな声で言われるのは迷惑です」と言いながら、永野は席を立ち、「場所を変えましょう」と促した。
2人はコンプライアンス室の別室に移動した。
「ここはセクハラやパワハラなどの問題を起こした社員からヒアリングする場所です。通称、『取調室』と言われています。今日は私が取り調べを受ける側、ということですか?」
永野は複雑な笑みを浮かべながら、丸テーブルの椅子に座った。
向かい合うように座った吉嵜は、ここが勝負どころだと考えていた。丸菱商事の一連の不祥事のカギを握るのは、永野かもしれない。記者としての勘がそう告げていた。
今、この場所で、どれだけのことが引き出せるか。追い詰めることができるか。永野が知っていることを話せば、すべての真相に近づけるはずだ。
「先ほどの吉嵜さんの発言は一体どういうことでしょう? 質問なのか、意見なのか、それとも妄想なのか」
永野の方から口火を切った。
吉嵜は応じた。
「私の感触です。暴力団の話を出さなければ、永野さんに取材に応じてもらえないと思ったので、あえて大きな声を出しました。その点は謝ります。いろいろと聞かせて欲しいのです。ビジネス企画推進局でM&Aを担当していながら、コンプライアンス室長も兼務する。丸菱商事という大企業で、半端ない業務量ですね。コンプライアンス室長になった経緯を教えてください」
永野は時計に目をやった。次の予定までの時間を確認したのだろう。そして話し始めた。
「前の食品会社では法務部門を担当していました。丸菱商事の法務部はコンプライアンス室にあります。楢崎社長から、業務全般を早く把握するために法務も兼務してはどうかと提案され、紆余曲折を経てコンプライアンス室長を兼務することになりました。確かに両立は大変です。次の異動では、コンプライアンス関係の業務から離れ、ビジネス企画推進部に専念したいと人事局に希望を出しました」
「秋山代議士のことはご存じなんですか?」
「前の会社で法務の仕事をしていた時に、秋山先生の講演会に局長の代理で出席し、その後のパーティーでお話をしました。以後、時々会食などでご一緒させてもらっています」
「永野さんが丸菱商事に入社された時も、秋山さんの推薦があったのですね」
「誰がそんなことを。柳本ですか? それは違います。中途採用の募集に応募し、面接を2回受けて採用されました。丸菱商事はM&Aに熱心に取り組んでいてそのスケールも大きい。腰を落ち着けてやってみたいと思ったのです。秋山代議士に推薦を依頼したことなどありません」
「わかりました。信じましょう」
永野の実力からすれば、秋山の推薦などなくても採用されただろう。永野が応募するということを聞いた秋山が、永野に黙って楢崎社長に声をかけたのかもしれない。
「岡本貿易について伺います」
吉嵜は核心に切り込んだ。岡本貿易の買収契約は7月初めに締結され、概要はプレスリリースされていた。社内が大混乱している中で、永野が実務を担当しまとめ上げた。
「岡本貿易は、羽谷組が経営に関与しているといってもいい企業だ。以前、永野さんにお話しした通りです。契約直前で話は伺えなかった。でも今は違います。買収金額は破格の高さだし、営業数値も数年間で数倍に跳ね上がるとんでもない予測が示されていた。私だけが分析して言っているのではない。丸菱商事の役員も言っているのです。『永野に押し切られた』と。一体なにがあったのですか」
「押し切った? とんでもない。私は実務を担当しただけです。営業数値の伸びは、丸菱商事グループとのシナジー効果を加味した合理的なものです。丸菱は東南アジアでの食品部門でトップのシェアをとるのが悲願で、岡本貿易は、使い道のある企業という位置づけです。無謀な予測ではありません。前に私が勤めていた食品会社も岡本貿易の買収に名乗りを挙げていました。羽谷組との関係など知りません。証拠があるのでしたら教えてください。至急調査します」
「関係があるのは事実です。この点はこれから明らかにしていきます。永野さんが岡本貿易を強く推したのは、羽谷組との関係があったからではないでしょうか?」
「知りません。全く知りません。吉嵜さんらしくありませんね。根拠も示さずに憶測でものを言うとは」
「葉山若頭をご存じなのでは?」
「どういう意味ですか?」
「若頭を取材した時、私のことを知っているようでした。『噂で聞いているが、しつこい記者らしいな』と。永野さんからの情報だったのではないですか」
「まさか、それが根拠なのですか。話になりませんね」と永野は呆れるように言った。
「丸菱商事は損失隠しや経理操作を恒常的に行っていたようですが、永野さんは把握しておられたのですか。コンプライアンスの観点から、問題にするべきでは?」
永野はしばらく沈黙した。吉嵜がどこまでつかんでいるのかをはかりかねているのだろう。
「柳本が独占インタビューで何を言ったのかわかりませんが、私は全容を聞かされていません。ただ、過去のことで少しずつ漏れ聞こえてくることがあります。耳を疑うようなことも確かにあります。しかし誰に聞いても真相がわからない。きっちりと説明できない。今私自身でも調べているところです」
「最後に、幸田さんの死に、永野さんが関わったということはありませんか」
永野は信じられないという表情を浮かべた。
「吉嵜さんは刑事なのですか?」。あきれたように首を振り、「これ以上、言うことは何もありません」と言った後、「今度は私から聞いてもよろしいでしょうか?」と言った。
「どうぞ」
「吉嵜さん、あなたは一体何をしたいのですか。というかあなたはなんなんですか。丸菱商事は今、最大の危機を迎えています。過去に問題、過ちがあったことは確かでしょう。それがきっかけになって、さまざまな問題が荒波のように押し寄せている。社内外で調査し、法律違反があれば厳正に対処する。犯罪があれば捜査機関が調べて摘発する。コンプライアンス違反があれば処分される。正常化に向かって必死になっている。それがすべてです。吉嵜さんがやっていることはなんでしょう。ただただ、混乱させているだけでは。特ダネ競争になんの意味があるのでしょう。宇都宮の工場誘致で、柳本と幸田が全日テレビに情報提供しました。まことに勝手な論理でしたが、それで火が付いた。それは自業自得ですが、それ以後のマスコミの動きをみて、私は疑問をもちました。振りかざす正義はだれのためなのか。柳本を見つけ出したのは、マスコミの力かもしれません。でも、すぐに警察に届けるべきでしょう。あるいは当社に連絡をしていただくべきでは。もし柳本に何かあったら、全日本テレビはどう責任を取ったのでしょうか。スクープが欲しいだけなのではありませんか」
永野の話はまだまだ続きそうだったが、携帯が鳴った。
「あら、もうこんな時間。私が仕切る重要な会議の開始時間が過ぎてしまった。ごめんなさい、私はこれで。行きますね」
「はい、鋭いご指摘にお答えするのに、時間をいただけそうで助かりました」
永野は珍しくバタバタした感じで去った。警察の捜査が本格化し、永野の多忙ぶりは丸菱商事でも群を抜いているはずだ。問題対応、警察、マスコミ対応、M&Aの実務、さらに、自分自身も疑われる当事者になっている。それでも疲れを見せないところはさすがだ。
――特ダネ競争に何の意味があるのか。
――振りかざす正義はだれのためなのか。
永野からの問い掛けが胸に残った。
丸菱商事で起きている一連の問題に、永野がどう関わっているのか。今日のやりとりでも見えてこなかった。というか、核心部分について何も聞き出せなかった。
永野は危機に直面した会社を必死に守ろうとしている優秀な幹部なのか。それとも、企業をも食いつぶす「闇社会」から送り込まれた「刺客」なのか。
その答えをこれからの展開ではっきりさせることができるのだろうか。
吉嵜には、自信がなかった。
取材を重ねるほど、真実は遠ざかっていくように思えた。
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